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クンター流カレン族生活体験 その32 今年は、豊作!(303号掲載)

カテゴリー: 今号のピックアップ | 2016.01.03 Sunday

 


鎌を手に横一線になって刈ってゆく様は壮観だ。

 わが村では11月の声を聞いてから、ようやく稲刈りが始まった。今年は深刻な水不足だったので、
田植えも7月一杯まで続き例年にない遅い出足となったのである。
 去年も水不足で不作だった。おかげで、田んぼを持たないわが家では余剰米を分けてもらえず、夏場以降には町の米屋でタイ米を買う羽目になった。わが村の米は、ジャポニカ種である。
 ああ、今年も村の旨い米が食えんのかなあ。
 そんな心配をしていたのだが、10月に入ってから川向こうの棚田を歩き回ってみると、たっぷりと実をつけた稲穂が黄金色に輝き、山風に揺れながら香ばしい稲の薫りを放っている。「クンター、今年は米の出来がいいぞお」 顔を合わせる村の衆の笑顔に、ホッと嬉しい溜め息をついたのだった。
 さて、稲刈りの日にちが決まると村の衆が鎌を手に集まって来て、順繰りに手伝い合う。わが村では写真のように根元から30センチほどの高さで刈り取り、刈った稲は数束ずつ穂先が地面に着かないようにその上に載せていく。日本のように乾燥場を作る手間を省いて、刈りながら乾燥させてゆくわけだ。天日で1〜2日干したら、棚田の中で一番広い場所にビニールシートを敷き、棚田中に散らばった稲束をここに担ぎ集める。稲束は意外に重く、これを頭に被るようにして運ぶ作業は首、背中、腰をきしませるほどに厳しい。ビニールシートの回りにぐるりと稲束が積み上がると、真ん中に簀子や古タイヤを置いて脱穀にかかる。
 2本の竹棒の先をタコ糸でつないだ手製の「挟み棒」で数束の根元を挟みこみ、これを頭上に振り上げてから簀子や古タイヤに叩き付けるのだ。数回叩き付けると、籾は完全に飛び散ってしまう。これを確認し、体を外側に向けて棒先をくるりと回して糸をほどきつつ押し出すようにすると、藁束は彷彿線を描いて稲束の外に飛んでゆく。
 あとはひたすら、これを繰り返すのみだ。この作業は、明日の雲行きが怪しくなってきた場合、ヘッドランプを灯しつつ夜間にまで持ち越される。疲れ切って家に戻り水浴びをすると、首や肩に稲束の重みで付いた内出血の痕が残ったりもする。
 籾米をビニールシートに広げて1〜2日乾燥させたら、これを飼料袋に詰め込んで、いよいよ各自の米蔵まで運び込む。最近はかなりの山奥までピックアップ・トラックが入り込めるようになったとはいえ、場所によっては30キロに近い袋を担いで数キロ歩いたり、腰まで浸かる川を渡って向こう岸まで運んだりしなければならないのだ。それも、何度も何度も何度も何度もである。なにしろ年分の米なのだ。腰痛持ちの私にはとても無理な作業であるが、すぐそばで村人の唸り声や肉のきしみを感じているだけで息が詰まりそうになってくる。
 すべては、機械に頼ることのない手作業。自分の肉体だけが頼りの重労働だ。それだけに、無事米蔵に新米を収め終えたあとの村の衆の顔は、言い様のない安堵と充足感で満たされるのである。
 今年は、収穫祭も兼ねたローイクラトン(灯籠流し)が月末になるから、町の特設リングで行われる「村別対抗ムエタイ合戦」は、稲刈りを終えた安堵感も伴って爆発的な盛り上がりを見せるに違いない。



乾燥させた稲束を凧糸で挟んで簀子に叩き付ける。


籾米を飼料袋に詰めて、村の米蔵まで運び込む。
 


文・写真 吉田 清

(筆者プロフィール)

チェンマイ県オムコイ郡在住。カレン族生活体験民泊小屋番頭、ときどき物書き。ブログ「タイ山岳民族の村に暮らす」。著書『「遺された者こそ喰らえ」とトォン師は言ったタイ山岳民族カレンの村で』(晶文社)
 

 

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