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我が懐かしのリス族たち 後篇

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2008.05.24 Saturday

 

Kimagure-120
 ファランやタイ人の観光客で賑わうパーイの街からほぼ平坦な道を5km進むと、リス族のナムフー村に出る。メーホーンソーン県にある他のリス族の村と比べても、この村はかなり特殊な状況に置かれている。観光地パーイからのアクセスがあまりにイージーなので、山の中に島宇宙的にポツンと孤立しているような一般的山岳民族の村のイメージは微塵もなく、外界に対して開かれているというか、開かれすぎている印象が強い。訳知り顔のファランのトレッカーなどは「スポイルされてダメだ」と簡単に決め付けるが、見方を変えれば逆にそこが興味深い。
 さて、前篇ではパーイの街で久しぶりに再会したリス族女性アパマ(以前、個人的に面倒を見ていた子供たちの母親)に誘われてこのナムフー村に出かけた。アパマの義母の家でひと息ついてから、いつもの習慣で村の中を散歩する。前回、この村を訪れたのはもう15年ぐらいも前のことになるが、村はずれに小学校があり、そのそばにかつての仕事の相棒で長年の友人でもあるソンブーンの両親が住んでいたことだけは覚えていた。この両親はずっと以前、パーイから未舗装の悪路を車で5時間以上もかかるような、とんでもない奥地の村で暮らしていたが、それではチェンマイで働くソンブーンが里帰りするにはあまりに不便だという理由から、平地に近いこのナムフー村に移ってきた。山奥でのケシ栽培(昔はそれが一般的リス族の現金収入の柱だった)に見切りをつける意味もあったらしい。
 学校近辺をうろうろしていると、校舎脇の家の庭で赤ん坊を抱いている女性がニコニコして手招きする。近づいてよくその顔を見れば、ソンブーンの妹アスマじゃないか。風の噂で街に出て働いていると聞いていたので、村にいたとは意外である。実は、彼女は私が15年前にチェンダーオの滞在施設を立ち上げた当時の従業員だった。といっても、その滞在施設のあまりの寂しさに耐えかねてホームシックにかかり、たったの3ヵ月で辞めて村へ逃げ帰ってしまったのだけれど。
「あのときは子供だったからね」と彼女は照れくさそうに笑う。「17歳じゃ、無理もない。雇ったこちらが悪かったんだよ」と謝ったところ、「ほんとうは14歳だったの」と返されて驚く。ソンブーンが妹を雇うようにさせるためについた嘘が15年もたってようやくばれた。当然、もう時効だから怒る気もしない。それどころか、お互いに顔を見合わせて大笑い。
「アタはどうした?」と訊いてみる。アタはアスマの義兄で、これまた当時の従業員だった。今から考えると、たった3人とはいえ、従業員全員がリス族という超ユニークで非常識な滞在施設だったのだ。このアタもアスマの後を追うように、その数ヵ月後に職場を放棄して去っていった。
 このときに私が学んだことは、山岳民族のような極めて血縁的結束の固い村落共同体で暮らしている人間を個人として切り離してしまうと、まるでバッテリーが切れるように時間が経つにつれ生命力が萎えて、やがて元気がなくなってしまうということだ。つまり、彼らは個人として存在する前に村落的共同体の中に包まれて生きている。解かりやすく説明すれば、村落共同体が充電器の役割を果たしているわけだ。チェンダーオの滞在施設も山岳民族の村も自然環境的に「寂しい」ことにたいした違いはないが、彼らが「寂しい」と訴えるのは人間的な絆が切れてしまった状況にあったからだ。こうした人間のあり方は生物学的(社会学的?)には、むしろごく自然で当然のことなのに、日本を含む近代社会ではまず個人としての人間(いわゆるヒューマニズム)をむやみに強調する傾向がある。これはおかしくないか?
 さて、アタに話を戻すと、数年前に覚醒剤の運搬現行犯で捕まって、現在は刑務所に入っているという。そのときに、ソンブーンのいちばん上の姉の旦那ウドムも一緒に捕まったとのことだった。ウドムは中部タイからやってきたタイ人で、以前はソッポン(メーホーンソーンとパーイの中間にあるパーンマパー郡の村)の近くでゲストハウスをやっていたが、商売的に失敗してとんだ仕事に手を出してしまったらしい。傷だらけになって、バンガローを自力で建てていたウドンの姿が幻のように浮かんで消えた。
 ともかくも、働き手の旦那を失った2人の姉とアスマはやむなくバンコクに出て、マッサージの仕事をしながら生活費を稼がねばならなかった。ナムフー村からはチェンマイへもたくさんの女性たちが働きに来ているが(実際に何人もの女性に会ったことがある)、バンコクのほうがはるかに稼ぎがいいということだった。
 そういえば庭の一角に、この家には不似合いなバンコク・ナンバーの乗用車が駐車しているのが気にはなっていた。予想通り、それはアスマの恋人のものだった。車の脇の寝椅子には太ったタイ人が横になっていた。「ソンブーンには内緒にしてね」とアスマは念を押す。
 やがて、家の奥から両親が出てきて、「やあ!」と15年ぶりの再会の握手をする。こちらの頭はみっともなく薄くなったのに、お父さんのカクシャクとした様子にはあまり変わりがない。この日はリス族の新年祭だったので、家族の皆さんと村はずれの小高い場所にある祠にお参りに行くことになった。もちろん、赤ん坊の父親であるタイ人男性も参加して神妙な顔で儀式の様子を見守っていた。ついでに、私も首に糸を巻いてもらったら、気のせいか人間の絆が元通りに戻ったようで嬉しくなった。



(120号掲載)

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我が懐かしのリス族たち 前篇

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2008.05.24 Saturday

 

Kimagure-118
 今や北タイで赤丸急上昇中の観光地となったパーイの街を歩くと、やたらとリス族の姿を見かける。この辺にはリス族だけでなく、カレン族やラフ族もたくさん暮らしているのに、民族的プライドや性格のためか、あまり表立った場所に出てこない。その結果、消去法的にリス族の姿ばかり目立ってしまうことになる。
 おまけに、鮮やかな原色を組み合わせたリス族女性の美しい衣装は黙っていても人目をひく。ひとりでも優に5人分ぐらいの存在感があるので、実際の数よりもはるかに多くのリス族がいるような錯覚に陥る。本来、パーイの主な住民はタイヤイ(シャン族)であるにもかかわらず、何の予備知識もなければ、ファランとリス族がこの街の主人公だと思ってしまうだろう。考えようによっては、それもあながち間違いではないのだけれど。
 性格的にもリス族は良く言えば外交的、悪く言うと図々しい。私がリス族と抜き差しならない仲になったのも、この物怖じしない積極的な性格が一因だったかもしれない。こんなふうに書くと、「ははぁ〜ん、さてはリス族の愛人でもいたのかな」と詮索されそうだが、残念ながら、これまでいくらでもチャンスはあったのに、どうしたことか一度もリス族の娘さんとは色恋沙汰の関係になったためしはない。「抜き差しならない仲」を具体的に詳しく語りだすと、このコラム100回分ぐらいのスペースは軽く費やしてしまうはめになってしまうから、それはいずれ別の機会に譲ることにして、ここではごく簡単に「今から約20年前にたまたまソッポン(パーイとメーホーンソーンの中間地点)で知り合ったリス族の子供たち4人の父親代わりをして以来、ずうっと腐れ縁(?)が続いている」と説明するにとどめよう。
 さて、今年の中国正月の当日、観光客で賑わうパーイの街のメインストリートを歩いていると、路上で手芸品を売っているリス族女性に呼び止められた。彼女こそ、この腐れ縁の張本人、つまり4人の子供たちの母親アパマ(リス族では8番目の娘に付けられる名前)だった。それなら、「やっぱり父親代わりの私といい仲だったのでは?」と疑われても当然だが、そうじゃないからややこしい。
4、5年ぶりに会ったアパマ(CHAOサイト本コラム記事「人を狂わせた話」中篇・後篇に登場)は長らく麻薬中毒状態にあって、メーテーンの麻薬療養所やメーホーンソーンの刑務所を出たり入ったりしていたが、ようやく更生することができたらしい。更生と言えば聞こえはいいが、タクシン政権時代の厳しい取り締まりによって覚醒剤の価格が高騰し、金もない母親としては万事休すとなったわけだ。今はパーイ病院の近くに部屋を借りて、海外に出稼ぎ中の長女の息子(つまり孫)の面倒を見ながら、こうやって仕事に励んでいる。あの怠け者のアパマがよくぞここまで自力で立ち直ったと感心するばかりだ。人間、なせばなるじゃないか!
 せっかく感心していたのに、私のレンタル・バイクを見たアパマは、書き入れ時のはずの仕事を放り出して、リス族の村の新年祭に遊びに行きたいとせがむ。中国正月のこの時期に合わせて、リス族の村では新年祭が行われる。仕事嫌いで遊び好きの性格は相変わらずだが、正月ぐらいはまあいいか。ちょうど私も新年祭に行こうと思っていたところだったので、「渡りに船」の話ではある。元麻薬中毒患者であろうとなかろうと、リス族の知り合いと一緒に行ったほうが、祭りは楽しくなるに決まっている。
 今までのパターンなら、アパマが希望する行き先はパーイから20kmほど離れた親戚の婆さん(アパマの義母)の家族が暮らすパーンペック村と自動的に決まっていた。もし街で適当な宿が見つからなければ、この日は村に泊めてもらおうかとも考えていた。とこころがその婆さんは昨年、長年住み慣れたパーンペック村を去って、パーイにいちばん近いナムフー村に引っ越したとのことだった。
 慣れないハンドルさばきでよろめきながらも、3人乗り(私とアパマとその孫)のオートバイは5km先のナムフー村に到着した。ここは街から近いだけに、村の中の様子は平地にあるタイ人の集落とさほど変わらない。まだ建てられて間もないと思われる予想外に立派な家の中を覗くと、人懐っこい笑顔で婆さんが出迎えてくれた。もう78歳になるという婆さんとは、すいぶん久しぶり(たぶん7、8年ぶり)の再会だったが、私のことはしっかり覚えていてくれた。
 チーク板の壁には、はるか昔に私が撮った子供たち(婆さんにとっては孫)のスナップ写真がきちんと額に入れて飾ってあった。さらにその上には、婆さん夫婦のおそらく30年以上前の鉛筆画のデッサンが架けてある。「中学生時代の息子が書いてくれたんだよ」と誇らしげに婆さんは言う。その息子とは別れたアパマの亭主であり、麻薬取引の罪で20年近くも刑務所に入っていた。私が父親代わりをしなければならなかったのは、そういう事情があったからだ。その父親が国王の恩赦によって数年前に出所して、新しいタイヤイの嫁さんをもらって、このナムフー村に落ち着いた。その話を聞いて、婆さんが引越しをした理由がやっと飲み込めた。
 やがて、村のはずれにある新年の祠での儀式を終えた父親が家に戻ってきた。5年ほど前に子供たちとランプーンの刑務所に慰問に行って以来の再会だった。



(118号掲載)

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やはり野に置け・・・

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2008.05.24 Saturday

 

Kimagure-116

「これから村に向かうんだけど、どのあたりだっけ?」
「ウッソー、ほんとうに来ちゃうの。それってマジやばくない?」
 電話をかけている相手は、日本の女子大生ではなくラフ族の女の子だから、もちろんこんな言葉遣いをするはずもないが、電磁波の揺れに覗く心理を解析して意訳するなら、まあこんな風になる。
改めて状況をご説明すると、チェンマイ市内にある山岳民族の在籍率70%以上の健全なカラオケで知り合ったラフ族三姉妹(64号本コラム「街に出たのはいいけれど…」 CHAOサイトご参照のこと)から、おそらく社交辞令で「1月8日に新年祭が始まるから、遊びに来てね」と誘われていたのを真に受けて、年明けから指折り数えて満を時したその8日、村に帰省しているはずの姉妹に電話で訪問先を確認した次第である。
 電磁波から伝わる空気を察して、酒の店でちょっと知り合っただけの女の子の実家まで押しかけるなんて、「まるでストーカーもどきじゃないか」といったんは自責の念にかられたが、すぐさま正当な理由を見つけて気を取り直す。幸か不幸か、偶然か必然か、チェンダーオの山奥にあるこの三姉妹の卒業した小学校の支援に長年の間、携わっていた関係上、「卒業後進路指導のための家庭訪問」を標榜する錦の御旗を掲げることができるからだ。「なんか公費での観光ツアーを視察研修旅行にでっちあげる市議会議員みたいだなぁ」と思いながらも、別に悪いことをするわけではないから、後ろめたさは微塵もない。詳しい事情は内緒だが、妻にもちゃんと行き先を告げて外出した。
 さて、電話に出た末っ子の娘さんから教えてもらった村の名は、やたら長ったらしくてよく聞き取れない。「チェンダーオ〜チャイプラカーン間の国道沿いで村の入り口にカラオケがある」という断片的情報だけをひたすら頼りに日も暮れかかる山道を運転していると、尾根道からそれるように張り出しているそれらしき村を発見。確かに道路際には、カラオケとは名ばかりのうらぶれた一杯飲み屋がある。
 村の中は、新年祭だからといって取り立てて華やいだ雰囲気は感じられない。通りかかった村人に三姉妹の家を尋ねると、誰のことかすぐ見当をつけて、「この先の新しい家だよ」と教えてくれる。街に働きに出ている年頃の美人姉妹となれば、村でも注目の的にならざるを得ない。崖っぷちに建つシンプルなセメント作りの家を見れば、木と竹で組まれた他の家との違いはなるほど一目瞭然だ。それでも、私を含めた馬鹿な客を心ならずも接待した深夜労働の代償の結果がこれかと思うと、ため息をつきたくもなる。
 家の前の空き地では、次女と三女が餅つきをしている最中で、笑顔で手招きしてくれる。新年祭の初日(あるいは大晦日と言うべきか)は、ラフ族の正月に欠かせない餅作りに励む。アンバランスなシーソーみたいな木製脱穀機の端を数人で足踏みして、臼の中のもち米(白米と赤米の両方がある)をついていく。日本の場合は、杵でつく合間に水を入れる人がいるが、こちらはその代わりにゴマ(エゴマ)を加える。これで独特の香ばしい風味が出るし、ゴマから滲み出る油分で餅が臼にくっつかない。できたての餅はすぐに鏡餅のように丸めて、松で飾った竹の棚にお供えする。
 無邪気に餅つきを楽しむ十代の姉妹の表情には、まだあどけなさが残っている。こんな愛くるしい素顔を見てしまうと、店で働いているときの彼女たちは仮の姿だと信じたくなる。「やはり野に置けレンゲ草だな」とつくづく思う。ただ皮肉なことに、その仮の姿がいつのまにか実の姿になってしまう恐れは十分にある。たとえ生活の糧を得るためと割り切ってはいても、土壌の中に含まれる毒成分は着実に根を蝕んで、やがては素朴な花を枯らしてしまう。余計な注釈をすれば、女性に関する「素朴な」という形容は実に複雑な意味をはらんでいるのだが…。
 とりあえず、村のなかではレンゲ草は健気に咲いているから、無駄な心配はもうよそう。餅つきが終わってしまえば、やることもないので、家の裏のわずかなスペースにゴザを敷いて、ささやかな新年の宴を始めることにする。宴といっても、姉妹の作ってくれたあり合わせの料理をつまみに安ウイスキーを飲むだけだが、目の前には雄大な山の景色が広がっていて、傍らにはレンゲ草が風にそよいでいる。まったく贅沢この上ないロケーションにしてシチュエーションである。
 いつしかあたりは暗くなって、息を呑むように美しい満天の星が輝き始める。これだけでも、はるばるやって来たかいがある。さあ、そろそろ新年祭の踊りが始まる時間かな?と期待していると、今日は餅つきだけで踊りは翌日からだと知らされてガッカリ。せっかく三人姉妹の民族衣装晴れ姿を撮影しようと張り切っていたのに……と意気消沈して帰ろうとしたとき、「泊まっていってもいいのよ」と次女の娘さん。さすがにそれは遠慮したが、思ってもいなかった温かい言葉に、我ながら単純にもジーンときてしまった。さらに「じゃあ、これ持ってってね」とつきたての餅をたくさんお土産にくれたとあっては、もはやむせび泣くしかない。
 というわけでこの善意に応えるべく、祭りも終盤の1週間後、よせばいいのにまたもや家庭訪問を実施したのであった。
 やっぱり、これじゃストーカーか!?


(116号掲載)

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出稼ぎの空気

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2008.03.20 Thursday

 

Kimagure114
 早朝、カムティアン市場からお堀端に向かう道の交差点を車で通りかかるたびにいつも気になる光景が目に入る。手持ち無沙汰というか、人待ち顔でうろうろしている人たちがたくさん立っている。それはいつかどこかで見たような光景である。遥か昔、満員電車の山手線の窓越しに見た新大久保か高田馬場あたりの公園でたむろしている労務者たちの姿とピッタリ重なるのだ。境遇や事情は違っても、仕事を斡旋してくれる手配師を待っている点では、どちらも似たようなものに違いない。
 交差点付近にいる人たちの周りには、街中に住む一般市民とは明らかに異質な空気が漂っている。人は物質的な身体だけでなく、空気のようなものを引きずって移動するものらしい。ファランのバックパッカー、中国人の団体観光客、日本人のロングステイヤーがそれぞれ違った空気を持っているように、この人たちは一種独特の空気を身にまとっている。それはときに山の空気だったり、異国の気配だったりする。
 ひと目でタイ人ではないと判るときもある。そのほとんどはミャンマー人で、なかにはシャン州からの違法入国者もいる。建設現場などで顔にタナカー(日焼け止めや肌の美容のために塗る木の粉)を塗っている女性がいたら、まずミャンマーからやってきたタイヤイ(シャン)族だと思って間違いない。その人たちの空気に触れると、シャン州のチャイントンやタウンジーを旅したときの記憶が甦る。ある意味では、現地を訪れるまでもなく安上がりで旅の気分に浸ることができる。
 いくら気になってはいても、交差点で車からさっと降りるわけにはいかない。横目で眺めながらそのまま通り過ぎることを何度か繰り返していたのだが、ある日、どうしても彼らの「正体」を確かめたくなった。いきなりインタビューなどしては警戒されるので、山の人が常用する布袋(このときはメーチェムで入手したラワ族バッグ)を肩から下げて、人待ち顔で交差点にしばらく立ってみた。それこそ、身にまとっている空気が違うので、傍から見て不自然なのはバレバレだが、何もしないよりはマシといった程度の努力(?)はするべきだろう。何より、むやみに人を脅かすことだけは避けたい。
 さり気なく(といっても、やっぱり不自然なのだが)ジワジワと近づいて、まず「どこから来たの?」と尋ねてみた。無視されても逃げられても仕方がないところだが、先の努力が功を奏したのか、それとも手配師と勘違いしたのか、意外とちゃんとした態度で「チェンダーオ」「メーアイ」(どちらもチェンマイの北のエリア)といった答えが返ってきた。「なーんだ、私もその辺りにいたんだよ」と急に打ち解けた会話になる。
 そこにいたのは皆、ラフ族の村から建設労働や道路工事などの日雇いの仕事を求めて街に出稼ぎに来た人たちだった。日雇いの賃金は1日200バーツだという。同じ道路工事でも、地元での日雇いだとそれよりずっと少ない(たぶん法定の最低賃金以下)はずだし、仕事だってコンスタントにあるかどうかわからない。農作業の日雇いにしても、季節によってバラツキがある。コーヒーなどタイムリーな換金作物でも栽培していない限り、村の農業だけではどうしても生活に必要な現金収入が不足してしまう。結局、こうやって街に出てくるしか選択の余地はないわけだ。
「ミャンマー人は?」と訊いてみたところ、この日は姿が見当たらないとのことだった。最近は取り締まりも厳しくなって、不法入国者の出稼ぎは少なくなっている。ミャンマー人でも、労働許可証に相当するものを持っていなければすぐに捕まってしまう。ラフ族の男性は100mほど離れた道向こうを指差して、「あそこにいるのはリス族だよ」と教えてくれる。どうやら、民族ごとに待機場所が違っているようだ。
 かつてメーホーンソーンのリス族の村で暮らしていた私にとって、リス族は身内のようなもの。そう判ると途端に気が楽になり、遠慮なくつかつかと歩み寄って話しかけてみた。偶然にも、メーホーンソーンにある馴染みのリス族の村からやってきた人たちだった。業者同士の取り決めがあるらしく、こちらも賃金は1日200バーツ。そうこうするうちに、ピックアップの車がゆっくり近づいてきて道端に停車する。待機していたリス族の何人かが(順番待ちがあるためか全員ではない)運転席の男と掛け合い、交渉がまとまると車に乗り込んでその場を立ち去っていく。こんな光景が、毎日繰り返されているのだ。
 出稼ぎに行くのは、貧しい山岳民族やミャンマー人ばかりではない。家の隣に住む裕福そうな中国系タイ人の旦那も台湾に働きに行っているし、かつては妻の両親もはるばるサウジアラビアまで出かけて仕事(父親は運転手、母親はメイド)をしている。タイの労働事情は、思いのほかインターナショナルなのだ。要するに出稼ぎの目的は、国内であれ海外であれ、社会経済レベルの高いところへと移動することによって生まれた「価値の差額」を所得のプラス・アルファとして持ち帰るということにある。
 生活費が安いからとチェンマイにやってくる日本人だって、出稼ぎみたいなものだ。ただし、この場合はより多くの収入を求めるのではなく、経済レベルの低いところへと移動することによって、より少ない支出で済まそうという魂胆だから、むしろ「マイナスの出稼ぎ」とでも言ったほうが適切かもしれない。自戒の意味も含めて、チェンマイの空気をこれ以上汚さないようにくれぐれも気をつけたい。



(114号掲載)

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まな板の上の恋

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2008.03.20 Thursday

 

Kimagure-112
 3年ほど前のことだったか、昨年、急逝されたパリ在住の女性ジャーナリストRさんが共通の友人から私の電話番号を聞きつけて、いきなり電話をかけてきたことがあった。ずっと長い間、音信普通状態の後での突然の「再会」だったので、こちらもどぎまぎして何を話したのかよく覚えていないのだが、「あのときいただいたまな板、まだ大切に使っていますよ」という言葉だけは妙に記憶に残っている。
 あのときというのは、Rさんが心機一転、仕事の場を東京からパリに移したときのことで、それは私がタイに来るよりも前のことだから、もう20年近い昔の話になる。当時、マイナーというかマージナルな雑誌でRさんの担当編集者だった私は、彼女のリクエストに応えてパリ行きの餞別として檜のまな板をプレゼントした。実のところ、そんなことはすっかり忘れていたのだが、思いがけないこのときの電話の言葉にちょっぴりジーンときてしまった。お互いの関係が途切れてしまったようでいて、長い時間と場所を隔てながらも、まな板を通じてRさんと私の絆はともかくもつながっていた……そのことを知ったとき、形而上学的超時空恋愛とでも言うべき、何とも不思議な気分に浸ることになった。
 個人的な感傷はさておき、あのとき、なぜRさんがまな板なんかを欲しがったのか? タイという外国に暮らすようになってから、初めてその理由が納得できた。こちらのスーパーなどでも、見かけだけは日本と同じような長方形のまな板を売ってはいるが、実際に使ってみると包丁の刃があたるときの感触がまったく違う。木材の種類のせいだろうが、檜みたいに優しくしっくりと刃を受け止めてくれる感じがなく、逆に刃を拒絶するような硬質なリアクションに違和感を覚える。とくにキュウリやキャベツの千切りなどをしてみると、その差は歴然としている。包丁がまな板の上で跳ねてしまって、微妙なコントロールがおぼつかない。
 おまけに、コツコツとまな板を叩くたびに、ステンレス包丁の刃でもどんどん鈍くなっていくのが実感として判るから、精神衛生上まことによろしくない。鈍くなれば砥石で研げばいいだけのことだが、その砥石の適当なものがタイではなかなか手に入らない。以前、そんな不満を某日本料理店で漏らしたところ、ご主人がランパーン産の砥石を調達してくれてずっと愛用している。それでもやっぱり日本のものとまったく同じというわけにはいかない。
 プラスティックのまな板なら、包丁の刃の劣化もそれほどではないはずだが、これはもう見た目だけで無粋でいただけない。かくなるフラストレーションがピークに達していた頃、ちょうど日本からこちらにいらっしゃる知り合いの方から「何かお土産に欲しいものはありませんか?」と訊かれた。まさに「渡りに船」とばかりに、かつてのRさんと同じく檜のまな板をリクエストしたのは言うまでもない。それ以来、我が家のまな板問題はすっきり解決し、キュウリの千切りにも再び快感を覚えるようになった。
 遅まきながら弁護すれば、一般的に使われるタイのまな板にもいいところがある。マカーム(タマリンド)の大木を輪切りにした円形のまな板は、その上で骨付きの肉をぶった切ろうが、ラープ(ハーブ入りミンチ肉)作りのために肉を延々と叩き続けようが、ビクともしない。正目の檜のまな板では、こうはいかない。乱暴に扱えば、ひび割れしかねない。タフネスぶりでは、断然、丸型まな板に軍配が上がる。ただ、村人などはこの手のまな板を使用した後、水洗いもせずに包丁で表面をこすっただけで済ましたりする。衛生的観点すると、こればかりはどうしても抵抗がある。
 ラオスのルアンパバーンでメコン沿いの朝市を覗いていたら、おばさんが丸型まな板を売っていた。タイのものとは異なり、面白いことに3本の足が付いている。つまり三脚まな板である。三脚は安定するから理にかなっているのだが、足は2本の釘で取っ付けただけのもので、いささか心もとない。たしかに地べたにまな板を置いて調理するよりは、足付きで高くなっていたほうが便利には違いない。日本人には思いもつかないアイデアだと感心した。
 まな板の形態の違いは、尽きるところ食文化の違いである。おそらく、日本料理ほど、包丁とまな板を大切にする食文化はないだろう。タイ料理では、野菜でも肉でも魚でも、まな板の形状や材質がどうであろうと、とりあえず包丁で切ればいいわけで、調理の要諦はそれ以外のところにある。包丁の刃が多少欠けていようが、切れ味が悪かろうが、神経質に気にすることはない。包丁もまな板も消耗品に過ぎない。ダメになったら、また買い換えればいいだけのことだ。
 先日、そんな確信をさらに強くするような「事件」が我が家で起こった。私が毎日、欠かさず庭先から水遣りをしてようやく幹の太さが腕ぐらいまでに生長した街路樹が知らないうちに妻の手によってバッサリと切られてしまった。しかも、その作業に使われたのが斧でもノコギリでもなく、大きめの中華包丁だと判って絶句した。木も包丁も可哀想なことこの上ない。その恐ろしい光景を想像しただけで、嗚呼、くわばら、くわばら。


(112号掲載)

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君は火の玉を見たか?

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.12.06 Thursday

 

きまぐれ一発コラム110号
 ほぼ1年ぶりにビエンチャンを訪れた。いつもならラオス航空を利用するのだが、今回は旅の友Sさんの提案もあって、格安航空会社ノックエアーのチェンマイ〜ウドーンターニー便で行くことになった。料金はラオス航空の4分の1と激安だし、一度ぐらいは国境橋を越えてラオスに入国してみたかったからだ。事情通によれば、多数の応募者の中から選ばれたノックエアーのスッチーの容姿レベルはタイ航空以上とのことで、実はそれが理由だったりして…。
 ウドーンの空港からは国境までリムジンも出ているが、夕刻遅くにチェンマイを発つフライトなので無理することもなかろうと、ひとまずノーンカーイのホテル予約をした。ところが、その後、手配をしたツアー会社から「今のノーンカーイは特別料金で、先ほど申し上げた値段よりさらに高くなりますが…」と電話が入った。オークパンサー(出安居)の前日だから高いのか?と首を傾げつつも、それならと平常料金のウドーンのホテルに予約変更してもらった。
 そのウドーンのホテルの部屋に入ってテレビをつけたら、ちょうど夕方のニュースをやっていた。メコンの川岸にアナウンサーが立って、「今晩からもうノーンカーイのホテルは満室になっています。今年は果たしてバンファイパヤーナークが拝めるでしょうか? 皆さん、それが気がかりで明日の晩まで待てない様子です」とレポートしている。
 それでやっと特別料金の事情が飲み込めた。バンファイパヤーナークとは、毎年、陰暦11月15日(15夜の満月)のオークパンサーの日に限ってメコン川から上がる「火の玉」のことである。バンファイは祭りのときに火をつけて空へと放つ手製ロケット、パヤーナークはメコン川に棲むと信じられている龍の神様を意味する。この不思議な現象は、数年前に映画の題材にもなった。自然現象なのか、本当に龍神が火を吹いているのか、はたまたインチキか?と大論争になり、政府も本格的調査に乗り出す始末。そのおかげで、今やこの「火の玉祭り」はノーンカーイの一大観光イベントになっている。
 翌日は、午後になるとノーンカーイ周辺の道路が渋滞し始めるというので、早めにウドーンを出発して昼前に国境に着いた。ビエンチャンまでの移動を頼んだ車の運転手に「バンファイパヤーナークはラオス側でも出るのか?」と訊いてみると、「もちろん」との答えが返ってきた。狙いを定めたわけでもないのに、この日にビエンチャンに来ることになったのは、それこそ龍の神の思し召しかもしれない。せっかくの機会だからと、その運転手にホテルまで迎えに来てもらい「火の玉」見物を決行することにした。
 夕方の5時頃、Sさんと私、それに現地の友人たち4人を加えた総勢6人がワゴン車に乗り込み、ビエンチャンから約60kmも離れたハイパークグム村を目指す。1時間半ぐらい幹線道路を走った後、未舗装のデコボコ道に入り、土埃を上げながらしばらく進むと村に到着。岸まで歩いて行く途中には、焼き鳥などの屋台が並んでいて、縁日の夜店のような雰囲気だ。既にたくさんの見物客がゴザを敷いて川岸の場所を陣取っている。固唾を呑んで今か今かと「火の玉」の出現を待つといった緊迫感は微塵もなく、のんべんだらりと飲み食いしながらのピクニック気分、宴会ムードが充満している。
 じっと立って待っていてもしょうがないので、我々も焼き鳥屋の特設テーブルに腰掛け、何はともあれビアラーオを一杯ひっかけることにする。その気満々のSさんだけは、要領よく崖っぷちの特等席まで辿り着き、川面をずっと眺め続けている。川までの落差はかなりあるから、落っこちたら大変だ。確かに夜空には満月が浮かんでいるが、川から立ちのぼる水蒸気のためか、輪郭がぼんやりしている。
 ビールを飲みながら、地元情報誌を編集しているMさんに「火の玉」の真偽のほどを尋ねる。彼は今まで2回も見物に来ているのに、まだ見たことがないという。川のガスが燃えるという説もあるが、自然現象ならこの日だけというのは納得がいかない。かといって、インチキをしているわけでもなさそうだ。水蒸気の多い時間になると、蜃気楼で遠くの光、例えばオークパンサーの祭りの灯りなどが浮かび上がってくるようにみえると考えれば一応の理屈は通るものの、これといった確証に欠ける。
 そんな話をしているうちにも、何度か歓声が沸く。すぐ振り返って川のほうを見やるが、花火だったり、ローイクラトンの灯りだったり、ときには可愛い女の子が通り過ぎただけだったり…。もし本物の「火の玉」が上がったとしても、この人垣ではちゃんと確認することは難しい。
 やがて9時過ぎには歓声も少なくなり、見物客はぞろぞろと帰り始める。結局、我々のなかでの目撃者はSさんとラオス人の2人だけ。「水中から火の玉が上がってきたから、明らかに花火とは違う。白、赤、黄の光の尾のようなものも見えたけど、10秒ぐらいで消えてしまった」 Sさんのリアルな話を聞いていると、ビアラーオのほろ酔い効果も手伝って、見てはいないのになんとなく見たような気になってきた。逆に本当に見てしまったら、つまらないような…というのは負け惜しみに過ぎないか。とりあえず、今回は曖昧模糊とした「火の玉」で満足することにしよう。


(110号掲載)

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街に出たのはいいけれど・・・・・・

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.12.06 Thursday

 

きまぐれ一発コラム108号 
 行きたいけれど、行きたくない。いや、行きたくないけれど、行ってしまうのか。何をわけのわからぬことをほざいているのか、と我ながら呆れてしまうが、これが現在の嘘偽りのない気持ちなのだ。
 初めからそんなところに行かなければよかったとぼやいても、それこそ後の祭りである。羽虫や蛾が命と引き換えに灯りに飛び込むように、男という生物はリスクを犯してでも夜の街に煌くネオンに引き寄せられる。
 ある幹線道路の交差点を過ぎたあたりに、ひときわ怪しい光を放っているネオンサインがあった。しかも、なかなか意味深な店名(具体名は敢えて差し控えさせていただく)である。本能的かつ動物的な嗅覚をくすぐられるのか、いつも車で通り過ぎるたびに気になってはいたのだが、なかなか独りでは飛び込む勇気が出ない。かといって、友達を誘えば、「こんなチンケな安っぽいところは真っ平」と拒絶反応を示されかねない。それなら、あっさり諦めればいいのに、かえって気になって仕方がない。
 ある晩、ほろ酔い加減の勢いに任せて、思い切ってその「気になるお店」に潜入を試みた。店(というよりアパートのような建物)の前にたくさんの女の子が腰掛けているところは他のカラオケと変わりないが、どの娘も媚を売るような仕草も見せず、伏目がちにしている。客の姿を見つけるや、逃がしてはなるものかと100mダッシュ並みの猛スピードで駆けつけるママさんもすぐには現れない。すべてが、どことなく控えめな様子なのだ。
 とりあえず、表情が人懐っこい女の子を手招きして大部屋に入る。天井にはお決まりの小道具のミラーボールが回り、いかにも場末(本当はチェンマイの中心部)のしみったれた雰囲気が漂う。リクエストをしようにも、日本語はおろか、英語の歌さえ1曲もない。普通の日本人なら時間を持て余して、すぐに飛び出してしまうに違いない。逆に、こんな場所でも居心地よく感じてしまう私は、普通の日本人ではないということか。
 警察官のようにいちいち身元を洗うわけではないが、会話のきっかけ作りのために型通りの尋問に取り掛かる。こうしたインタビューは私的文化人類学のフィールドワークみたいなもので、助平心を抜きにしても、なかなかに興味深い。
 聞けば彼女はコン・ムアン(北タイ人)ではなく、チェンダーオの奥にあるリス族の村からやってきたばかりだという。待っていましたとばかり、片言のリス語を口に出してみると、それだけでその場が盛り上がり、自然な親近感、連帯感が生まれる。かつてメーホーンソーンの山村で暮らしていたときに少しだけ覚えたリス語がこんなかたちで役立つとは思わなかった。
 今やこの手の店でリス族などの山岳民族に会うのは、別に珍しいことではない。街に出てきたところで、学歴も資金もない山岳民族の若い女性が働く場所は限られている。食堂の給仕程度では、自分が食べていくだけで精一杯、親兄弟に仕送りすることもままならない。結局は、タイマッサージ店やこうした水商売系の店に流れていくことになる。
 たまたま覗いてみたこの店だったが、怪しい見かけによらず、予想外に健全な雰囲気が漂う。働いている女の子たちも感じがいいし、何より料金がとびきり安い。そこが気に入って、息抜きに(それ以上、息抜きしてどうするの?というご意見は承知の上で)ときどき立ち寄るようになった。
 毎回、そのときの直感でビビビーと閃いた女の子を選ぶわけだが、どうしたものか、いつも隣に座ってくれるのはリス族、アカ族、ラフ族など、山岳民族の娘ばかり。初めのうちは、もともと山好きの私のアンテナが正確に作動したものと思い込んでいたが、やがてこのお店の女の子の実に70%以上が山岳民族だということが判明した。アンテナの性能ではなく、単純に確率の問題だったのだ。それにしても、この確率の高さには唖然とする。
 その傾向を知って、ますますフィールドワークに励むようになったことは言うまでもない。ゴールデン・トライアングル周辺のアカ族の村の娘、パーイ近くのリス族の村の娘、チャイントンからファーンにやってきた両親を持つタイヤイ族の娘……と着実に基礎的資料が蓄積されていく。
 さて、今晩の取材対象者はまだ幼さが残る笑顔の愛くるしい娘さん。例によって、まずどこに住んでいたか尋ねてみると、よく知っているチェンダーオのラフ族の村の出身だった。それだけなら驚くこともないが、話を聞いていくうちに、「これはマズイ!」と思った。十年近く個人的に支援してきた山岳民族の小学校の卒業生だったからだ。しかも、この娘を含めてここで働いている3人姉妹全員がそうだという。水商売なんかで働くはめにならないように、ずっと教育支援してきたつもりなのに、目の前に突きつけられた現実はいかんともし難い。さらに客として鼻の下を伸ばしている支援者の立場のふがいなさ。今さらいったいどんな顔をしたらいいのか。だから、どうしたって複雑な心境にならざるを得ない。
 ただ、救われるのは、こちらの困惑をよそに、肝心の女の子たちが実にあっけらかんとしていることだった。 


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制服が危ない!?

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.09.29 Saturday

 

気まぐれ104b
 はるか昔、私がまだ中学生だった頃、当時の大学紛争の感化を受けて、高校でもその真似事のようなことをやる背伸びした学生たちがいた。私の通っていた中高一貫教育の学校でも、高校の先輩がいきなりバリケード封鎖をしたり、どさくさに紛れて気に入らない先生に腹蹴りを入れたりする事件が起きた。
 その「紛争」の結果、肝心の教育内容は一朝一夕にそう簡単に改まるものではなく、何が変わったかと言えば、詰襟の学生服が廃止されて、翌年からは私服通学が許されるようになった。つまり、その頃の制服は画一的な規則を押し付ける体制(学校)側の象徴であって、その廃止は自由を獲得した成果とみなされていたわけだ。
ここタイでは、制服に対してそこまでの意味付けはない。小学生から大学生まで、学校へは条件反射的に制服を着ていく。それが、あまりにも当たり前のことになっているので、生徒も先生も制服に対して何の疑問も抱かない。
 とくに小中学校では、いろいろな規則があって制服も一通りではないから、結構やっかいだ。曜日によって、普通の制服、体操服、民族服、ボーイ(ガール)スカウトの服など、何種類ものユニフォームをとっかえひっかえしなければならない。保護者が負担する衣服にかかる費用だけでも、馬鹿にならない。貧しい家庭の生徒が多い山の学校でも、学校側は生徒に同じ規則を当てはめようとする。山岳民族衣装は普通の服よりもずっと高くつく場合が多いのに、「もっと新しい服を着て来い!」と無理な注文をつける先生もいたりして、親たちを困らせる。山岳民族の経済レベルでは、新年祭のときなど、年に1回でも民族衣装を新調できればまだいいほうなのだ。
 今の日本の一般的感覚からすると、大学でも制服があるのはちょっと奇異な感じがするが、タイではごく当然のことのように白いシャツと黒っぽい無地のスカート(ズボン)の着用が義務付けられている。そのせいか、タイの大学生は一見して高校生に毛が生えた程度にしか見えない。かつて、メージョー大学で日本語を2年間教えた経験から言えば、見た目だけでなく性格的にも素直で初々しい。
 この際、男子学生はどうでもよいとして、かくも素直で初々しい女子学生がシンプルこの上ない白と黒の制服を身に着けているのだから、美しくないわけがない。とりわけ北タイの女性は肌が白く、足もすらりとした人が多いので、制服姿が際立って魅力的に見える。青いスカートをはいている中学生時代は、ずんぐりむっくりしたどんくさい女の子が多いように思えるのに、大学生になって黒いスカートを着用すると、どうしてこんなにもスマートに変身してしまうのか、まったく不思議である。制服の違いのせいか、制服に合うように努力して身体をアジャストしているのか。いずれにせよ、制服がこの謎を解く鍵を握っていることは間違いない。
気まぐれ104a
 白と黒の単純な色彩と無駄な装飾を廃したシンプルなデザイン。この制限をちゃんと守りながら、若い女の子たちは精一杯のお洒落を楽しもうとする。ここ数年の傾向として、限られた条件のなかでデザイン的にちょっとした工夫を凝らした制服が登場してきた。はち切れんばかりの健康的な身体にぴったりフィットしたブラウス、カモシカのような足を惜しげもなく披露する少し短めのタイトなスカート。人呼んで「ボディコン制服」、よりマニアックには「パッツンパッツン(なぜか2回繰り返し)制服」とかいうらしい。清楚でありながらセクシーという二律背反をさり気なく両立させた点が何より奇跡的だ。これこそタイの制服が到達した最高の美的レベルを示すものに他ならない。制限があるから、かえってそれをバネにして新たな文化が生み出されることになる。イマジネーションが枯渇した昨今の日本人がもてはやす「エロカッコイイ」なんて下品なコンセプトとはまるっきり次元が違う。
 このパッツン(繰り返し省略)制服を眺めては、鼻の下を長く伸ばしているチェンマイ在住オジサン族も多いことは想像に難くない。かく言う私に備わっている本能的センサーも、セーラー服などではピクリとも作動しなかったのに、このタイの制服が視界に入るや否や瞬時にして針が振り切れる。恥さらしのついでに告白すれば、某大学正門近くの食堂のカウンターに腰掛けて一杯やりながら、夕暮れ時の通りを夢のように流れていく女子学生の制服姿の群れを呆然とただ眺めているだけで、ささやかにも幸せな気分に浸ることができる。ただひたすら心の中で「色即是空(繰り返し)」と呟きながら。
 ところが、この密かな楽しみを奪うかのようなニュースが舞い込んだ。6月28日付けの時事通信によれば、「タイ政府と各大学はこのほど、女子大生の制服規制に乗り出した。体の線がはっきり分かるブラウスやミニスカートの制服を着る女子大生がまん延しているためで、 一部の大学はこうした服装の女子大生が教室に入ることを禁じるなど、厳しい締め付けに出ている。同国では数年前から、体に密着する小さめのサイズの白いブラウスやスリットが入ったミニスカートを身に着ける女子大生が増え始めた。教育、文化両省と30大学の代表は『不適切な制服は、セクハラや人身売買の被害者になる恐れがある』などとし、規制に合意。制服販売業者には、丈が38センチ以上のスカートを売るよう求めることを決めた」というのだ。
 どこの国でもお役人の考えることは似たようなものだが、なんて野暮なことをするのだろう。純白のブラウスで既に十分に締め付けている華奢な女の子の身体を、さらに激しく規制で締め付けるなんて。もちろん制服には罪はない。だったら若いピチピチした肉体がいけないのか。いけないのはそのどちらでもなく、問題は見る側の妄想にある。妄想を断ち切るために、制服に規制を加えようという発想はあまりに浅薄だ。そもそも妄想はイマジネーションの一種であるから無限大であり、それを制限しようとすればするほどかえって膨れ上がる困った性質を持っている。
 さらに、どのくらいまでのパッツン度は許されて、どの程度以上だったらダメなのか、その基準がはっきりしない。若い健康的な女性は食欲旺盛であって当然だし、身体の成長も早い。つい食べ過ぎて、先月買った制服がパッツンパッツンになった場合でも教室に入れないとしたら、明らかに教育機会均等の原則に反する。制服のささやかな自由まで認めない大学側の姿勢は狭量に過ぎやしないか。
 ベトナムの民族服アオザイと並んで勝手に私的世界遺産に指定しているタイの制服が危ないとあっては、もうじっとしていられない。さすがにちょっぴり心配になってきて、某大学のキャンパスへと実地調査にでかけることにした。確かに気のせいか、女子学生の制服が控えめな感じになっているような・・・・・・と意気消沈しかかったとき、向こうから「危ない制服」がこちらに向かってやって来た。やっぱりどの学校にも、通達なんか守らない立派な不良学生がいるものだ。いけない女子学生よ、もっと頑張れ! 陰ながらいけないオジサンたちも応援しているぞ。


(104号掲載)

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マスオ的生き方のススメ 後編

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.07.21 Saturday

 

気まぐれ101号マスオ的生き方後篇 男らしい生き方とは何か? そんなことは日本にいるときは、一度も考えたことがなかった。考える必要もなかった。男らしくても男らしくなくたって、どうでもいいじゃないか。ただひとりの人間として日々生きていけば、もうそれで十分だと思っていた。
 ところが、こちらに暮らし始めてタイ人の妻を持ってからは、そのどうでもよかったことがやたらと気になるようになった。「男らしさ」とはいちばん縁遠い存在であるはずの私でも、ときどき発作的に「俺は男だぁ〜!」「日本男児だぁ〜!」と声を大にして叫びたくなることがある。もちろん、実際に叫んだところで聞いてくれる人もいないので、無念のうちにその言葉を呑み込まざるを得ない。
 母系社会の北タイの農村では、男性は実質的に婿入りするかたちで(つまりあのサザエさんの旦那、マスオさんのように)妻の実家かその周辺で暮らすことが多い。風習と言えばそれまでだが、おそらくそうした家族関係のあり方が農村社会ではいちばん自然なものであり、現実的なシステムとして円滑に機能するのだろう。タイに限らず、東南アジアの農村では母系社会が主流らしい。
 タイ人の男性は、この家族関係をあるがままに受け止め、すんなりそのシステムに組み込まれて生きている。自分の置かれた境遇に疑問を感じることもなく、当然のこととして受け入れている。例えば、自分個人の立場より、まず妻の家の事情を優先する。妻からきつい口調で命令されても、素直にハイハイと従う。妻が忙しいときやご機嫌斜めのときは、率先して料理を作ってあげる。これはポリシーとか判断とかいったレベルの問題ではない。農村に生きる男としての本能的かつ生物学的な反応であって、長年の経験に裏付けられた生活の知恵なのだ。ときには、どうしたってフラストレーションが溜まることもあろうが、酒や博打で気を紛らわすことで簡単に解消できる。
 北タイの農村出身の女性と結婚したからには、このようなタイ人男性の立派な(?)態度を見習う必要があることは十分に承知している。そうしなければ、夫婦関係がギクシャクすることも解っている。あっさり観念して、模範的なマスオさんになってしまえばいいだけのことだ。あとは気楽な生活が待っているに違いない。それなのに、ケチなプライドや理屈が邪魔をして、なかなかマスオさんになりきれない。そこに悲劇が生まれる。
 推測するに、タイ人を伴侶に持つ日本人男性は、多かれ少なかれ、このような葛藤のなかで悶々とした毎日を過ごしている。だからこそ、つい心の中で「俺は男だぁ〜」と叫んでしまうことになる。必要以上に男を意識するのは、実感として自分が女性からまともに男として扱われていない不満があるためだろう。もっとも、女性の側からすれば、タイ人男性に対するのと何ら変わらない、ごく普通の態度で日本人の旦那に接しているだけのこと。特別な配慮などしてくれない。どちらの立場にもそれなりの正当性は認めよう。でも、ここはタイだから、このお互いのズレの原因はむしろ日本人男性側にあると反省したほうがいい。男性側が歩み寄りさえすれば、問題解決への道は開ける。
 改めて言うまでもなく、日本でもとっくの昔に伝統的家長制度は根底から崩壊した。一家の柱である父親の権威はもろくも失墜し、亭主関白などはすっかり道化的存在となった。女性上位時代と言われて久しいはずなのに、実は日本人男性の意識の中には旧態依然とした男尊女卑的な考えが多少なりとも残っている。普段はおとなしく鳴りを潜めているが、タイ人女性のつっけんどんな態度に接したりすると、突如としてその正体を現すことになる。儒教的考えに通じる男尊女卑は、一種のイデオロギーに過ぎない。だが、北タイのこの母系社会では、イデオロギーはまったくお呼びでない。重要なのは目の前の現実だけである。ここが何より肝要なところだ。
「妻は夫につくす。妻は夫の意見に素直に従う。妻は夫の身の回りの世話をする・・・」などと、北タイに住んでいながら日本でももはや通用しないような時代錯誤的な硬直したイデオロギーにとらわれているから、余計な葛藤に悩むことになる。いっそのこと、思い切ってまったく逆の生き方を実践してみてはどうだろう。つまり、「夫は妻につくす。夫は妻の意見に従う。夫は妻の身の回りの世話をする・・・」という献身的スタイルを堂々と貫く。これこそ、見事なマスオさん的生き方に他ならない。いったん潔く切り替えてしまえば、どれだけ毎日の生活が楽しくなることか。
 マスオさんとして蘇生する前に、せめて夢の中でもいいから妻に言われてみたい。「お仕事どうもお疲れ様でした。お風呂になさいますか、ご飯になさいますか」と。ついでにもっと贅沢を望むなら、三つ指をついて優しい声で言って欲しい。
 やっぱり、イデオロギーの呪縛から完全に解放されるまでは、もうしばらく時間がかかりそうだ。


(101号掲載)

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マスオ的生き方のススメ 前篇 

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.07.21 Saturday

 

気まぐれ100号a 遂にというほど大袈裟なことではないが、本誌もめでたく100号目を迎えた。この気まぐれな不定期連載コラムもいつのまに60回を越えたから、打率で言えばなんとか6割をクリアしたことになる。天才イチローを上回ったかと思うと感慨もひとしおで、自分で自分を誉めてあげたくもなるが、「それは打席に入っただけで打率じゃないだろう。ヒットも少ないくせに…」と改めて指摘されれば、もはや反省するしかない。
 というわけで、記念すべき今号では長らく温めていた表題のテーマで筆を進めることにしよう。温めていたなんて言うと、まるで材料をコツコツと集めじっくり構想を練っていたかのように聞こえるが、ただ「こんなテーマならいくらでも書けるな」とずーっと思っていただけで、何の努力もしてはいない。
 マスオとは、もちろん『サザエさん』に登場するマスオさんのことである。あの国民的漫画のなかでマスオさんはどこか頼りなげで存在感も薄いけれど、いかにも善良そうな人柄は憎めない。主人公にはなれないが、見事なバイプレーヤーぶりを発揮してしる。サザエさんが元気に振舞えるのも、磯野家の人間関係が円満なのも、飄々と控えめに生きるマスオさんの見えない努力があってのことだろう。そう言えば、約40年前にTBSで放送されたTVドラマで、サザエさんの江利チエミに対してマスオさん役を務めた川崎敬三のキャラクターはどこかタイ人っぽかった。
 ご存じのようにタイは伝統的に母系社会で、とくに北タイはその傾向が強い。従って、この地ではいたるところに嫌というほどたくさんのマスオさんたちが健気に暮らしている。タイ人を妻に持つ私も、自ら選んだわけではないにせよ、結果的にマスオさんの身に甘んじている。「ますらおぶり」ならぬ己の「マスオぶり」にため息をつくこともしょっちゅうである。ため息だけでは済まず、ときとして涙も流す。文化人類学者や社会学者が母系社会についてもっともらしく語ったところで、それは単なる知識として把握しているだけだから、本当にその実態を知っているとは言えない。嘘偽りのない母系社会を日々体験している私からすれば、「そんな生易しいものじゃない」といちゃもんをつけたくなる。
 ちなみにメーリム郊外の農村にある妻の実家周辺も例に漏れず、どっぷり母系社会そのものに浸かっている。父母が住む実家の隣には、叔母(妻の母親の妹)夫妻の家族が70歳を過ぎた祖母と一緒に暮らしている。どちらの家も、どうしたことか一家の柱であるはずの父親の影が薄い。この2軒だけでなく、村中のほとんどの家が母方の親戚にあたる。
 妻の父は一昔前に単身でサウジアラビアに出稼ぎに行き、7年間の運転手の仕事でそれなりのお金を貯めてタイに戻ってきた。帰国後、家を建て、10輪トラックも購入、その運転手の仕事で羽振りよく順調に生活していたが、折しも勃発したアジア経済危機でいっぺんに仕事がなくなり、トラックのローンが焦げ付いてしまった。苦境を打開するために蛙の養殖を始めたのも束の間、蛙を仕分けするコンクリート槽ですべって転んで腕を骨折する。これは運が悪いと諦め、当時、注目を集めつつあったシイタケ栽培に再び活路を求めて、真面目にメージョー大学の農業講座に通いながら専門知識を習得、キノコの大量栽培に必要な特殊装置も購入して準備万端で新事業にのぞむも、同じようなことを目論む人がたくさんいたらしく、シイタケ価格が暴落してこれも失敗。
 その結果、車のローンの返済はさらに絶望的な状況を迎え、野菜を市場で売ってコンスタントに収入を上げる母と叔母と祖母の女性軍団から、冷たい視線をあびるようになる。60歳を過ぎたばかりの現在、早くも隠居同様の生活に入り、毎日の仕事と言えば、家の前のピン川に面した砂採り作業の監督をする程度。せめてもの楽しみは、私の子供たち=孫の世話をすることで、一家のなかではもうすっかり好好爺の役柄を演じている。
気まぐれ100号b
 叔母の旦那、つまり妻の叔父はソンテーオや学童の送迎車の運転手を経て、今は6輪、10輪トラックの運転で生計を立てているが、常に寡黙でおとなしく、家に帰ってきてもいるのかいないのかよく判らない。辛うじてこの叔父さんの目がいきいきと輝くのは、私が本誌の記事を書くために取材協力兼モデルの依頼をしたときぐらいだ。嬉々として得意そうに、地鶏のガイ・ムアンや腸詰のサイウアを焼いてくれたり、ご自慢の秘伝ナムプリックを作ってくれたりする。
 別々の家から婿入りしたせいか、女性軍団の前では団結もできずに漫然とした日々を送る男たちの姿には同情を禁じ得ない。もっとも彼らにとってはこれが当たり前で、慣れてしまえば、案外こうした環境のほうが心地よいのかもしれない。ニタニタとしまりのない表情で惰性をむさぼっていても、一向に非難されることもない。ダメ男の烙印を押されたとしても、きっとダメ男なりのささやかな幸せがあるのだから。
 それに引き換え、いつも元気満々なのはたくましき大きな尻の女性軍団で、ついでに大きな顔もしている。北タイの農村で毅然とした態度を取っているのは、むしろ女性たちのほうだ。逆に間違っても、女性たちに対して毅然とした態度を示してはいけない。とくに口ごたえは絶対に禁物である。正当性を主張するために理屈をこねることも、最悪の結果を招く。タイの女性に対しては、理屈なんか無用の長物に過ぎない。やっぱり「男は黙ってビアチャーン(ビアレオでもいいけれど)」なのだ。少しぐらいタイ人の男性が酔っ払っていたって、そこは大目に見てあげて欲しい。
 タイ人の男性の場合は、遥か昔からこんな感じで暮らしていたはずだから、これで問題はない。困るのは我々日本男児がマスオの役を演じる場合だが、その傾向と対策は次回にということで。


(100号掲載)

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