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『生まれ変わり』を信じたら・・・

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ52号 生まれ変わりを信じたら 先頃、ある新聞社の取材に通訳として一週間ほど同行する機会があった。アジアにおける伝統的な子育ての方法、風習などを紹介することによって核家族化と少子化が進む日本人の子育てを再考しようとする連載企画で、マレーシアに続いてタイの子育て風景にスポットが当てられることになった。バンコクなどの都市部より伝統的な風習が残っているチェンマイ周辺のほうが調査地としては面白いという専門家のサジェスチョンもあって、私のところにそのお手伝いの話が舞い込んできたわけだ。
 お医者さんや知り合いに紹介してもらって、1歳ぐらいまでの子供を持つ母親十数人とその家族から話を聞くことができた。そのインタビューに同席して、改めてタイ人の濃密な親子関係を知る思いがした。急速に近代化しつつあるように見えるこのチェンマイでも、中心部を少し離れれば依然として田舎っぽい世界が広がっている。出産から子育てについても、まだまだ昔からの風習が受け継がれている。
 たとえば、出産後の母親の場合、ひと月ほどの間は防寒着のような長袖の服を着て、靴下を履き、手袋をはめて、帽子まで被っていなければいけない。身体を冷やさないという意味ではなるほど理にかなっているのだろうが、この暑い国で何ともご苦労な話である。これらの原則をどれだけ忠実に守るかは個人差があるが、普通の村人ならまったく無視するわけにもいかない。私の妻が2人の子供を産んだときは、それぞれ3月と5月の暑い盛りだったので、「この暑いのにやってられないわ」とぼやきながらも、靴下と帽子だけは身につけていたことを記憶している。
 さらに、この期間中は頭を洗ってはいけないとか、水の代わりにプールーイ(ハーブの一種)を煎じたお湯を飲むとか、鶏肉を食べてはいけないとか(これはタイ人の場合で、リス族やラフ族は逆に鶏肉と卵だけは食べてよい)、食事の味付けは薄い塩味に限られるとか、バーイ・パオ(これもハーブ)を茹でた水で身体を洗うとか、いろいろうるさい決まりごとがある。しかも、基本的に暗い部屋のなかから出てはいけないということになっている。今の時代にそれらの風習をそのまま受け入れるのは至難のワザだが、その家なりの解釈で部分的に実行しているようだ。日本でも、昔は産後の忌み籠りの期間があったそうだから、それと共通する文化的基盤がアジアにはあるのかもしれない。
 今回の取材でとくに興味深かったのは、子供がなかなか泣き止まなかったときや、身体の調子があまりよくないとき、親はどう対処するかということだ。もちろん、本当に身体が悪そうなら病院に行くわけだが、それほどでもなく、原因がはっきりしない場合はモー・ピー(一種の霊能者)のところに行ってお伺いを立てることになる。この赤ん坊はこれこれこういう人の生まれ変わりで、これこれのものを欲しがっている(金が欲しかったり、銀が欲しかったりする)といったようなお告げがあった場合、家族のものは近年に亡くなった親戚のなかからそれに相当する人物を探し当てるのだという。メンラーイ王の生まれ変わりだとか、プンプアン・ドゥアンチャンの霊が宿っているとか、有名人の名前が出てもよさそうなものだが、実際にはそんな欲張ったことにはならずに、あくまで身近に顔を知っている物故者に落ち着くものらしい。
 私にも2人の子供がいるので、「うちの子の場合はどうだったの?」と取材後にさり気なく妻に訊いてみた。長女はいたって健康にすくすく育ったので、モー・ピーのお世話になることはなかったが、娘のお腹のホクロを見た親戚のおばさんは前年に亡くなった自分の母親の生まれ変わりに違いないと村人に触れ回っていたとか。そのお婆ちゃんにも同じ場所にホクロがあったから、というのが彼女の主張する揺るぎない根拠である。
 長男についても追求してみると、疳の虫が強くて子育てにてこずったため、私には内緒でモー・ピーに連れていったことを白状した。こっそり出かけたのは、どうせ馬鹿にされると思ったからだろうが、むしろ私はこうした怪しげな行いに興味津々なのだ。せっかくの貴重な機会を逸して、まことに残念なことをした。このときのモー・ピーのご託宣は「この子の前世は、昨年亡くなったばかりの女の子であるぞよ」とのことだった。その場に居合わせた親戚一同は「あーやっぱり」と顔を見合わせたそうだ。
 というのは、3年前に義兄の娘が11歳で急逝したとき、悲しみに耐えかねた親類縁者の一行が当時評判になっていた別の村のモー・ピーを訪ねたところ、初対面の妻を指差してこう言ったからだ。「お前には日本人の旦那がいるな。必ず今から3ヶ月後に男の子を身籠る。この死んだ娘は本当は男の子になりたかったんじゃ」と。そして、確かにその3ヵ月後に妻は見事に妊娠した。しかも、長男の出産予定日(実際には10日ほど前に生まれたのだが)は、その娘の亡くなった日であったというから、ちょっと出来過ぎた話に思えるが、嘘をついているわけでもなさそうだ。
 この話を初めて聞いて、「なるほど、そうだったのか」と私はひとりで頷いていた。本コラムでも何度か登場したキノコ採り名人の婆さん、すなわち義兄の前妻の母親がなぜメーテンの山村からかくも頻繁に我が家を訪れ、血縁関係もない我が息子を溺愛しているのか、どうも合点がいかなかったのだが、これでようやくその謎が解けた。この婆さんは、息子に今は亡き孫の姿を重ねて見ていたのだ。その娘が身につけていた金の仏様のお守りを息子に託した訳もやっと納得できた。婆さんが死んだら遺産として土地を息子に譲るとまで言っていたことも。
 果たしてそのような直接的な生まれ変わりが可能なものか、どうしたって俄かには信じ難い。「わたしはかつて樹であった」とはアルゼンチンのフォルクローレ界の至宝として知られたギタリスト兼歌手アタウワルパ・ユパンキが何十年も前に来日したときの名言(迷言)であるが、個人的にはそんな人を食ったようなものの言い方が好きである。もっともキノコ採りの名人婆さんだって、どこまで本気で信じているのか疑わしい。ただ、そう思うことで、ともすれば崩れそうな心の安泰を何とか保っているのだろう。それでいいのだ。
 ところで、ちょっとだけ気になるのは、先日、息子が長女のピンクのベルトをしてニコニコしていたことだ。生まれ変わりならまだしも、オカマにだけはなってくれるなよ。

(52号掲載)

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