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儀式としての引越し

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ47号 儀式としての引越し 身分不相応にも家を新築して、3年ぶりに引越しをした。我ながら驚いたのは、その荷物の結構な量だ。どうせ大したことはないとタカをくくっていたのだが、この3年の間に何がそんなに増えてしまったのか? 
 思い起こせば、15年ほど前のこと。メーホンソンの山村の川沿いにある電気もない竹の小屋で半年暮らしていたことがある。その部屋のなかに置いてあるものと言えば、せいぜいリュックサックひとつに詰め込めるぐらいの量だった。日本ではレコードと本にそれこそ埋もれるように暮らしていただけに、かえってその何もない状況が貴重に思えた。何も所有しないことが、こんなにせいせいしたものだとは知らなかった。ものにも情報にも縛られずに生きるのは、実に気持ちがいい。山岳民族の家のなかがたいてい空っぽのように、必要最小限のものさえあればそれで十分なのだとつくづく思った。
 それがチェンマイに出てきて、引越しを繰り返すうちに、知らず知らずのうちに身の回りのものが増えていった。もちろん、この間に独り身から所帯をもつようになったのだから当然とはいえ、いざ引越しのときに整理しようとすると、余計なものがやたらと多いことにウンザリしてくる。腹のだぶついた脂肪を見るような感じだ。言い換えれば、引越しとはものを通して赤裸々な過去の自分と向き合う作業なのかもしれない。
 さて、引越をするとなるとひとりでは無理なので、援軍を頼まなければならない。こちらにも引越業者はあるのだろうが、これまで実際にお目にかかったことがない。我が家の場合は、妻の親戚連中十数人が駆けつけて、あっという間に運んでくれた。いつもながら、親戚は善意で手伝ってくれるのでありがたい限りだ。でも、なかには親戚のような他人もいたりするので、注意したほうがいい。今回は親戚の仕事仲間である6輪トラックの運ちゃんが怪しかった。とっておきの極上ウイスキー1本と庭に植わっていた真紅のバラ2株をどさくさに紛れて持ち去っていたことが後日判明した。ウイスキーはともかく、植木を盗むとはまったく…。
 引越に際しては、ものを移動するだけではなく、目に見えないものも移す必要がある。タイの家には庭の片隅に必ずサンパプームと呼ばれる祠がある。昔は木でできたものが多かったが、最近は道路端で売っているような市販のコンクリート製のものがほとんどだ。ここには家や土地の神様=チャオティが宿るとされる。このチャオティについてピーには人一倍うるさい婆さんに説明を求めると、「いわゆるピーじゃないけど、でもやっぱりピーのようなもの」という訳の解らない答えが返ってきた。村人は学者じゃないから厳密な分類や定義づけなど、どうでもいいのだろう。要するに、土地や家を司る神様のことで、そこに住む人の守護神的役割をするものらしい。
 家を移るにあたって、前の家のサンパプームから神様をお招きする。といっても難しい段取りがあるわけではなく、線香と花をお供えして、ムニャムニャと文句を唱えるだけだ。ただし、その儀式を執り行う人は誠実な人格者でなければならないとか。確かに、親戚の中でもいちばん謹厳実直かつ温厚誠実と思われるおじさんがやって来て、丁寧にお願いしてくれた。
 サンパプームは前の家から古いものを移動しても構わないが、新たに購入する場合がほとんどだ。新しい家のサンパプームには人、象、馬、牛、水牛の人形セットを買い求めて(私が買ったのは1セット=500バーツ程度)、おままごとのようにお供えする。これらがチャオティの世話をすることになる。さらにその前に木の柱を立て、上下と4方向に張り出した台の上に6セットのお供え物(ビンロウジュの実、ミアン=塩と食べるお茶の葉、煙草、菓子、ご飯、おかず、水、線香)を置く。それぞれ天の神様と地の神様、東西南北の客をもてなすためだという。この前でまた神妙に文句を唱えれば、招かれた神様がすーっと移ってきてくれるわけだ。
 それから、いわゆるクン・バーン・マイ=タンブン・バーン・マイ(新築祝い)の仏教儀式が始まる。村人の仏教儀式には結婚式やクン・バーン・マイなどのお祝い事(シリモンコン)と葬式などの弔い事(アワモンコン)がある。前者は奇数(5、7、9人)の、後者は偶数(4、6、8人)の僧侶を招くことになっている。今回は5人のお坊さんを呼んで、まだ家の中に何も運びこんでいない状態で儀式を行う。家を支える四隅の柱のところと2階の部屋にそれぞれお坊さんに立ってもらい、予め家の周囲に巻いておいた糸をつかみながらお経を唱えることでまず穢れを外に追い出す。と同時に、家内安全、無病息災を祈願する。簡単に言えば、「鬼は外、福は内みたいなことだろう。最後に2階の部屋に僧侶、家族、親戚一同が集まり、仕上げの儀式を行う。こんな段取りで一連の儀式は早朝から厳かに進められたそうだ。
 そうだというのは、寝坊常習犯の私は周囲の心配通り思いっきり遅刻して、辛うじて参加したのは最後の仕上げの儀式だったからだ。当然、妻および親戚一同のヒンシュクを買ったのは言うまでもない。「まあ、なんとか間に合っただけでもいいじゃない、エヘヘ」と笑ってごまかしたのだが、肝腎の家主がこれじゃ困ったものである。
 その罪滅ぼしというわけで、夕方からのクン・バーン・マイの宴会はエビ、イカ、貝などのシーフードづくしのメニューとなった。田舎の村人にとっては、高くつくシーフードは願ってもないご馳走である。妻も引越を手伝ってくれた親戚の手前上、ケチなありきたりの食事では肩身が狭いらしく、とにかく「エビを買え」とのご託宣だ。本来ならたくさんお客さんを招待したり、楽団や歌手を呼んだりして盛大に飲み食いするクン・バーン・マイを予算節約のため身内だけでやろうとしたわけだが、結果的にはかなりの出費となってしまった。
 だらだらと飲んでいるうちに面倒臭くなって、居間でそのまま寝てしまった。ふと夜中に目を覚まして、部屋の片隅を見やると、例の親戚じゃない運ちゃんが気持ち良さそうにイビキをかいていた。今にして思えば、やっぱりあのウイスキーは…。

(47号掲載)

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