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月とロイクラトーン

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ39号 月とロイクラトーン ♪月がとっても青いから、遠回りして帰ろ♪なんて悠長な歌が流行ったのは、もう半世紀も昔の話になってしまった。不夜城が当たり前の日本の都会では、月はとっくのとうに行方不明になっている。急速な都市化が進展するチェンマイだって、事情は似たようなものだろう。
 電気のない山岳民族の村で暮らしていたとき、久しく忘れていた月の光のありがたさを思い知った。新月の晩に懐中電灯なしで夜道を歩くことは到底おぼつかない。まさに漆黒の闇で、目を地面に近づけるようにしても広い道がどこにあるかわからない。それが満月のもとでは、行方がはっきりと照らし出されている。いたずらっぽく自分の影も遊んでいる。これなら「遠回りして帰ろ」という気にもなるわけだ。
 古来よりつい最近まで人間はこうした月の光を身近に感じながら暮らしてきた。生命的バイオリズムはもちろんのこと、農耕の日取りや宗教行事と月の満ち欠けは重要なつながりがあった。雨季明けの満月の晩に行われるローイクラトーンでも月は隠れた主人公であるはずなのに、どれだけの人がそのことを気に留めているのだろう。ともすると、かく言う私も月を見失いがちなのだが。
 さて、今年はどこで誰とクラトーンを流そうか?何年も前に一度だけ市内の中心部から流したことがある。ワロロット市場裏手の階段を下りた河岸で、当時付き合っていた中国系タイ人の彼女とゆっくりロマンチックなひとときを過ごすつもりだったのだが、爆竹や花火の音でそれどころではない。月を優雅に眺める余裕もなく、早々に退散した覚えがある。これに懲りてからは、いくら華やかなパレードで北タイ屈指の選抜美女軍団が拝めると聞いても、わざわざ市内の人ごみのなかへ足を運ぶ気にはなれない。ここ数年は、賑やかな市内から5kmぐらいは離れたところで地元の人だけの隠れスポットを見つけて、そっとクラトーンを流すことにしている。あるいは、騒々しいチェンマイを避けてメーリムやチェンダオのピン川に出かけることも多い。都会の観光行事も悪くないが、田舎では庶民の風習としての素顔のローイクラトーンを楽しむことができる。
 昨年のローイクラトーンは用事があってチェンラーイにいた。日暮れまではまだ少し時間があったので、パヤオの湖上でのローイクラトーンも考えたが、市内を流れるコック川上流のタートンまで行ってみることにした。チェンラーイに行くときに寄ったタートンのカオソイ屋のおばさんから、ここでは川越しに月が昇っていくと聞いていたからだ。メーサロンから下りた中国人の村あたりでそろそろ夕闇となった。この時間には誰も通らないような寂しいハイウェイでも、集落が近づくとカラバオデーンやリポビタンDの空き瓶に油を入れた灯火が街道沿いに点々と連なる。車窓に流れる幻想的な光景を眺めながら、北タイの田舎における精力ドリンクの膨大な消費量とそのエネルギーの行方に想いを馳せた。それとも、このローイクラトーンの灯りを点すために、村人たちは努めて精力剤を飲むようにしているのだろうか。
 タートンに着いたときには、既に月はちょうどいい按配の位置に輝いていた。あらかじめ演出したかのように白装束の二人の女性が現れ、祈りを捧げながらクラトーンを頭上に掲げてから静かに水に放った(表紙の写真がそのときの様子)。ロウソクを立てたクラトーンはまるでバースデーケーキのようだ。ちなみにバースデーケーキにロウソクを立てるのは、月の女神にして処女神でもあるアルテミスの誕生日を祝った古代ギリシャの風習に由来するという。ひょっとしてタイのクラトーンも月の化身なのかもしれない。川面に揺らめく月の通路を渡ってクラトーンが流れていく。それは夢と現,生と死のあいだの橋渡しをする連絡船なのか。ウットリするような光景に見惚れていたら、いきなり大音量が鳴り響いて夢見心地の世界から醒めた。特設ステージでディスコ大会がドンチャカ始まるらしい。川と月さえあれば他には何も要らないのに…とタイ人に文句を言ったところで始まらない。こりゃいかんと、この場はそそくさと逃げ出すことにした。
 ここからはチェンマイに戻りがてら、贅沢にもローイクラトーンのハシゴをすることになった。メーアイのあたりでは、それぞれのソイ(路地)ごとで入り口の飾り付けの優劣を競っていた。バナナの葉や色とりどりの花などで門を飾り、国王、王妃の写真まで掲げてあったりする。優勝チームにはちょっとした商品が出るということだが、勝ち負けそのものより、その場の盛り上がりを皆さんお楽しみのようだった。立ち止まって写真を撮っていると、「まあ、こっちへ来い」と呼ばれて、酒をふるまわれることになった。これはいつもながらのチャオバーン(村人)の慣わしである。
 ファンを過ぎた町では各村ごとのパレードが始まろうとしていた。パレードといっても予算はたかが知れているので、これ見よがしの豪華な山車は登場しない。村人たちは太鼓や鉦を叩きながら、鈴なりの提灯を載せたリャカーを押してお寺まで行進していく。
観光パレードとは別世界の素朴で大らかな風情が嬉しい。ここでも「まあ、一杯やれよ」と誘われてしまった。まだこれからかなりの山道を運転しなければいけないのに…。
 眠気と戦いつつ、最終目的地チェンダオ郊外のメージャ村へとようやく辿り着いた。始めからこの晩のハシゴの終点はここにしようと決めていた。この村のローイクラトーンは、田舎っぽいが妙に胸騒ぎのする雰囲気があって私のお気に入りなのだ。いったんお寺に運び込んだ舟やニワトリを模した大きなクラトーンを山車に載せ、坂道を転がるように川へと向かっていく。ピン川もここまで遡ると、川幅も水深もたいしたことはない。クラトーンとともに男たちも水のなかに入っていく。舟はともかく、ニワトリを水に浮かべてどうするの?とつっこみたくなったが、ここはバカボンのパパになった気分で「これでいいのだ」と無理やり納得した次第。別に酉年でもないし…もっともらしく闘鶏の勝利祈願ということにしておこう。見上げれば、遥か天上の月も心なしか笑っているように思えた。
 
(39号掲載)

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