チェンマイ発・ちょっとディープな北タイ日本語情報誌CHAO『ちゃ〜お』は毎月10日、25日に発行。本文へスキップ

モン族のお正月

カテゴリー: タイの山岳民族(三輪隆) | 2008.03.19 Wednesday

 

Sangaku113b
 モン族のお正月祭り(ペエ・チャオ・モン)は、たいてい中国正月の1ヶ月もしくは2ヶ月前の新月の日に始まる。したがって早いときは12月の上旬、遅くとも1月の上旬からモン族の新年祭が行われる(2008年は1月8日前後に行われる予定)。
 モン族では元旦にあたる日をサ・イー(1日目の意味)と呼び、その後サ・オー(2日目)、サ・ペー(3日目)あたりまでがもっとも盛り上がるが、その後も村人の興が乗れば祭りは続き、8日目(サ・ジー)まで行われることもある。
 民族衣装に身を包んだ若い男女が向かい合って鞠投げをする「ジュポー」という遊びや歌垣については以前にも書いたことがあるので、今回は新年の儀礼を中心に紹介する。
Sagaku113a
 元旦の2日前、餅つきが行われる。モン族では赤米の餅をつくことが多い。その年最初についた1個目の大きな鏡餅は、各家の祭壇(スッカン)に供えられる。
 元旦の前日、大晦日の日には、午前中はザラ紙を短冊状に切って護符(ダウ)を作る作業をする。午後からは各家でさまざまな儀礼が行われる。
 まず、「プリー・コン・プリー・ロング」と呼ばれる儀礼。家族の中の一人が線香と生卵を入れた籠を背負い、腕にメスの鶏を抱いて、ふだん耕している畑に向かい、ふだん歩いている道に沿って歩いていき、帰ってくる。これは、とうもろこしなどの畑を守ってくれている霊たちに、新年の到来が近いことを告げ、一緒に村に集ってきて、正月をともに祝おうと誘う意味があるという。
 夕方には「フッ・プリー」「フッ・プヨー」と呼ばれる儀礼が、各家の入り口から対面にある壁にしつらえられた祭壇の前で行われる。これは、生贄を捧げ、祈祷を唱えることによって、肉体から遊離してさまよっていた家族の霊魂を呼び戻したり、先祖の霊を召還したりするための儀礼である。儀礼を行うのはその家の家主だが、家に祈祷を行う能力のある人が不在の場合は、「ツンネン」と呼ばれる祈祷師が代理を務めることができる。活きのいい雄鶏が生贄にされ、祭壇に供えられる、後に脚の骨や頭、舌などは占いにも使われる。また、大きな器に生米を入れ、その中に家族の人数分の生卵を入れたものを供える。正月の間、祭壇の下には「チョ」と呼ばれる小さなテーブルが置かれ、そこにはとうもろこしの粒や米菓子などがろうそくや線香とともに供えられる。
 儀礼が終わると、生贄にした鶏を茹でて夕食を食べる。そのあと、紙で作った護符を、玄関のドア、台所のドア、窓、トイレのドア、家の大黒柱、鶏小屋、豚小屋、箪笥、寝台などいたるところに貼り付ける。台所では食器棚、かまど、調理用具、鍋などすべての道具類にもお札を貼る。これは広場でお祭りが繰り広げられる正月の間、留守中の家の中に悪霊が入ってこないようにという魔よけの意味があるという。そして、家の玄関の前、寝室の前、祭壇の下、大黒柱、台所の大小のかまどなど、家の中に7ヶ所あるといわれるモン族の守護神の居場所に蝋燭や線香を灯し、火は正月の3日間ずっと絶やすことなく灯し続けなければならない。
Sangaku113c
 そしていよいよ新年の朝を迎えると、若者たちは盛装して広場に鞠投げに出かけ、大人たちは集って酒を飲みかわし、伝統的な歌(ルー・ツアー)を歌いあう。
 正月の3日間にはさまざまなタブーもある。たとえば洗濯をしない(洗濯物を日向に干すことになり、すなわちそれは旱魃のイメージなので、その年、農作物が不作になるといわれる)昼寝をしない(横になるということは、稲やとうもろこしが倒れているイメージなので、これも凶)、銃や刃物類を使ってはならない(台所の包丁は例外とか)、3日間はおかずは野菜を食べず、肉類のみを食す(そうすればその年は年中、肉を食べられると信じられる)、お金を使わない(使えばその年1年間、無駄な出費を強いられる)などなど。要するに「一年の計は元旦にあり」に通じる考え方である。
 こうして1週間以上におよぶお正月祭りの最後の日、村人たちはお金を出し合って、みなで会食して、村長さんが挨拶して、お祭りはお開きになる。


(113号掲載)

タイの山岳民族 タイトル一覧へ

 

タイの山岳民族(三輪隆) | Top

 

ヤオ族の歌垣

カテゴリー: タイの山岳民族(三輪隆) | 2007.12.07 Friday

 

山岳民族111a
 前回紹介したアカ族に続いて、チェンマイ山岳民族博物館シニアボランティアの長澤さんと、チェンラーイ県ホイメーサイ村でヤオ族の歌垣をビデオに収録した。
 ヤオ族においても伝統文化の継承者は年々高齢化しており、歌垣の堪能な若い人を探すのは難しい。さくら寮スタッフのカンポン君の親戚に手配を頼んで、なんとか二組の中年男女に出演をお願いすることができた。
 しかし、もう孫もいるような中年男女が激しい恋の歌というのも、あまりにも淫靡(?)というか不自然なので、彼らの息子や娘の縁談をもちかけあうという設定にしようということになった。そこで、残念ながら歌は歌えないけれど、とても美しい若い娘さんが特別出演してくれることになった。
山岳民族111b
歌垣の内容は、二人の中年男とその息子の一団が、二人の中年女とその娘、それに彼女の幼い弟の一団に山の畑で偶然出会い、親しく話しているうちに互いの息子と娘の縁談が持ち上がるというストーリーである。
 以下はその訳の一部である。訳文は短いが実際の歌垣はかなり長い。それはヤオ族の場合、複数の人々が歌う場合、ある一節を歌い終えると、その一節の後半部分をフーガのように繰り返して歌う作法があるからである。一人の歌い手が歌った言葉を反復することによって、他の人も合唱できるようにするのである。

男「私たちがここを通りかかったとき、あなた方がこの畑で仕事をしているのに出会いました。あなたがたは何人で働いていますか? どうか、ちょっとお話させてください」
女「私たちは4人で働いています。あなたがたはどなたですか。どのようにしてここにたどり着き、私たちに話しかけたのですか?」
男「あなたがたはそうやって(女だけで)仕事していて寂しくありませんか? 私たちもこうして歩いていて心寂しく感じていたのです」
女「私たちも寂しい思いでした。もしお邪魔でなかったら、こちらへきて一緒にお話しませんか」
男「私たちは向こうの山で仕事をしていて、こちら側にきれいな花を見つけてやってきたのです。この花には持ち主がいるのかどうかわかりません。この花を摘みたいのですが、あとで問題が生じることを恐れます」
女「(あなた方にお会いできたのは)生まれてこのかた、そして先祖代々の徳が今ここに結実したかのようです。もし、おいやでなかったら、こちらにいらっしゃいな。袖振り合うも多生の縁、一緒に語り合いましょう」
男「日も高くなり、もうお昼ご飯時だ。まだお昼ご飯も食べていないし、お腹が減ってこれ以上歩くこともできません。もしご飯をお持ちでしたら、一緒にいただくことはできないでしょうか」
女「どうぞ、ここへきて一緒にお昼ご飯を食べましょう」
女の友人「(若い二人をさして)このふたりはとてもお似合いね」
男「あなたの娘さんの生まれ年、誕生日をおしえてくださいませんか。(ヤオ族では結婚を前提とした場合、相性を占うために相手の生年月日を調べる)」
女「もしおいやでなかったら、娘をもらってあげてくださいな」
男の友人「こうしてみると二人はとてもお似合いのカップルだ」
女の友人「本当にお似合いだこと」
男「もう少ししたら、二人は結婚して、同じひとつの一族になるのですね」
女「あなたがたさえよかったら、私たちは喜んで娘をあげますよ。でも私たちはとても貧しいですから、あなたがたはもらいたがらないのではと恐れます」
男「娘さんのお名前は何ですか?」
女「私の娘の名前ですか? ホンニーです」
男 「私どもの息子は他人の悪口を言う(ホンニー)は得意ではありません。(ホンニーという名前はヤオ語で「人の悪口をいう」という言葉に発音が近いため、二つの意味をかけたジョークである)
(みなで笑う)
女「私たちの娘の名前はホンニー、もし気に入っていただけたなら、どうぞプロポーズに来てください。ご縁があるのですから、いつでも娘を嫁がせます」
男「もう少ししたらプロポーズに来ます」
女「ただ、息子さんにはもう恋人がいるのではないかと心配です」
男「私の息子にはまだ恋人はいませんよ」
女「もう決まった恋人がいるのなら、私たちの娘を騙したり、もてあそぶようなことはやめてくださいね」
男の友人「こうしましょう。(娘の弟である)この小さな男の子は、新郎の付き人になりますよ。でもこの男の子には(結婚していないので)まだ新婦の友人はいませんから、この青年にはもう少ししたら、新婦の友人を探さなければなりません」

 最後の一節はわかりにくいかもしれないが、ヤオ族独特のやや複雑なウィットをこめた言い回しである。ヤオ族は結婚式のとき、必ず新郎は男の、新婦は独身の娘さんを付き人としてつけなければならない。
 女性を花にたとえたり、かけことばを使ったり、高度な比喩やジョークを交えたり、高度な言語文化を持つヤオ族ならではの歌垣の内容だった。


(111号掲載)

タイの山岳民族 タイトル一覧へ

 

タイの山岳民族(三輪隆) | Top

 

アカ族の歌垣

カテゴリー: タイの山岳民族(三輪隆) | 2007.12.07 Friday

 

山岳民族109b
 この9月までチェンマイ山岳民族博物館でJICAのシニア・ボランティアとして映像製作の協力活動をされていた長澤潔さんの企画で、山岳民族の歌垣(恋歌)を撮影することになり、コーディネーター兼通訳として同行させていただいた。
 アカ族の歌垣を収録したのはチェンラーイ県のメーモン村。
 男性の歌い手であるピジョン・ベチュグさん(41歳)は、20年ほど前はこの歌垣の腕前によって、幾多の女の子をしびれさせた、村きっての色男だったとのことだ。そして、歌垣によって恋愛を成就させた最後の世代の人といって間違いない(同じ世代でも歌えない人のほうが圧倒的に多い)。
 確かに、モンゴル族のホーミー(フーミー)という発声法を思わせるような彼の独特のビブラートを含んだ張りのある歌声は、男の私が聴いてもゾクゾクするものがある。20年前のアカの娘なら、その声を聴いただけで、何かに感電したかのようにふらふらっと彼によろめいてしまったとしても無理からぬことである。その頃の「歌」にはそれほどの強い力があったのだろう。現代のアカの女の子に聞かせでも「わかんなーい」とか「きもーい」とかいわれて無視されるのがオチだろうが。ちなみに最近タイではアカ族の歌手によるアカ語のヒップポップ音楽なるものがCDとして売られて人気を集めている。とりあえず韻を踏んでいる点ではアカの歌垣の変則的な継承といえなくはないが、これが若者たちの生活のリズム感を支えるアイテムになっているのだろうかと思うと、この20年間の時の流れを感じる。
 最初、私たちは村の周辺をロケハン(撮影の下見)して、向こうの山々が見渡せるとても景色のよい場所をみつけてセッティングしていたのだが、当の歌い手の人たちからクレームがついた。村に近すぎて、歌声が村の中に聞こえてしまう。それはアカ族のタブーにふれるというのだ。歌垣は村の中にその歌声が聞こえないところで行われなければならないというので、ピジョンさんたちの指示に従って別の場所に移動した。
山岳民族109a
 相方の女性、アソン・イェルグさんは39歳で、私がはじめてこの村にきた18年前は、確か新婚ほやほやだったはずだ。ピジョンさんの奥さんではないが、旦那さんからはやはり歌垣で口説かれたのだろうか。
 歌垣は本来、当事者たちだけの間で行われるもので、第三者が聴くことを前提としていない。だから今回の撮影にあたって、歌い手たちがそれほど乗り気になれなかったのは想像に難くない。すでに既婚者同士で、ビデオカメラや他の人が見物する前で、 しかもビデオテープの収録時間内という制約の中で歌わなければならないとあっては、一対一の真剣勝負の緊張感も創作力、想像力の集中度も失われるのはいたしかたない。しかし、それを差し引いても、彼らの歌は見事で、圧倒的だった。
以下にその一部を抜粋してみる。

(男) 今日、歌を歌うのはちょっと遅すぎるかもしれません。今日の歌垣に、実は私はあまり乗り気ではなりません。なぜならば私はもう年をとりすぎているからです(ここまでは本題とは関係がなく、前口上のようなもの。この年になって既婚の女性相手に、しかもビデオカメラの前で歌わされることの違和感を、少し皮肉を込めて歌っているものと思われる)。
 あなたと会ってずっとお話がしたいです。あなたにはもう意中の人がいるかもしれませんが、あなたとお話がしたいのです。 他の人が歌うとき、あなたには聞こえるかもしれないが、私が歌うときは私の歌が聞こえないかもしれない。あなたは私とお話なんかしたくないかもしれません。
(女)あなたは私にとてもいい歌を歌ってくれました。古くからの伝統的な言葉とうたい方で。あなたが歌う歌は私にいろんなことを考えさせてくれます。でも、今日の出会いは、私たちにとっては遅すぎるかもしれません。出会うのが遅すぎたかもしれません(あなたにはもう恋人がいるんですもの)あなたのほうこそ誤解しています。私がもう心に決めた恋人がいると。実のところ私には恋人なんていないのです。私はとても残念です。実際には私には恋人などいないのです。他の人はみな私にもう恋人がいると噂をしていますが、そんなものは噂に過ぎないのです。
 今日、私たちは森の中にいます。ここにいると私はいろんな想いが浮かんできます。あなたとお話がしたいです。お話したいことがたくさんあります。もし私に恋人がいたら、世界はもっと美しいものばかりになるでしょう。私に恋人がないことは、他のすべての世界が保証人になってくれます。
 あなたが歌ってくれたことは、すべてに意味があります。いつもあなたが歌うたびに私はいろんなことを考えさせられます。あなたが歌ってくださったことは、どんな言葉であれ、私の心に残り、私にあなたのことを思い慕わせます。
(中略)
(男)私はもうこれ以上言葉を弄しません。私の気持ちは一言でわかっていただけると思います。あなたは鳥のようにとても賢い人だ。あなたもこんなことわざを聞いたことがあるでしょう。賢い鳥は、どこが危険な場所か知っていて、そっちにはいかない。
賢い子犬は日差しの強い場所を知っていて、そんな(暑い)場所にはいかない。賢くない子犬はどこが日向でどこが日陰かもわからない。命あるものならなんであれ、危険な場所にはいかないものだし、自ら己を損ねるような真似はしません。
(女) あなたが歌ってきたことは、すべて私にとって意味があります。あなたが語ったことを、何年たっても、私は決して忘れないでしょう。歌の言葉を聴いただけで、私はあなたの虜になりました。でも私はあなたのことを愛していても、あなたを見つめているだけで、なにも告白する勇気がありません。たとえ私があなたを愛していても、私はあなたと結婚できないことはわかっています。ただあなたのことを影ながらそっと見つめるだけ十分です。

このような具合で、男と女が即興のかけあいで恋心を歌いあう歌垣は3時間、4時間、ときには丸1日、2日にわたって繰り広がられることもあったという。
 タイの山岳民族の多くの村々で歌垣の伝統が途絶えて、20年あまりがたとうとしている。

※なお、この歌垣のDVDは「ちゃーお」でも今年末頃、販売の予定。


(109号掲載)

タイの山岳民族 タイトル一覧へ

 

タイの山岳民族(三輪隆) | Top

 

ヤオ族の葬儀(後編)

カテゴリー: タイの山岳民族(三輪隆) | 2007.12.07 Friday

 

山岳民族107号a
 3日目は火葬の日である。ヤオ族の葬儀には土葬と火葬があるが、まず火葬をして後にお骨のみを埋葬してお墓を作るケースが一般的だ。火葬の場所は村からそう離れていない森の中の開けた場所が選ばれる。
 祭壇の前でサイミエン(葬儀の一切を取り仕切るヤオ族の祭司の長)は竹のへらを投げて占いをして、昨日見送った使者の霊魂が無事に先祖のもとに到着したかどうかを確かめる。
長男はじめ子どもたちは、サイミエンやサイトン(祭司の助役)、そして参列者に三度礼をしたあと、棺桶を担ぎ、正面の入り口より家を出る。長女は雄の鶏を抱いてあとに続く。家の入り口を出るとき、爆竹をたき、銃を撃つ。子供たちは年の大きい順番に棺おけの下を潜り抜ける。
山岳民族107号b
 出棺を見送る人々は、藁を脚に巻きつける。これは死者に魂をあの世にもっていかれないようにするためだという。棺が村の中を通るときも大人たちは子供たちに「自分たちの魂をもっていかれないように、しっかり体にとどめておくように」と叫ぶ。
 棺が火葬の場所に到着すると、鶏を抱いた長女が棺のまわりを三度まわり、娘たちはすぐに家に戻る(そのとき抱いていた鶏は家で3日間縛り付けておかねばならない)。 残るのは男たちだけである。息子たちは火葬に使う薪を棺のところにおき、サイミエンやサイトンに礼をした後、焚きつけに使う竹をサイミエンに渡す。サイミエンは棺の前で儀礼をおこなった後、棺に対して後ろ向きになって4箇所に点火し、火がついたら全員がその場を去る。このときけっして振り返ってはならない。死者の霊魂を村に帰ってこさせないためである。他の多くの山岳民族と同様、ヤオ族にとっても、死者の魂は哀れみ、悼む対象でもあるが、また同時に恐れの対象でもある。
 サイミエンは全員がその場を離れるまで残らねばらない。そして村に向かう途上でも、死者の邪悪な霊魂が村に入ってきて村人を脅かしたり、親族の夢の中に現れるのを封じるべく呪文を唱え続ける。ヤオ族で死者が夢の中に現れるのは吉凶とされている。村の中では火葬場から帰ってきた人は全員が清めのために手を洗う。
 火葬が終わって半日ほどして、サイミエンと死者の息子たちが現場に戻り、お骨を拾う。長い竹の箸またはサトウキビの茎を使って、お骨の足から頭部まで順に拾いあげ、用意した陶製の壷に入れておく。火葬した場所はヤーカー(茅)を編んだ屋根で小さな小屋を作り、覆っておく。
 翌日、お骨の埋葬がおこなわれる。生卵と鶏を用意し、長男がお骨を入れた壷を籠に入れて背負って墓地に向かう。道中、お骨を背負った人は、けっして籠を地面に置いたり、座って休んだりしてはならない。
 埋葬の場所を決める際、サイミエンが生卵を投げ、割れた場所に埋葬する。卵が割れなければ、そこは死者が好まず、埋葬にふさわしくない場所であるので、何度でも卵を投げて割れる場所を探さねばならない。
 葬儀が終わったあと一定期間は、喪主の家では毎日3度、食事の前にご飯と水を一杯、おかずを一皿、祭壇に供えて死者を供養する。また最初の3年間は毎年死者を供養する儀礼をおこない、その折に墓を立派なものに作りかえることもある。
 以上は死者が成人の場合で、死者が「ピィアンリアム」(「つぼみの人」の意味)と呼ばれる12歳以下の子供だったり、「クァ・タン」(掛三台燈)というヤオ族の成人式にあたる儀礼をまだ済ませていない場合、またヤオ族の人々にとって「悪い死に方」をしたと考えられる場合は、サイミエンがいなくても簡略な儀礼によって葬儀を済ませることができる。また、村の外で亡くなった死者は家の中で儀礼をすることができない。


(107号掲載)

タイの山岳民族 タイトル一覧へ

 

タイの山岳民族(三輪隆) | Top

 

ヤオ族の葬儀(前編)

カテゴリー: タイの山岳民族(三輪隆) | 2007.09.29 Saturday

 

山岳民族105号a
 ヤオ族の葬儀は、成人が亡くなったときと子供が亡くなったときでは儀礼のやりかたや規模が異なる。ここでは、親が亡くなったときの葬儀を例に手順を説明する。なお、葬儀の作法はクラン(姓)によっても異なるので、以下の記述はすべてのヤオ族の葬儀にあてはまるものではない。
 まず、親が亡くなった場合、長男が死者のまぶたを閉じてやり、口の中に硬貨を入れる。これは死者の口から、上品でよい言葉しか発せられないようにするためという。続いて死者の体を清め、死装束を着せる。死者にはまだ袖を通していない新しい衣装に着替えさせなければならない。そして、死者が出たことを村人たちに知らせるため、家の外に出て銃を三発撃つ。村人たちは死者が出ると畑仕事を休み、各戸から一人づつ葬儀の手伝いにこなければならない。
 長男はサイミエンと呼ばれるヤオ族の祭司(タイ語ではモーピーに相当する)のところへ行き、親が亡くなったことを告げ、儀礼を執り行ってもらうよう要請する。このとき、長男はサイミエンに煙草を一本献上し、三度お辞儀をするのが儀礼である。
 サイミエンは葬儀のすべての段取りを執り仕切る統括者になるが、その補佐役としてサイトンという役職の人を指名する。サイミエンの資格をもつ者はどの村にもいるというわけではない。自分の村にサイミエンやサイトンがいない場合は、遺族はよその村まで請いに行かねばならない。サイミエンやサイトンには後日、しかるべき謝礼が支払われる。ある村の葬儀の場合、サイミエンには1万バーツ、サイトンには4000バーツの謝礼が支払われた。サイミエンは、その衣装をはじめ、今では民俗学的にも貴重な文化遺産になってしまったミエンファン(十八神像画)など葬儀に使うさまざまな儀礼用具一切を自前でもっていかねばならない上に、三日三晩ほとんど満足に眠ることもできないほどの重労働になるので、1万バーツという額は必ずしも高額なギャランティーとはいえないのかもしれない。
 ヤオ族の葬儀は、亡くなった日から数えて通常3日から5日間にわたって行われるが、親族たちは一致協力して役割分担を決め、迅速に葬儀の準備にとりかかる。主な役割としては、薪などの燃料を探す役(ヤオ族の葬儀では火を多用する)、買出しをする役(葬儀に使う豚や酒を調達したり、護符に使う紙を買ってきて切り刻んだりする)、料理をする役(多数の参列者が集まるので、葬儀の行われている間中、三度三度の食事を振舞わなければならない)、墓穴を掘る役、文字を書く役(写経のように、紙に筆を使って漢字を書く)などである。
 第1日目はお棺の調達や葬儀会場の設営などさまざま準備が行われる。
 親が亡くなった場合、息子たちやその嫁、そして娘たちは頭に白い布を巻く。
 ふだん二階建ての家屋に住んでいる家族も、葬儀だけは平屋の建物の中で行わねばならない。儀礼の行われる祭壇は本来一階に設置されるべきものであり、使者の魂を足でまたいではならないと信じられているからである。遺体は木製の棺に入れられ、土間の上に正面の入り口に足を向けるかたちで安置される。
山岳民族105b
 祖霊を祭る祭壇の上には ミエンファン(十八神像画)と呼ばれる屏風絵風の絵画が飾られ、その前で中国の道士のような衣装に身を包んだサイミエンが、踊るような動作を繰り返してまじないの言葉を唱えながら、昼夜を問わず断続的に儀礼を執り行う。
2日目は、霊魂をあの世に送る儀礼が行われる。ヤオ族は体内に多数の霊魂を宿していると信じられており、その霊魂には良いものと悪いものがある。サイミエンが、竹のへらを使った占いによってよい霊魂と邪悪な霊魂を選別し、邪悪な霊魂を矯正させるために、藁人形を竹の鉈で切り刻み、サイトンがそれを叩き、再びサイミエンがそれを持って家の外へ走り出るといった劇的なパフォーマンスの儀礼がおこなわれる。藁人形はバナナの葉で作った舟に入れ、サイミエンが「先祖と一緒に暮らしなさい」と叫びながら森に捨てる。森は海のメタファーであり、霊魂を乗せた舟を海に放つということである。霊魂は水を恐れるので、海を渡っては戻ってこられないと信じられているのだ。
 2日目の最後、十八神像画の上にかけられていた長い白布がとりはずされ、その先端が椅子や階段を伝わせて屋根裏から屋根の上へと引き上げられ、葉の茂った竹の先端に結び付けられる。死者の魂に家から出てもらい、天高く送るという意味があるという。



(105号掲載)

タイの山岳民族 タイトル一覧へ

 

タイの山岳民族(三輪隆) | Top

 

リス族の住居

カテゴリー: タイの山岳民族(三輪隆) | 2007.08.05 Sunday

 

タイの山岳民族103号リス族の住居-a
 リス族の家の多くは、アカ族やラフ族などに見られるような高床式住居ではなく、地面をそのまま床にして主要生活空間とする「地床式」(いわゆる土間式)の住居である。しかしメーホーンソーン県地方では高床式の家屋も多く見られる。リス族の住居は、ヤーカー(茅)を並べて切妻式の屋根を葺き、割竹を縦方向に並べて壁を作った質素で単純な家屋で、かつての伝統的な建築では接合材に竹や籐の紐を使い、釘はほとんど使われなかったという。が、近年ではタイ族の建築法で木造高床式の住居、コンクリート製の住居も多く建てられるようになった。
 玄関は家の正面、中央に位置し、入り口のドアを開けると、正面の壁の上方に日本の神棚のように棚をしつらえた祭壇があり、陶器製の小さな杯が数個から十数個ほど並べてある。これがリス族の先祖の霊を祀る「タビャ」で、アニミズムを信仰する村なら、どこの家でも入り口の正面にある。リス族にはグアパ、ビャパ、ウーパなどのトーテムによるクラン(姓)があるが、祭壇の形態や装飾のしかた、杯の数、配置方法などはクランによって異なり、リーチャ(李姓)ヤンチャ(楊姓)のリス族には漢族の 祭壇の影響が見られる。 タビャとその周辺は神聖な空間なので、みだりに触れたり、ここにモノをおいたり、この前で言い争いうなどをしてはならないとされている。写真撮影をする場合は必ず戸主に許可を得ること(拒否される場合あり)。
 リスの人たちは家の中にロープをつるし、衣類などをかけておくことがあるが、特にズボンや下着など腰から下に身につけるものは不浄とされ、この祭壇のレベルよりも高い位置に吊るすことは許されない。
 リス族の家には窓がないため、家の中は昼間でも薄暗く、ひんやりと土の匂いがする。タビャの両横には竹の壁で仕切られた個室があり、夫婦や子供たちの寝室としてあてがわれている。また、入り口を入って右側にはやはり木と竹で70センチほどの高さにしつらえた1、2畳ぶんほどの寝台がある。これは「ゾマ」と呼ばれ、ちょっとした休憩や昼寝、または来客を泊めるための寝台となる。
タイの山岳民族103号リス族の住居-b 
 左側の奥の方は台所になっており、地面に直接火を起こし、七輪などを使って調理する。台所まわりの鍋や小さな食器棚をのぞけば家具は少なく、家の中はがらんとした印象を受けるが、それなりにきちんと整理され、掃除がいきとどいている。日常の家族の食事はこのあたりでとられ、木製の20センチほどの高さの小さな腰掛に座り、籐製の丸いカントークを囲んで食べる。客人が来たときに限ってタビャの正面に宴席が移されることもある。
 リス族の集落の特徴は、ほとんどの家の入り口がふもと(谷側)を見下ろすように同じ方角を向いていることだ。それぞれの家の前にはちょっとした空き地があり、前後に別の家が建てる場合、各家の入り口の位置が完全に重なり合わないように左右に位置をずらして建てられる。リス族では新年をはじめとして四季折々に、先祖の霊が正面の入り口を通ってタビャに戻ってくると信じられており、この霊の通り道を塞ぐような家の建て方をしてはならないのだ。このことは彼らにとって先祖の霊がいかに重要で、畏敬に値する存在であるかを示している。また家の前の広場は新年の祭りの際に神木が建てられ、村人がこの木の前で輪になって踊るためのものだ。


(103号掲載)

タイの山岳民族 タイトル一覧へ

 

タイの山岳民族(三輪隆) | Top

 

ラフ・ニ族の農耕儀礼

カテゴリー: タイの山岳民族(三輪隆) | 2007.07.21 Saturday

 

ラフ・ニ族の農耕儀礼 3月の中旬ごろ、ラフ・ニ族の村々ではコセパ・ロゥ・タンヴェの儀礼が行われる。畑の中に竹で組んだ小さな祠を建て、そこに生米、蝋燭、お茶の葉、お酒などを供え、そこに向かって全員が座し、先頭の長老がまじないの言葉を唱える。ちょうど焼畑が終わって開墾の時期にあたり、山の神様に一年の豊作を祈る儀礼である。この儀礼は家族または親類の単位で行われる。
 キリスト教化されていないラフ・ニ族の人々は独自の伝統的な宗教を信仰している。一言で言えば、アニミズム、祖霊崇拝、シャーマニズムなどが混交した内容である。集落の高いところにはホイェと呼ばれる、寺のような神社のような建造物があり、シニ(ラフ・ニ族の聖日である新月と満月の日)になると村人たちがさまざまな供物を手に参拝する神聖な空間である。ここはトボー(祭司)やカソマ(巫女)と呼ばれる役職者がとりしきっている。
 ラフ・ニ族の宗教を仏教的と呼ぶには無理があるが、その儀礼の日程やスタイルには、タイ族の信仰する上座部仏教(小乗仏教)の影響が少なからず見られる。ミャンマーのシャン州ではラフ族とシャン族は同じ地域に居住しており、シャン族文化の影響を強く受けているからであろう。ホイェにおいて行われる儀礼には、以前にも紹介したセコ・シニ(4月のソンクラーンの時期に行われる砂の山の儀礼)などのように、タイ仏教の折々の法要や儀礼に対応するかのように実践されるものが多い。
 6月に行われるサマ・タン・ヴェ(「とうもろこしを供える」の意)もそのひとつである。これはタイの仏教行事のひとつカオ・パンサー(入安居)と同時期に行われる儀礼で「とうもろこしの祭り」とも呼ばれている。カオ・パンサーは寺で修行に入る僧侶たちがパンサー(修行期間の単位)に入るのを祝う行事であるが、ラフ族ではそういった意味合いはなく、雨期を迎えてさまざまな作物が収穫できたことを祝い、彼らの創造神グシャや先祖の霊に奉納する、収穫祭のニュアンスが強い。
ラフ・ニ族の農耕儀礼 サマ・タン・ヴェの日、夕方になると各家庭では、とうもろこし、さといも、しょうが、とうがん、野菜などを用意し、家庭内の少なくとも誰か一人(女性であることが多い)が村のすべての家々を巡回して、その収穫物を少量ずつ各家の祖霊が祭られた場所(テマライ)に供えていく。したがってこの儀礼を行うには少なからぬ量の作物が必要になるが、自分の家にもそれだけぶんの作物がほかの家から分配されるのである。作物を交換、分配するという行為によって自然の恵みをシェアしあうラフ族の共存の思想や価値観がここでも象徴的に示されている。すべての家庭に作物を届け終わると、最後はホイェに行き、同様に作物を神殿に奉納して帰ってくる。
 一方、10月のオーク・パンサー(出安居)に対応して行われるのが「ジャス・タン・ヴェ」(「新米を供える」の意)である。10月のタイ北部はちょうど陸稲の本格的な収穫の直前にあたり、新しい稲穂を刈り取って先祖の霊に供える。やりかたはサマ・タン・ヴェと同じく、米、とうもろこしのほか、この季節の収穫物であるさつまいも、かぼちゃ、タピオカなどを各家々に配って歩く。この儀礼が終わってしばらくすれば、長い雨期が明け、山の人々が楽しみにしている乾期がやってくるのだ。


(101号掲載)

タイの山岳民族 タイトル一覧へ

 

タイの山岳民族(三輪隆) | Top

 

リスの衣装を着るラフ族−ラフ・ナシ族

カテゴリー: タイの山岳民族(三輪隆) | 2007.06.19 Tuesday

 

99号リスの衣装を着るラフ族2 チェンライ県の北部、メーチャンという町から国道線を西に入り、30キロほどいくとサムイェーグ(「三叉路」の意味)という名のアカ族の村がある。名前のとおりこの村の手前で道は二手に分かれており、左に行くと中国国民党の残党が作った村として有名なサンティキリー村(ドイ・メーサロン)へ、右に行くと、かつて麻薬王クンサー率いるシャン独立軍の拠点として名をはせたヒンテーク村へとたどり着く。
 ヒンテークを通過してさらに険しい山道を奥に進むと、ミャンマー国境の山の斜面にある巨大なリス族の村、フアメカム村に行き着く。このフアメカム村の手前数キロのところにサマケという不思議な村がある。
 15年ほど前、旧正月の祭りでにぎわうこの村へはじめて行って驚いた。村の広場では村人たちが輪になって神木の周りを踊っていた。ラフ族の村と聞いてきたのに、女性たちはみな鮮やかなリス族の民族衣装をまとって踊っていたのである。ラフ族といいながら実はリス族なのではないかと思って、リス語で話しかけてもまったく通じない。村人同士も確かにラフ語で会話している。近くのモン族やアカ族の人々も踊りの輪に加わって、楽しそうに踊っていた。確かに普通のリス族の村の新年祭りとはちょっと雰囲気が違う。
彼らは確かにラフ族だった。
 踊りの伴奏に瓢箪笙や三味線を使うのはリス族もラフ族も同じだが、ハーモニカを使うのはラフ族の特徴だし、踊りのステップもラフ族の特徴が見られる。
 彼らはラフ・ナシ族という、ラフ族の一支系である。30年ほど前にビルマのシャン州から移住してきたという。「ナシ」とはビルマに住んでいた頃の地名で、ムアン・トンの近く、ナム・シーという川の流域に住んでいたことが由来らしい。祭壇の作り方や祖霊信仰の儀礼のやりかたには漢族文化の影響が見られる。
99号リスの衣装を着るラフ族1
 ラフ・ナシ族の人々がいつごろからリス族の民族衣装を着用するようになったのかは定かではないが、おそらく数十年前からといったところで、それほど古い話ではなさそうだ。彼ら自身も自分たちの衣装のデザインがリス族からの借用であることは認めている。
娘さんたちになぜ、リス族の衣装を好んで着るのかを聞いてみると、「きれいだからよ」というシンプルな答えが返ってきた。民族衣装も不変ではない。素材もデザインも、色の好みも常に流行に応じて変化している。日本人が着物から洋服に変化したように、ラフ族の人たちが、昨日まで来ていた民族衣装を脱ぎ捨ててリス族の衣装を着始めたって、別に驚くにはあたらないのだ。
 一方で、この地域には、リス族を自称しながらその実態は限りなく「チンホー」(雲南系漢族)に近いと思われる集団も存在する。たとえばサンティキリー村の近くにあるT村。村人に「あなたたちは何族ですか」と尋ねると異口同音に「リス族です」という答えが返ってくるが、家の中に祭られた祭壇は明らかに漢族風だし、家族内で話されている言語は雲南方言の中国語である。かといって彼らが100%リス族ではないともいえない。老婆たちは日常的にリス族の衣装を身につけているし、リス語を話せる人も多い。確かにリス族の文化の一部を継承している。かつてリス族と雲南人との通婚は盛んで、特に夫が漢族で妻がリス族という組み合わせが多い。雲南省から移動してきた若い漢族の開拓集団が途中でリス族の村に混じり住み、そこで妻を娶り、集落を作り、独特の混合文化集団を形成していったと考えられる。
 このようなリス族と漢族の混合集団は一般のリス族の人々からは「ヘガ」と呼ばれている。「ヘガ」の人々は、自分達のアイデンティティーを漢族とリス族の両者におき、時と場合に応じて呼称を使い分けていると思われる。そこにはタイのIDカード取得の問題というのも微妙にからんでいる。大陸から移動してきた雲南系漢族の人たちの多くはまだ国籍を持っていない。そして近い将来国籍を取得するためには漢族を自称することは不利である。タイでは、同じ大陸からの移住者であっても漢族系の人々は国籍取得が難しく、リス族やラフ族、アカ族などと認定されたほうが有利である。タイ政府は漢族をのぞく山地民に対して、一定の期間定住を果たしたものはタイ国民として認め、IDカードを発行する方針をとっているからである。


(99号掲載)

タイの山岳民族 タイトル一覧へ

 

タイの山岳民族(三輪隆) | Top

 

アカ族の門 - ロッコン

カテゴリー: タイの山岳民族(三輪隆) | 2007.05.21 Monday

 

97号 アカ族の門ロッコン1 アニミズムを信仰するアカ族の村を訪れると、村の入り口に、日本の神社にある鳥居のような形をした木造の門が立てられているのを見ることができる。通常、この門は村の入り口にあたる場所と出口にあたる場所の2ヶ所に建てられている。これは「ロッコン」(「ロゥカン」というふうにも聞こえる)と呼ばれ、アカ族の共同体にとっては象徴的で重要な意味をもつ門である。最近は、アカ族の村にも車やバイクが頻繁に乗り入れるようになったので、村人たちは日常的に「ロッコン」をくぐって村に入るわけではない。「ロッコン」は実用的な門としてではなく、儀礼のときなどに使う「象徴としての門」として機能しているのだ。
「ロッコン」はアカ族の人々とって、人間の世界と霊の世界を分け隔てる「結界」の役割を果たしていると考えられている。門を境にして外側(森)が霊や鬼の住む世界であり、内側(里)が人間の住む世界である。人間の世界と霊の世界ではそれぞれ異なる流儀で生活しなければならず、住み分けることによって分かれて住むことによって、この世界の安定が保証されるのである。
 アカ族は病気治療などの儀礼を行うときに犬を殺して食するが、このとき、犬は必ず門の外側で殺さねばならない。また、葬式の野辺送りのとき、棺や参列者は必ずこの門をくぐって村を出て、埋葬から帰ってくるときはこの門をくぐって村に帰らなければならない。
 霊の世界である森の中にはさまざまな邪悪な霊がさまよっているが、いったんこの結界の中に入ってしまったら、そこは人の世界で、霊は人間に悪さをすることができないと信じられている。ロッコンは魔よけの門でもあるのだ。門の上の部分には、鳥や魚やカエルなどの動物、はては飛行機、ヘリコプターなどの文明の利器をかたどった木彫の細工が付加されているがこれが何を意味するかはよくわからない。守護神のようなものであろうか。
 村の中で病人がでたときには、ここで悪霊祓いの儀礼をし、また人の体から出て行ってしまった魂を呼び戻すため(アカ族では多くの病気は魂が体内から離脱するために起こると信じられている)の儀礼をする。
97号アカ族の門ロッコン2
 ロッコンの横には、同じく木でできた一対の男女の人形のようなものが並べ置かれている。男女が向かい合ってあたかも交合するように配置されているものもある。男女とも股間にはかなり誇張された性器がかたどられている。リンガ(男根)は巧みな彫刻によって、ヨーニ(女陰)はどこから見つけてくるのか、うまいぐあいにえぐられ周辺に苔が生えたりしている三又の枝などが使われている。日本の道祖神のようなものであろうか。
「ロッコン」は毎年、暑期の真っ盛りの頃、4月の「馬の日」(アカ族も暦に十二支を用いる)に、村の男たちが集まって新しいものが建てられる。稲の播種の前に行われるこの儀礼は、ズュマと呼ばれる村の長(祭司)が中心になり、村の男たちが集まって行われ、門を建てた後、生米や生卵を地面にまく儀礼が遂行される。新しいロッコンは古い門の外側に重ねるように建てられるので、古いものが朽ち果てたり倒れたりせず残っている場合、この門の数を数えれば、その集落ができて何年経過したかを知ることができる(ただし、たいていの場合、古いものは朽ち果ててしまって原型をとどめていない場合が多い)。2ヶ所のロッコンの儀礼が終わると、村に戻って、ズュマの家で料理が振舞われる。
 ロッコンは、神聖な建物であり、みだりに触れることはできない。もし村人もしくは外来者がうっかりこの門に触ってしまった場合は、豚もしくは鶏を生贄にして、儀礼をやり直さなければならないそうだ。アカの村に遊びに行くときは気をつけられたし。

(97号掲載)

タイの山岳民族 タイトル一覧へ

 

タイの山岳民族(三輪隆) | Top

 

山岳民族美人コンテスト

カテゴリー: タイの山岳民族(三輪隆) | 2007.05.21 Monday

 

94号山岳民族美人コンテスト1
 チェンライでは毎年1月下旬から2月初旬にかけての約1週間、「メンライ王の祭り」という祭りが開かれる。この祭りの目玉のひとつに「パックアド・ティダー・ドイ」(山岳民族美人コンテスト)というイベントがある。各民族から自慢の娘さんたちが民族衣装を着て、その美貌と民族衣装の華麗さを競う。一般の美人コンテストとは違って、水着審査はなく、また一般のタイ人(いわゆる平地タイ族)には出場資格はない。
 山岳民族美人コンテストは、チェンライ県のみでなく、北部の各県でもさまざまなイベントで行われている。
 コンテストは2日間にわたって、途中に地元歌手のコンサートなどをはさんでだらだらと(?)行われる。50人ほどの出場者が少しずつ絞り込まれていき、2日目の深夜近くになってようやく優勝者が決まる。
 ゲスト審査員(スポンサー企業の幹部や地元の名士など)によるジャッジのほか、観客がその出場者に手渡した風船(会場の中で売られている)の数も採点に加味されるという。しかし風船はけっこう高価なので、おいそれとは買えない。しかし、優勝すれば数万バーツの賞金が手に入るから元が取れるとばかり、会場に詰めかけた友人や親戚縁者、一族郎党らの熱烈サポーターが、財力の限りを尽くして、風船の買いしめに走っている。M族やY族など、けっこうリッチな民族の人はいいけれど、懐具合の寂しいA族やL族などは、買える風船の数も知れている。これはなんだかアンフェアな感じもするが、やはり「美人も金次第」ってところか。
 一般に山岳民族美人といえば、化粧気もなく、清楚で純朴なイメージを期待されるかたもいるかもしれないが、このコンテストは違う。化粧はあくまでこってりベタベタで、身に着ける純銀のアクセサリーも、これでもかこれでもかという感じでゴージャスきわまりない。美人コンテストというよりは、山岳民族セレブのファッションショーのような趣きだ。こういう傾向はなんとなくタイ人の価値観や美意識に追随しているようで、筆者はあまり関心がなかったのだが、今年、久しぶりにこのコンテストを見に行った。
94号山岳民族美人コンテスト2
 十数年前と比べると、出場者の衣装やメイクはさらにケバくなり、女の子の体格やプロポーションも格段に向上しているように思えた。出場者のほとんどが町で勉強している大学生や高校生で、インタビュアーへのタイ語の受け答えもソツがない。以前はこのコンテストへの出場者は、学生よりも、無職もしくは村で畑仕事をしている子の方が割合としてはるかに多く、恥ずかしながらも、賞金をあてにする周囲から促されてしぶしぶ出場するという雰囲気があったが、今では出るのは友達への自慢とプライドのためのような気がする。
 それにしても、みな誇らしげに、自信ありげな表情をしている。時代は確実に変わりつつあるのだ。喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか、筆者にはわからない。
 ちなみに今年の優勝者はタイ・ルー族、準優勝者はチンホー(雲南系漢族)だった。いわゆる山岳民族ではないタイ族、漢族系の少数民族の台頭がこのところの傾向のようである。

(94号掲載)

タイの山岳民族 タイトル一覧へ

 

タイの山岳民族(三輪隆) | Top