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人を狂わせた話 後篇

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ51号 人を狂わせた話3 旅をすれば、見知らぬ人と出会う。その一期一会の土地の人との接触が、旅の大きな魅力であるに違いない。ただ、ほんのひとときの付き合いと軽く思っていたものが、人生を左右する運命的な出会いになったり、ときには切っても切れない腐れ縁になったりすることもあるから油断は禁物だ。
 15年ほど前、メーホンソンの山の中を旅していた私に油断はなかった、と言えば嘘になる。その心の隙に、散歩がてらに出会っただけのリス族の家族がするするっと入り込んできた。それも村でも札付きのお騒がせ家族(母親+子供4人)だったからいけない。次から次へと問題が起こり、その対処をしているうちに、いつのまにか子供たちの保護者兼トラブル処理係のような立場になっていた。しかし、旦那でもない私が怠惰で身勝手な母親の面倒まで見るわけにはいかない、と暗に自立を促したのが裏目に出た。もともと精神的に危ういところのあった彼女をさらに不安定な状態に追い込んでしまった。ある朝、母親の身体はぐったりして動かなくなっていた。
 救急車ならぬピックアップトラックはインパール作戦のときに日本軍が造った山道を転げるようにして突っ走って、メーホンソンの病院に到着した。母親は辛うじて歩けるようになったものの、まだ目は虚ろなまま宙をさまよっている。ローカルな公立病院の医者は患者に対してつっけんどんな態度を示すことが多い。とくに相手が山岳民族だと判ると、動物を扱うようなものの言い方をする。このときの医者も茫然自失の母親をちょっと診るなり「身体はなんともない。働かないからいけないんだ。働け! 働くんだ!」と頭ごなしに凄い形相で怒鳴りつける。いったいこれが診察か?と呆れてしまったが、そもそもこのレベルの田舎の病院で心理的カウンセリングを期待する方が無理な話だ。好意的な見方をすれば、ショック療法的効果をねらったのかもしれない。
 医者によれば、この類の症状は一種のヒステリーだということだった。これは一般的な用語としてのヒステリーとは意味が違う。精神医学では、心の問題が身体的な障害となって表れることをヒステリーと呼んでいる。身体的には何ら異常がなくても、言葉が出なくなったり、手足が動かなくなったりする。極端な場合は、倒れて意識を失うこともあるとか。つまり、この母親はその極端な場合にあたるわけだ。
 とにかく母親のフニャフニャ状態は相変わらずなので、ひとまず入院して点滴を受けることになった。原因不明の病気で適切な治療法が見つからない場合、タイの病院ではやたらと栄養補給の点滴をする傾向がある。患者の方でも無条件にそれをありがたがっていて、実際にそれなりの効き目もあるようだ。これは近代的医療に見せかけた一種のシャーマニズムのようなものだと睨んでいるのだが、病院で行われている医療行為には多かれ少なかれそのような側面があることは否定できない。
 なるほど点滴の効果はてきめんで、翌朝になると母親の身体はしゃきっとなっていた。退院後、メーホンソン近郊の全寮制の学校にいる子供たちに会いたいというので、村へ帰る途中に立ち寄ることにした。チーク林に囲まれた校内に入ると、教室の方から子供たちが嬉しそうに駆けてきた。その顔を見た途端、どうしたことか母親はその場でへなへなと倒れてしまった。子供たちは、母親が今にも死ぬのではないかと思ったのだろう。大きな声を上げて泣き出した。これまでの経過から、身体的な心配をしなくても大丈夫だと判ってはいたが、母親の人格そのものが目の前で崩れていくような生々しさに思わずたじろいだ。
 結局、子供たちを連れて病院にUターンすることになった。例によって医者はぞんざいな応対で「また来たのか」といった露骨な表情をあえて隠さない。おざなりな診察が終わると、婦長さんが近づいてきて耳打ちした。「今晩、うちに泊まっていきなさい」と。リス族家族と日本人との奇妙な一行が病院で戸惑っているのを見るに見かねて、そっと声をかけてくれたのだ。権威主義的な医者に比べると、タイの看護婦さんは何と親切なことか。好意に甘えて、その晩は婦長さんの家で夜遅くまであれこれ相談に乗ってもらった。さすがに経験豊富な彼女のサジェスチョンは傾聴に値するものだったが、肝心の母親がそっぽを向いて聞こうとしない。せっかくの親切もこれでは意味がない。
 周囲の心配をよそに、村に帰ってから母親はさらに自暴自棄になっていった。入院前に私が手伝ってやっとのことで開墾した土地も草ぼうぼうの状態に戻っていた。このままでは再び生活が破綻するのは明らかだったが、これ以上母親に肩入れすることも難しい。子供の教育支援はできても、母親の生活保障まではできない。今から考えると、こうした理屈上の線引き自体がまったく現実的ではなかった。いくら子供が可愛いからと説明しても、村人は誰も納得しない。母親自身でさえ、理解に苦しんだはずだ。そんなリス族もタイ人もいるわけがないのだから。
 その後、私が一時帰国している間に、現実逃避の誘惑から母親は麻薬に手を出して、中毒症状が出るまでになっていた。こうなると、もはや救いようがない。あとはお決まりの人生転落コースを辿るばかりである。子供のわずかな小遣いをあてにして、学校まで金をせびりに押しかける。自らの意志で麻薬療養所に入ったのに、途中で我慢ができなくなって勝手に脱走を繰り返す。靴下に麻薬を隠し持っていた罪で刑務所に入れられる。何か問題を起こすたびに、私のところにまでニュースが届く。ときには面会要求コールも鳴り響く。旦那じゃないのに、と今さらブツブツ言ったところでもう遅い。こうなったら正真正銘の腐れ縁と観念するしかない。
 会うたびに痩せこけていき、顔の色がどす黒くなっていくこの幽霊のような母親を見ても、何故か憐憫の情は湧いてこない。だからといって自己責任だと突き放す気にもなれない。これがありのままの現実だとただ眺めるだけのことだ。たとえ、その眼差しが共犯者のものであったとしても。

(51号掲載)

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