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人を狂わせた話 中篇

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ50号 人を狂わせた話2 私がまだ紅顔の美少年(?)だった頃、占いのたしなみがある母の友人から「あなたには女難の相がある」と言われたことを覚えている。そのときは、ただ笑って軽く聞き流していたのだが、この年になってみると、改めてその意味の深さに溜め息をつくばかりである。
 今さら懺悔の値打ちもないけれど、タイに来てまだ間もない頃、結果的にひとりの女性を狂わせてしまったことがある。前号で触れた女性と同様に、こちらにそのつもりはなかったのに、ある日、突然おかしくなっていたのだ。
 15年ほど前、私はメーホンソンとパーイの中間にある山村ソッポン付近に滞在していた。バンコクやチェンマイなどの街での生活体験もなく、タイ語もタイの習慣もまったく解らぬままに、いきなり電気もないようなとんでもないド田舎で暮らし始めたのは、それなりの訳があった。簡単に説明すれば、この地を旅しているときにたまたま知り合ったあるリス族の家族を支援するためだった。というと、なんかボランティアみたいだが、そんな立派なものではない。もっと個人的な関わりがきっかけだった。
 この家族は母親と子供が4人(娘と息子が2人ずつ)で、父親は麻薬取引の罪=懲役25年で刑務所に入っていた。一介の旅行者に過ぎない私が敢えて彼らと関わる必要は少しもなかったのだが、ぶらりとこの村を散歩していたときに水浴び帰りの長女と出会ったのが運の尽き(?)だった。可愛い表情のなかにも異様に鋭い眼が光っていた。当時10歳のこの娘がおいでおいでと手招きするままに、粗末な小屋に入り食事をご馳走になった。今から考えると、キャッチバーの呼び込みのお姉さんにひっかかってしまったようなものだ。
 この家族に深入りするつもりは毛頭なかったのだが、暇に任せて毎日のように遊びに行っているうちに、長男が肺炎で入院したこともあって、気がつけば父親代わりの役目をする羽目になっていた。当然ながら、村人は私と母親の仲を噂するようになっていた。実のところ、責任感に欠けるチャランポランな母親は大の苦手だったのだが。
 このままずっと父親代わりを続けるわけにはいかなかった。それはこの家族のためにもならない。家庭崩壊寸前の危うい家族の行く末が心配ではあったが、このような山岳民族の母子家庭はいくらでもある。いくら助けても助けきれるものではない。適当なタイミングを見計らって村を去り、再び一介の旅人に戻ることにした。
 その後、東南アジアをしばらく旅して、日本に帰国したが、頭のどこかでずっとリス族の家族のことが気にかかっていた。そこへタイで知り合った不思議な好青年J君(彼はその後、ラフ族に深入りして狂ってしまったのだが)から手紙が舞い込んだ。あのリス族家族の2人の娘が身売り同然で行方不明になったが、友人のMさんがあちこちの村を捜索して見つけ出し、今はチェンラーイの山岳民族の学校寮にいるとのことだった。驚いた私はタイへ戻る日を早め、チェンラーイで娘たちと再会して、メーホンソンへ連れて帰った。ただ、このまま母親の元においても、いずれまた同様の問題が起こるのは見えている。そこで関係者にあたってみたところ、ラッキーにも娘2人と長男がメーホンソンにある国立の教育福祉学校(ローンリーアン・スクサー・ソンクロ)に入れることになった。ここは無料で勉強できる上に、全寮制なので食うに困らない。休みの間は、私が責任を持って子供たちを引き取ることにした。
 あとは、母親が何とか自力更生できればよい。そう単純に考えたのは、まったく浅はかであった。もともと自力更生できるぐらいなら、父親不在でもきちんと子供を育てていたはずだ。8人姉妹の末娘だったこの母親には性格面で根本的な問題があった。ともかくも、「土地さえあればちゃんと働く」という彼女の言い分を真に受けて、友人から無料で借りた土地を一緒に耕し始めたが、開墾は遅々としてはかどらなかった。山岳民族なのに、どうも母親は農作業が不得手らしい。炎天下での慣れない野良仕事に私もヘトヘトになり、徒労感を覚え始めていた。
 可愛い子供たちのためにダメな母親を助けることは、村人にとって不可解極まりない行為だろう。私は村のなかに泊まらないように気をつけていたが無駄だった。既に村人たちは、ニヤニヤしながら私を「旦那」と呼ぶようになっていた。私は意に介さなかったが、母親にとってこうした村の空気はかなりの精神的負担になっていたに違いない。父親代わりはしてくれても、旦那代わりはしてくれないことが解っていただけに。
 ある晩、大雨のために村から出ることができなくなって、仕方なく母親の家に泊まった。
母親と次男は寝室で、私は隣の竹の間で別々に寝た。といっても、隙間だらけの竹の仕切りで隔てられているに過ぎないので、同じ部屋で寝ているようなものだ。夜中になって、母親のヒーヒーというような尋常ならぬ喘ぎ声がする。寝言かと思ったが、なかなか止む気配がない。部屋に入って、身体を揺すってみた。熟睡しているようで、反応がない。相手は女性なので妙な気が起きても不思議ではないが、その気にはなれなかった。それが良かったのか、悪かったのか?
 翌朝、母親の身体は軟体動物のようにフニャフニャになって動かなくなっていた。辛うじて意識はあるのだが、まったく力が入らない。さあ、困った。隣の親戚に助けを求めると、続々と村人たちがやってきた。怪訝な顔で私を見るが、かといって非難をする風でもない。あの母親なら、驚くにあたらないというわけか。シャーマンらしき年配者がものものしく箒で頭の上を掃いたり、ヤカンを頭にかざしても、一向に効果がない。キリスト教の神父も駆けつけて、厳かに聖書の文句らしきものを唱えていたが、身体はビクとも動かない。こりゃ、もう駄目だ。
 こんな山のなかでは、救急車を呼ぶこともできない。ソッポンの薬屋の主人に頼み込んで、病院まで運んでもらうことにした。急カーブが続く未舗装の難路(現在は快適なハイウェイになっているが)を猛スピードで飛ばしていく。それにしても、どうしてこんなことになってしまったのか? 旦那でもないのに旦那のように付き添っている自分に当惑しながら、車の揺れのなかで自問自答していた。  

(50号掲載)

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