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初めてのタイ王国  (183号)

カテゴリー: タイ王国万華鏡 | 2010.11.25 Thursday

 

左は船川君、中央土田君、右筆者
 1964年7月29日、関西汽船の貨物船「せれべす丸」で横浜港を出発した私は、台湾の基隆に3日、高雄に3日、それから香港に2日寄港してから、8月18日の朝、目的地のクローントゥーイ港に到着した。生まれて初めてのタイ王国訪問である。
 税関吏による荷物検査が終ると、東京外大で共にタイ語を学んだ東洋綿花駐在員の土田君が、小船で船まで迎えに来てくれた。上陸するとありがたいことに、タイ語学科の恩師である松山納教授がにこやかに立っておられ、飛び上がるほど嬉しかった。先生はつい数日前に航空便でやって来られたのである。土田君はここへ来て1年以上になる。色が黒くなり、タイ語はかなり身についているようだった。私は先生と一緒にタクシーで中央郵便局近くの花屋ホテルに向かった。松山先生はすでにここに泊っておられた。昼には、当時アジア経済研究所の研究員としてバンコクに滞在されていた田中忠治先生(後の東外大教授)ご夫妻が来訪され、こちらが昼食をご馳走になった。少し休んでから、先生と2人でホテルの近辺を散歩した。街は台湾と比べて実に活気付いている。車が多く、東京に住んでいるほどの緊張を感じた。程よいところでサームロー(三輪車)に乗ってホテルに帰る。5バーツだった。サームローという乗り物は近距離向きで、あまり安全な乗り物ではない。ひやひやしながらの乗車だった。
 6時ごろホテルで夕食、デザートにパパイヤが出る。入浴後、外語大に留年中の後輩鈴木君がやって来た。彼はこちらの会社に勤務しているそうである。先生との3人でプラトゥーナーム市場へ行った。ここは24時間営業だそうである。ビールを飲みながらいろいろなことを話し合っていると、鈴木君はこちらの事情が詳しいばかりか、タイ語がうまいと思った。やはり毎日使っているからなのだろう。彼と別れてからタクシーに乗り、ルムピニー公園を通過して、ホテルに戻った。
 私にとって初めてのタイ王国、幸いにも海外への渡航が自由になった年でもあり、当時の私は都立高校の英語教師で、夏休みを利用しての渡航であった。今と比べると驚くほどの円安時代で、1ドルが360円、1バーツが20円の交換レートであった。航空運賃はかなり高かったので、往路を船にしたのだった。が、楽しい船旅であった。
 私がタイ語を学んだのは、1956〜1960年までの4年間、卒業後は英語教師になったために、その間タイ語を使うことはほとんどなかった。が、いずれはタイ王国の土を踏んでみたいと思っていた。そして、まだ誰もやっていないタイ文学の研究と紹介、そしてタイを舞台にした創作活動への道を密かに志していた。
 19日から23日までの5日間、私たちは実に多くの場所を訪れたし、タイ人と積極的に話をした。先生と2人の場合が多かったが、単独でも行動した。行ったところを並べると、まずは水上マーケット、暁の寺、ワット・ポー、タマサート大学、エメラルド寺院、王宮前広場と古本市、大理石寺院、ルンピニー公園、オリエンタル・ホテル周辺など、それから、汽車でナコーン・パトムを往復したこともあったし、土田君と住友商事の駐在員だったタイ語学科同期の船川君がホテルへやって来て、深夜まで語り合ったこともある。

中央は松山先生、他はタマサート大学生 
 8月24日、私は松山先生と一緒にチェンマイ行きの汽車に乗った。5時5分発だったとわが日記には書いてある。そして、こうも記録している。

【向かい側に坐ったのは、初老の婦人とまだ若い女性で、恋人らしい青年が見送りに来ていた。右手のコンパートメントには老婦人とマニキュアをした女性が3人、くつろいだ様子で坐っていた。そのうちの一人はいかにもすれた水商売の女性に見えるが、あとの2人は純朴そうな顔をしている。が、3人ともやはり同業者らしい。その1人であどけない顔の女はタバコをよく吸った。彼女らは実によく食べる。菓子や果物などをつまみ、ほとんど口を休める暇がないくらいだった】
 先生と食堂車へ足を運び、何を食べたかは覚えていないが、ささやかな夕食をした。と、勘定を払ってから気がついたのだが、定価よりも高く取られていることが分かった。車内に貼ってあるタイ語のメニューの値段とは明らかに違っているからだ。松山先生がそのことを追求すると、係りのボーイがその差額を返してくれ、逃げるように立ち去った。我々が外国人であることに気づき、外国人は多少のタイ語を話せても文字を読むことが出来ないと思ったのだろう。我々は大笑いした。やがてその係員がやって来たので、私は記念に彼の写真を撮ろうとカメラを構えた。が、彼は、これはまずいと思ったのだろう。脱兎のごとく客車の方へ逃げて行った。ずるいとは思うが、可愛くもある。
当日の日記には、次のような記述もある。

【同じ車内には英国人らしい女性の旅行者が4、5人いた。彼らは猿のような顔をしていて、実に醜悪だ。その表情には思い上がったような優越感さえも見える。タイ人の生活感情に自らを入れてみようともせず、自分らが文明社会の申し子であるかのような錯覚に陥っているのだろうか。タイの女性の方が美しい。色は黒く、唇は厚い。しかしながら彼女らは西洋から旅をしに来た女たちよりもはるかに美しい。車中で3時間ぐらいは眠っただろうか? 先生の方が寝つきはよい。真夜中でも駅毎に物売りの声がする。小さな子どもたちだ。「オーリアン、オーリアン!」 汽車は北に進み続ける】

(文と写真  岩城雄次郎)

 

 

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