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一族郎党との旅路

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ48号 一族郎党との旅路 行くべきか、それとも止めるべきか? 妻から親戚と一緒に3泊4日の旅行に行かないかと誘われて、しばらく回答をためらっていた。他人からすれば大したことではなくても、私にとっては真剣に悩むべき問題である。スケジュールはやり繰りすればどうにかなる。ただ、たった4日間とはいえ、あのチャオバーン(村人)たちの世界にドップリ浸かった日々が楽しいものであるかどうか。いや、楽しいわけがない。せめて耐えられるものであるかどうか。それが問題なのである。
 改めて言うまでもなく、コン・ムアン(北タイ人)の家族や親戚の結束は固い。固すぎる。いくら結婚したからといえ、外国人がそのなかに入り込むのは容易ではない。ひょっとしたら、無理ではないかとさえ思えてくる。そもそも、どこからどこまでが親戚なのか、なかなか見極め難い。タイの田舎ではどこでも似たような状況だろうが、妻の実家のあるメーリムの某村など、村人のほぼ過半数が親戚であると考えて間違いない。
 例えば、4年前に娘が生まれたとき、近代的な病院の個室にはゴザが敷かれ、ピーク時には20人近くの親戚が詰め掛けた。そのとき、好むと好まざるとにかかわらず、こうした運命共同体のなかに自らが組み込まれていることを悟った。これらの親戚のなかで、何とか妻との関係を把握しているのはせいぜいオジサン、オバサンぐらいまでで、あとは説明を受けたことはあっても、端から覚えようとする気がないのであやふやなままになっている。極めて大雑把に「よく顔を見る親戚」「たまに顔を見る親戚」などと分類をしているに過ぎない。親戚とのお付き合いは、「付かず離れず、ほどほどに」というのがこれまでの私のスタンスで、親戚の側でもそのように認識していたものと思う。
 その親戚の皆さんといっしょに旅行しようというのだから、それなりの覚悟が必要だ。今までなら、誘われても仕事を口実に即座に断っていたのに、今回は迷っているのは我ながらどうしたことだろう。心のどこかで怖いものみたさ(?)の気持ちがあるのかもしれない。なおも躊躇している私の背中をポンと押してくれたのが、明天庵主人の「行けばコラムのネタになるんだから」の一言であった。
 ともかくも3月某日、私の家族を含めて一族郎党総勢18名が2台の車に分乗し、チェンマイを深夜零時に出発した。荷台のある義母のピックアップに10人乗り込んだのは当然ながら、私の小さな乗用車に子供を含めてとはいえ8人も乗るという。後部座席前のわずかな空間部分に我が敬愛するキノコ採り名人婆さんがひとり後ろ向きに座っているのをミラーで確認して、「こんなのあり〜?」とずっこけそうになりながらも平然とハンドルを取る。これぐらいのことで動揺しては、先が思いやられる。
 一路目指すは遥かバンコクの東、タイ人でも発音するときに舌を噛みそうになるチャチューンサオの片田舎。妻の兄嫁の里帰りに便乗して、親戚一同が旅行を楽しもうというわけだ。上流階級ならともかく、村人レベルのタイ人が我々の考えるような旅行をする機会はまずないと言ってよい。500バーツ以上もするようなホテルに泊まることなど言語道断。親戚や知り合いの家に宿泊するのが普通だ。妻や私が兄嫁の家にお邪魔するのはいいとして、それ以外の「たまに顔を見る親戚」まで大挙して押しかけるのだから驚く。キノコ獲り名人婆さんにいたっては兄の前妻の母親なので、日本人的感覚なら塩を撒かれて追い返されても仕方がないところを、兄嫁の家族は暖かく迎え入れる。この辺のタイ人の寛容なホスピタリティになると、日本人にはとても理解が及ばない。「親戚の親戚は皆親戚だ」という論理なのか。むしろ、論理を超えた暗黙の了解というべきか。
 12時間ほどの高速ドライブでようやく辿りついたところは、荒野のなかにポツンと建っている一軒家だった。このようなカラカラに乾いた土地を見ると、北タイの田園地帯の豊かさを改めて実感する。兄嫁の親父さんは泰然自若とした雰囲気の寡黙な人で、一見とっつきにくいが、敷地の森のなかを散歩していると向こうのほうから話しかけてきた。「この辺に北タイのチークを持ってきて植林したのはワシが最初だ。この家も自分で製材して木で建てたんだ」とボソッと、だが嬉しそうに呟いた。中国系の人らしく、どんな荒地でもたくましくサバイバルする術を心得ているのだろう。孤高の開拓民といった貫禄があったが、そんな孤高の人でもミアノーイ(妾)が2人いると後で聞いて妙に親近感を覚えた。
 それにしても何もない、殺伐としたところである。覚悟を決めて、蛙が泳いでいる透明度10cmぐらいの雨水を貯めたコンクリート槽の水でシャワーを浴びる。その後は、もう何もすることがない。途方に暮れていると、例の音が聞こえてきた。トントントンというラープを刻む音だ。厨房を覗いてみると、とっておきの猪や鹿の肉を厨房で黙々と調理しているのは男たちで、女性陣は既に楽しげな酒盛りに突入している。村での男と女の力関係が如実に見て取れる。そう指摘したら、女性たちはキャッキャッと嬌声を上げて喜んでいる。否定しないところを見ると、やっぱり真実なのだろう。他人の家でどこか遠慮気味に振舞っている男たちを尻目に、女たちは我が家のように羽を伸ばしている。三段腹を指差して「ツナミ!」と叫ぶギャグを連発しているオバサンたちには、もはや黙って降参するしかない。
 こんなふうに1日の締めくくりは、きまって酒盛りとなった。昼間にワット・ソートンなどの名刹を参詣したり、ラヨーンの海に遊びに行ったりと、ひと通りの観光はしているのだが、夜になって酒を飲んでいるときがいちばん盛り上がる。自分の村とそれほど変わらない田舎の村で酒を飲むだけなら、はるばる苦労して遠くまで行かなくてもよさそうなものだけれど、楽しそうな皆さんのを眺めていると「いいじゃないの、幸せならば」(古い!)という気になってくる。
 予想通り、私にとっては、高いガソリン代を負担した上に(タンブン、タンブン)長時間連続ドライブの献身的労力をも提供した(ガマン、ガマン)、ひたすら忍耐の旅路であった。それでもその疲労を通して、何かふっきれたものを感じたことも事実だ。もしかしたら今回の旅路は、一族の絆へと誘う一種の通過儀礼だったりして。果たして、これは素直に喜んでいいのだろうか?

(48号掲載)

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