チェンマイ発・ちょっとディープな北タイ日本語情報誌CHAO『ちゃ〜お』は毎月10日、25日に発行。本文へスキップ

観音様

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.12.06 Thursday

 

みちくさ写真108号

 ムアンマイ市場近くの中国寺院に出かけたら、知り合いのAさんに会った。その日は丁度中国のお祭りで、大きな香炉のお線香の束から白い煙がゆらりゆらりと立ち昇っていた。観音様の前に供えられた祭壇の上には、果物やご馳走が並んでいる。1つ1つ意味があるのだと中国系チェンマイ人のAさんが教えてくれた。
 ワロロット市場や、ターペー通り、サンパコイ市場の周辺など、チェンマイの街には中国系の人が多い。チェンマイで生まれたAさんは中国語を話せないが、子供のころから中国の年中行事の儀式を欠かしたことがない。その上、タイの仏教行事もあるから、お祭りごとが多くて忙しいんじゃないかと思う。
 一度、ドイステープに登る前に、クルーバーシーウィチャイ(ドイステープの道を作った高僧。今もチェンマイ人の尊敬を集めている)の像に挨拶の寄ったら、Aさんに会った。「あんた、何か成功を祈願に来たの? 」「はあ、そうです。山登りが…」「じゃ、これに火をつけてあげるから」と渡してくれたのが、お線香の束だ。タイ式は3本だが、16本もある。中国式なのだろうか。煙にむせている私に、「タイ語が読めるなら、そこにお経が書いてあるから、きちんと3回読み上げるのよ」とニコニコ顔で立ち去った。
 話は中国寺院に戻るが、Aさんはお寺に祭られている神様について教えてくれた。土地の神様もあるし、観音様もいる。女の子がいる家では娘が観音様のようにふくよかで美しく育つよう、お化粧品や首飾りなど女性の神様が喜びそうなものを奉って祈るのだそうだ。年頃の娘さんがいるAさんは、「最近の娘ときたら肉なんてどこにも付いてないのにダイエットばかりしてねー」とあきれたように笑っている。
 美しさの基準は時代と共に変化しているが、太っていても、やせていても、不機嫌で近寄ると怒られそうだと美人も台無しだ。不細工でも最低限、機嫌がよくないと、と怒りっぽい自分に言い聞かせる。
 そういえば、ふくよかでいつも笑っているAさんは、観音様に少し似ている。お祈りが届いたのかもしれない。
 

(108号掲載)

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排水溝

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ94号 排水溝


 ラオスのある町を散歩中のこと。道端の工事中の排水溝から、男の子たちの頭が出たり入ったりしているのが見えた。のぞいてみると結構深い溝である。彼らは歯抜けの顔でケタケタ笑いながら楽しそうに遊んでいる。
 子供はなんで危ない遊びが好きなんだろう。
 私も子供の頃は、友達のお兄さんを先頭に、近所の屋根の上に登ったり、川に泊めてあるボートに飛び乗ったりして遊んだものだ。大人に見つかるとしかられるので、こそこそ、ちょろちょろ遊んでいたが、失敗して怪我をすると隠し通せず、お説教を聞く羽目になった。鉄条網をくぐり抜けようとして、ぐさっと足に刺さったときの傷は、未だに膝小僧に残っている。どんな人にもそんな傷の1つや2つはあるはずだ。
 大人になるとさすがに人の家の屋根には登らなくなるが、たまに遊園地で乗るスリル満点の乗り物が楽しかったりする。
 危ないから面白い、スリルが好きという性質は、人には初めから備わっているようである。危ない遊びで命を落としてしまう子供もいるかもしれないが、この好奇心と膝小僧の傷は、その先の何十年と生きていくのに必要な感覚を養うために不可欠なものなのだろう。

(94号掲載)

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お寺の学校

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ91号 お寺の学校


 タイではお寺に小学校が併設されているところがある。登下校時や昼休みには、お寺の境内は校庭となり、思い思いに遊ぶ児童達でにぎやかなことといったらない。仏塔の前の広場でゴム飛びをしたり、菩提樹の木陰でおやつを食べたり。傍らではお坊さんが落ち葉を掃き清めている。そんな日常の中で、子供達に染み込んでいくものがあるような気がする。
 タイで暮らしていると、日本人の私も仏教と全く関わらないわけにいかない。最初は観光で寺をまわったり、友人に「タンブン」に誘われたりする程度が、そのうちに自分でお祓いに出かけるようになっている(?)。無宗教で生きてきた自分にも、何かが染み込んでいるのだろうか。
 正月明けのことだ。久しぶりに会ったタイ人の友人に近況を聞けば「彼が出家するのよ」と言う。それは一時的なことではないらしい。まだ結婚はしていないが、彼女は彼の実家に家族と一緒に住んでいた。彼女の心境を考えると、かける言葉が見つからない。そんな私に「マイペンライ。そりゃあ、少し寂しいけど、出家は喜ばしいことで、それを引き止めるのはいけないこと。彼も長い間考えて決めたことだから」と言う。冷静に受け入れているようだった。
 彼が家族も仕事も捨ててなろうとしている僧侶には、多くの戒律が課せられている。うそをついてはいけない、盗ってはいけない、殺してはいけない、欲をもってはいけない・・・。その全てを守ることは凡人には難しいことだけれど、寺で修行しているお坊さんを見ていれば、本当はこうあるべきだと無意識に思うようになるに違いない。
 お寺の学校で大きくなる子供達。きっと将来、染み込んだ価値観に助けられることがあるだろう。

(91号掲載)

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カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ87号 壷


 食料を貯蔵したり、醗酵させたり、壺は数千年も前から人の営みの傍らにあった。
 チェンマイでも昔ながらの台所を覗けば、大小の壺が見つかる。もっとも、ナンプラーなど本来は壺や甕に貯蔵していた調味料などをペットボトルやガラス瓶で買ってくるようになってから、壺たちの活躍する場は少なくなっているようだ。それは日本も同じで、実家の台所を見渡しても梅干の壺ぐらいしか出てこない。
 チェンマイの下宿の台所には、壺のような鍋のような代物がひとつある。日本でも流行っていた土鍋ご飯を試してみたくて、素焼きの土器を作っている村で飯炊き用の鍋を買ったのだ。コロンと丸いふた付のちょうど壺のような形の土鍋である。
 果たして、ちょっと蒸らしてからぽあんと蓋を開けると、表面にふつふつとくぼみが出来て、ふっくら美味しそうに炊きあがっていた。口の中で広がるマリ米の香りの中に、村人の言っていた「土っぽい良い香り」とやらがかすかにする。
 全部たいらげ、満足しているところへ大家さんが通りかかった。「あ、この土鍋はね、火葬した人の骨と灰を入れて白い布でふたをするだろ。数日したら壺ごと地面に叩き付けて割るんだよ。最近はあまり見なくなったけどね。ハッハッハッ」と笑いながら行ってしまった。
 骨鍋はその後、足元にごろんと置かれたまんまである。

(87号掲載)

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おもちゃ

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ79号 おもちゃ


 小さい頃、どんなおもちゃで遊んだっけ? あまり思い出せないが、ひとつ印象に残っているのが、いとこからもらった算数セットだ。いとことは10歳近く離れているので、数を数えるひごなどが竹で出来ていて珍しかった(自分のはプラスチック製だ)。これで、妹と八百屋さんごっこやら市場ごっこやらをして遊んだ。おはじきが野菜やさかなになったり、さいころがお金になったりした。
 先日、知り合った人が、「子供のために作ったくまのぬいぐるみに顔を描かない」という話をしていた。見せてもらった手作りの人形は、確かに目も口も何もない、のっぺらぼうだ。でも、子供に、今日はどんな顔をしているかと聞くと、「笑ってる」とか「怒ってる」とか言うのだそうだ。そして、どうして笑ってるの?と続けていくと、子供は答えてくれる。子供の空想する力が育つおもちゃである。
 何もないところでも、子供は遊び道具を見つけ出して、想像して遊ぶものなのかもしれない。
 ラオスのルアンパバーンの街を歩いていると、子供たちが道端で遊んでいるのをよく見かけた。靴飛ばしや、ビー玉、凧や舟を作っている子、路地ごとにいろいろな遊びが繰り広げられている。
 ままごとをしている子供たちに近寄ってみると、子供の手のサイズの小さな鍋やお皿、七輪などは、手作りの素焼きだった。それを使って泥団子や小石、木の葉や実で、空想の美味しい料理が作られていく。そこに、天秤を担いだ卵売りがやってきて、子供の一人は「卵が来たよー」と知らせに家のほうへ走っていった。

ルアンパバーン ラオス

(79号掲載)

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へその緒の木

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ75号 へその緒の木

 山村にはたくさんの昔話と言い伝えがあり、それを話すのが上手いのは年寄りと決まっている。
真っ暗な夜に囲炉裏を囲んで、大人も子供も年寄りの話に耳をかたむける。
 ほれ薬の話や人を食べるトラの話、そして一番多いのは、お化けの話だろう。どの話も村やいつもの森の中のことで、例えば木のお化けの話なら、その木の姿も、木のある場所も、聞き手の目にありありと浮かんでくる。子供たちは、夜の森の中を想像するだけで、怖くなる。
 私が訪ねたカレン族の村で、夜、お爺さんから聞いた話は、ちっとも怖くなかった。
「村の周りには、何本か『へその緒の木』というのがあってのう。子供が生まれたら、その子のへその緒を竹の筒にしまって、木にくくり付けておくんじゃよ。子供は大きくなったら、その木を大事にせねばならん。伐ってはだめじゃ。
 さて、どの木にするかは、子の親が選ぶ。
 まず、真っ直ぐに大きくなる木がいい。そうしておけば、子供も元気に大きく育つじゃろう。それから、実がたくさんなる木がいい。そうすれば、いろいろな鳥や動物が木の実を食べに集まるように、子供にもたくさんの友達ができるじゃろう」
 次の日の朝、お爺さんは孫の「へその緒の木」を見に連れて行ってくれた。  

チェンダーオ 

(75号掲載)

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美人パレード

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ72号 美人パレード

 タイの人は美人コンテストが大好きだ。チェンマイでも何かのお祭りにつけて美人コンテストを開き、パレードをする。
 ソンクラーンには昔懐かし「自転車娘コンテスト」が行われ、TAT前からターぺー門に向けて自転車に乗った娘さんのパレードがある。まだ車が少なくて自転車が行き交っていた30〜40年ほど前のチェンマイの風情を再現したいのだろうが、昔のいかつい自転車に比べ、軽くておもちゃのような自転車に、スポンサーのコーラの看板がうるさい。お化粧は驚くほど濃い。たまに自転車をこぐのが下手な娘さんがいて、必死のふらふら運転で、カメラに笑顔を向ける余裕はない。これではランナーの風情も何もないが、それでも日傘をさした娘さんがにこやかに自転車をこぐ姿は、やっぱりかわいらしいので、おじさんならずとも、カメラを向けたくなる。 
 先日、50年前のチェンマイ美人コンテストの映像を見る機会があった。16ミリフィルムで撮影された白黒の画面には、がっちりした健康的な美女が並んでいる。服装は現在の懐古趣味とは反対で、当時流行の最先端であろうと思われるフレアスカートである。
 1人ずつ舞台の裾から登場して1列に並ぶのだが、美女はにっこり笑ったまま、動いているかどうかわからないぐらいの速さで歩いている。決してスローモーションではない。
 その時、「♪美女を〜ごらんなさい〜」と、この映像を撮った方(70代男性)が懐かしそうに、当時舞台で流れていた歌を口ずさんだ。
 いつの時代の男性も美人を見ると幸せな気分になるようだ。

チェンマイ

(72号掲載)

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親子

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ71号 親子

 得度をする男の子を祝うタイヤイのお祭りで、幸せなオーラを発している親子がいた。ふくよかな顔も体系もそっくりだ。性格も少なからず似ていることだろう。
 最近、成り行きで親子喧嘩の仲裁に入る羽目になった。
 端から見れば、お母さんが娘を心配するあまり少々うるさく口を出してしまうという気持ちも解るし、プライベートなことをいちいち指図されたくない、ちょっとだまってて、と怒る娘の気持ちも解る。解るが、事の発端となった問題自体はいつしか忘れられ、「お母さんはこうだからいけない」、「あんたこそ子供のころは素直だったのに」と、どこまでも言い合いが続いていく。
 話の状況を自分に当てはめて考えると、やはり親子喧嘩になってしまうかも、と思う。親子とはお互いに良い所も悪い所も知り尽くしている相手だから、痛いところを突かれると素直に聞けないのだろう。 
 このごろよく思うのは、認めたくない自分の欠点が肉親に見えたとき、どうしても許せず、身内であるだけに遠慮なく非難してしまうんじゃないか、ということだ。逆に、自分の欠点を「そんなものだ」と認めている人なら、身近な人に同じ欠点が見えたとしても、「そんなものだ」と受け入れられるのかもしれない。
「あんたは母親と良く似ている」と人から言われショックだったことがある。しかし、親子だから当然ではある。私の目の前で、親子喧嘩を繰り広げるお二人も、私から見れば、よく似ている。もし「お母さんの(お父さんの)ここが嫌なの」とか、「あんたのここが悪いところよ」という言葉が口をついて出たとき、それはそのまま自分が抱えている問題なのかもしれない。
  
チェンマイ

(71号掲載)

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阿波踊り

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ69号 阿波踊り


 徳島県民は阿波踊りのお囃子が聞こえると血が騒ぐと言われているが、これはほぼ事実だ。それは身体で覚えた幼い頃からの楽しい記憶が蘇るからにちがいない(と徳島で育った私は思う)。
 お盆になれば近所の公園に櫓が立ち、浴衣を着せてもらって阿波踊りに行くのは、子供にとって大変な楽しみだった。男も女も老いも若きも踊りながらぐるぐる回る。毎日遊んでいる公園も提灯の明かりと人だかりのなかで見ると、どこか知らない特別な場所のように感じられたものだ。
 阿波踊りが徳島にとって唯一ともいえる大きな観光資源として注目されるにつれ、町内の盆踊りは小さくなっていった。お囃子隊も市街に出るため、町内の日程はお盆3日前にずらされた。そこには将来のスター踊り子を発掘しにスカウトマンが小学生を見に来ているという噂があり、実際、軽快な男踊りが上手だった同級生のM男は、有名連からスカウトされた。だから小学生達は疲れても休まず踊ったものだ。私もそのひとりだったが、ついぞお声は掛からなかった。
 連とは街を踊り歩くグループのことだ。連の踊り子達は6月頃から夕方の特訓を重ね、見事に揃った女踊りと躍動感あふれる男踊りを披露する。私も高校生の時、同級生のM子に誘われ、友人数名と連に入ったことがある。有名連とはほど遠い丸新デパートの広告用の連である。(今はなき丸新だが、昔は徳島唯一のデパートだった)踊りながら、丸新連の花形であるM子が「買い物!」と呼びかけ、残り全員は「丸新! ヤットサー、ヤットヤット」と大声で答える。恥ずかしいが、やはり、見るより楽しい阿波踊りであった。
 先日、チェンマイに阿波踊りがやってきた。女踊りには土地ごとの美意識が型として現れるものかもしれないが、男踊りはもう少し自由な感じがする。私は以前から、腰を落として手を前に突き出して踊る阿波の男踊りと北タイの男性の踊りが似ていると思っている。
 M男やM子はどう思うだろうか? 

チェンマイ

(69号掲載)

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女の子の髪

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ66号 女の子の髪

 女の子は髪を結ってもらうのが好きだと思う。
 とにかく自分はそうだった。母にみつあみやおさげに結ってもらう間、うとうとと気持ちがいいし、出来上がって「かわいくなった」などと言われるのがうれしいのだ。
 しかし、小さい頃の私はといえば、4才からずっとおかっぱだった。それも、刈り上げでパツンパツンに短く、いつも男の子に間違えられていた。それが嫌で「髪の毛伸ばしたい」と訴えると、「髪に栄養とられてアホになるからアカン」とすごい理由ではねつけられた。今思えば、忙しい母にとって、おかっぱ頭が清潔で簡単でいちばんだった、ということはよくわかるのだが、テレビ人形劇の主人公プリンセス・プリンプリンの髪型にあこがれる本人は、「床屋さんに行くでよー」と言われては、「まだええ」と答えてしかられていた。
 近所の床屋の赤い椅子の上にさらに椅子を重ねて座らされた後、「あんまり短こうせんといてください」と言ってはまたしかられた。先の尖ったはさみでチョキチョキと揃え終わると、白い陶器のなかで泡だっているシャボンが、首筋に塗られる。シャボンがはじけるプチプチというかすかな音と生暖かい感触。そこにゾリリゾリリと刃があてられる。終わってみれば、やっぱりさっぱりするのだが、保育園で前に座っている級友(女子)の、刈り上げ頭の青々としたうなじを見ては「男の子みたいやなあ」とがっかりするのだった。
 女性が普段着で民族衣装のパーシン(巻きスカート)をはいていることの多いラオスでは、大抵、女の子の髪は長い。きっと母親や周りの女性に習って、早くから自分で手入れすることを覚えるんだろう。私もここ数年、好きなパーシンに合うようにと髪を伸ばしてみてはいるが、パーシンを履く機会もあまりなく、お手入れもずさんで、やっぱりおかっぱにしようかと考えているところだ。

ラオス

(66号掲載)

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