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死なないでプラー・ブー

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ44号 プラーブー  仕事柄、チェンダオとチェンマイ市内とを頻繁に行ったり来たりしてそれこそ「忙しい」日常を送っているのは確かだ。先日も、お客さんをチェンダオの宿まで送ってから、すぐさまチェンマイに戻って山のように溜まっている仕事(例えば、このコラムの原稿書き)に取り組む心構えだけは持っていたつもりだが、途中のメーテンにさしかかったあたりでそのまま直進するはずの車のハンドルが自ずと左へ切れていく。その先のメーガット・ダムには湖上にせり出した東屋風レストランがあり、そこでのんびりとビールを飲もうという魂胆である。この手の水上レストランは、ラーマ9世公園(山岳民族ミュージアム)の池の周辺やドイ・ステープ山麓のフアイトゥーンタオ湖畔にもあるが、水をなみなみと湛えたダム湖を眺めながらの一杯はまた格別なのだ。
 平日のお昼時にこんなところへやってくる人はほとんどいない。不倫カップルとか、仕事をサボってきた役人とか、そんな感じの人たちがパラパラいる程度である。寄せ集めの木材と竹でできた床に腰を下ろすと、季節外れの海の家にきてしまったような錯覚に陥る。人生の淋しさをふと感じるのはこんなときだ。ダム湖からの風に吹かれて、ひたすらボケーッとする。何も考えていないようでいて…やっぱり何も考えていないか。忙しいのにのんびりと真っ昼間からビールを飲む。いけないことをしている後ろめたさをツマミに杯を重ねる。こんなことをしている場合じゃないのに、と思いつつ無駄な時間を過ごす。忙しい人間にとっては最高の贅沢である。
 確かにこの環境で飲むビールは旨いが、ただそれだけのためにここに足を運ぶようになったのではない。地元メーテンに住む明天庵の主から、ここではプラー・ブーが食えると聞いていたからだ。プラー・ブーについては本紙23号の拙稿『プラー・ブーを探して…』で取り上げたところ、読者の方々から思わぬ反響があった。私と同じようにこの魚の魅力にずっととりつかれている方がいることを知った。「海魚を凌駕する川魚」なんて書いてしまったので、「どこで食べられるのか?」というお問い合わせもいただいたが、自信を持ってお勧めできるところはなかった。普通のレストランではまずお目にかかれないし、たとえメニューに載っていたとしても品切れのことも多い。最近では養殖されているという話も聞いたが、おそらく特殊需要向けで一般市場にはまだ出回っていないようだ。嬉しいことに、それだけ希少価値のある魚がこのダムではいつでも調達できるという。忙しくても遠回りでも、どうしたって寄り道をしたくなるわけだ。
 そんな事情から、このところのメーガット・ダム詣でが始まった。最初は、間違いなく憧れのプラー・ブーがあると判って喜んだのも束の間、出されたものをひと口食べてガッカリした。この魚特有のザクッとした歯応えもツルッとした感触も乏しい。妙に柔らかいだけで、白身の張りが消え失せている。お運びのオバサンに尋問すると、無神経にもアイスボックスから取り出した魚を使ったことが判明した。この魚は調理直前まで生きていなければ旨くないことは料理人の常識なのに。
 そこでその次からは、湖の生け簀からプラー・ブーを捕まえる現場をこの目で確認して注文するようにした。調理法はメニューから「梅干蒸し」を選んで待つこと30分。果たして、期待通りの歯応えは十分に堪能したものの、今度は味付けに少なからぬ不満が残った。レモングラスの茎を芯に通したのはいいとしても、唐辛子を潰して魚に塗ったために、せっかくの上品な味が台無しになってしまった。しかも、白菜と一緒に蒸してあり、菜っ葉の青臭さが鼻につく。これはナマズなどを素材にしたタイ料理の魚の調理方法で、繊細で淡白な味が売り物のプラー・ブーには適さない。この魚の味覚を最大限に生かすなら中華風の調理方法がベストだが、それを田舎の料理人に望むのは難しい。
 その後も何度か通ってはみたが、味付けがおかしかったり、蒸し時間が不十分で生臭かったりで、フラストレーションは溜まるばかり。毎回、注文時に的確な指示を出しているはずなのに、どうしてこんなことになってしまうのか? 推測するに、注文取りのオバサンの記憶容量が極端に少ないために、伝言ゲームのように情報の一部が抜け落ちて調理人に伝わってしまうのだろう(といっても間に誰も入っていないんだけど…)。そこで注文時にメモを取らせて、調理人に伝える業務改善マニュアルを導入することにした。^貊錣望す野菜はネギとショウガのみ ▲肇Εラシは入れるな G鮑擇睇塒廖´ぬI佞韻惑澳海半潴を少し ゲ个通るまで十分に蒸す 最後にワカッタネ!と念を押す。最高の素材を最高のロケーションで食するためには、この程度の労力を惜しんではいけない。
やがて、見た目には完璧な「プラー・ブー梅干蒸し」が登場した。まずはお味見とひと口食べてみて唸ってしまった。旨かったからではない。「何だこれは。死んでいるじゃないか! この忙しいところ、わざわざプラー・ブーを食うためにここまで来たんだぞ」と思わずきつい文句をつけた。いくら何でももういいだろうと生け簀チェックを怠ったらまた元通りだ。隣の席のお客さんが「魚が死んでいるのは当たり前よ」と怪訝な顔をしているのを見て、しまったと思った。95パーセントぐらいはタイ人化しているアバウトな私でも、ときたま律儀な日本人のDNAが首をもたげるものらしい。
 それにしても、いったいいつになったら理想のプラー・ブーに会えるのだろう? 忙しい暇人は湖上を眺めて溜め息をついた。何ごとも思い入れはほどほどにしないと。

(44号掲載)

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