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クンター流カレン族生活体験 その33 手作りタンブンセット顛末(305号掲載)

カテゴリー: 今号のピックアップ | 2016.01.03 Sunday

 


数奇な運命をたどった手作りタンブンセット


 わがソボムヘッド村には、寺がない。従って、各種のタンブン(寄進)行事の際には、町(正しくはオムコイ村)の外れにあるワット・セントーンという寺まで出かけて行くことになる。
 この寺は子づくり祈願で有名らしく、オークパンサー(雨季安居明け)のタンブン祭には、チェンマイ辺りからもお礼参りにやってくる人々が多い。
 さて、ここで暮らす住職や修行者、小坊主さんたちは10人足らずだ。だから、チェンマイのようには目立たないのだが、早朝にはリアカーを引いた一団が町中を托鉢に歩く姿を見ることができる。
 そして時々、町から2キロほど離れたわが村にも托鉢にやってくる。その時には、たいてい前日の夕方に有線放送でその旨が伝えられることになる。
 ある朝のこと。女将のラーが、とんでもない早起きをしてドタバタやり始めた。水場の音、米を研ぐ音、炊飯器の蓋をガチャンと閉めて米を炊き始める音、台所で何かを刻む音、鍋がガチャガチャぶつかり合う音、庭をせかせかと歩く音。ついでに、大きなくしゃみ、鼻歌。うるさいなあ、もう。
 一体、何をやっているんだ? 寝ぼけ眼で台所を覗くと、すでにおかずができていて、それをビニール袋に詰めているところだった。
「こらこら、うるさくて眠れんぞ」
「タンブンだよ、タンブン。昨日放送で言ってたでしょ。今日は村にお坊さんたちが来るんだから」
 功徳、寄進、喜捨などと訳されるが、ここでは僧侶たちへの托鉢に応じて食物を贈ることを指す。その際には贈る方が履物を脱ぎ、道路にひざまずいて、答礼としての読経を受けるのである。
 普段はとてもいい加減に見えるタイ人だが、仏教への帰依心は深く、たとえ相手が小学生くらいの小坊主さんだとしても、年輩の人たちを筆頭に同様の礼を尽くすのだ。
「素敵なタンブンセットも作ったんだよ」
 おかずとご飯のビニール袋詰めが終わると、そう言いながらラーが鼻をひくつかせた。母屋玄関の方に引っ張ってゆくと、テーブルの上を指差す。
 見ると、庭の花や薬草の葉っぱや羊歯などを使った手製のセットが出来上がっている。むろん、中にはロウソクと線香が差し込まれている。
「おお、いいねえ。なかなか、きれいだ」
 通常、こうしたセットは仏具店や寺前で購入するのだが、こうした心のこもった手作りは僧侶たちにも喜ばれることだろう。なかなか、いい心がけである。願わくば、仏陀や僧侶にだけでなく、番頭さんに対しても常にこのような敬虔な心で接してくれれば有り難いんだけどなあ。
 さて、準備は万端なのだが、予定の7時になっても「カーン」という鐘の音が鳴らない。通常は僧侶が村に入ると、先導の小坊主さんがゆったりと間を置いて鐘を鳴らしつつ前触れをして歩くのである。
 おかしいなあ。15分ほど待って、ラーが血相を変えて外に飛び出して行った。すぐに戻ってくると、
「お坊さんたち、今日は来ないんだって!」
「はあ?」
「放送する人が、日にちを間違えたみたい」
……
 間違えたのは、お前さんだろうが! 
 前例からすると、その可能性の方がきわめて高いのである。眠りを妨げられた腹いせにそう怒鳴りたいところだが、それは仏陀の心には叶わない。
 番頭さん、まるで仏のような顔を装って、行き場を失ったタンブンセットを母屋内の仏壇と宿脇の祭壇に供えて、言い訳混じりのお参りを済ませた。
 当人は、「タンブン、タンブンだよお!」と大声で叫びながら、ビニール袋に詰めたおかずとご飯を、近所の従姉や甥っ子たちに配っている。やれやれ。 
 こんなとんでもない信徒もおりますが、どうかご勘弁のほど。ナマンダブ、ナマンダブ


「子づくり寺」として有名なワット・セントーン

文・写真 吉田 清

(筆者プロフィール)
チェンマイ県オムコイ郡在住。カレン族生活体験民泊小屋番頭、ときどき物書き。ブログ「タイ山岳民族の村に暮らす」。著書『「遺された者こそ喰らえ」とトォン師は言った―タイ山岳民族カレンの村で』(晶文社)


 

 

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