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ようこそ陸の孤島へ

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ55号 ようこそ陸の孤島へ この頃のように連日の雨降りだと、「山の村はさぞ大変だろうな」と思ってしまう。もちろん、この時期に雨が降らなければ農作物が育たなくて困るのだが、降ったら降ったでまた大いに困るのだ。最近でこそ、山岳民族の村への舗装道路がずいぶん整備されてきたが、それでもまだ雨季の移動に難儀するところが多い。
 チェンダオの奥にある小さな町ムアンコーンも、雨が降るとなかなか辿り着けないところだった。昔、ここの学校で教えていた先生から雨季のムアンコーンへ向かったときの写真を見せてもらったことがある。チェーンをタイヤに巻いているにもかかわらず、ぬかるみにはまってニッチモサッチモ行かなくなった状態をリアルに捉えていた。しかもこんな難所が道中に何箇所もあり、泥まみれの道が30km以上も続くという。このとき以来、「恐るべきムアンコーン」のイメージがくっきりと脳裏に刻まれたのだった。
 私がムアンコーンを実際に訪れたのは、道路が良くなってから間もない3年前のことだ。町のはずれにあるノンブア村の小学校で生徒寮が必要だとの情報があって調査に出かけた。100人足らずの学校で、カレン族やリス族の村から通う半数近くの生徒が教室で寝泊りしていた。チェンダオからの道はよくなっても、各村からの道は泥んこ道のままで雨季の通学は容易ではない。生徒寮の必要性は明らかだった。ある日本のNGOに助成金申請の手続きをしてもらったところ、別のNGOからも同一案件の申請があったとのことで最終的に却下されてしまった。どうも当時の校長先生が二股をかけていたらしい。校長の安易なやり方には納得がいかなかったが、困っている子供たちに罪はない。
 その後、どうなっているのか気になって、校長に手紙を書いたが返事がない。連絡を取ろうにも、山奥の学校だから電話すら通じない。こういうときはアポも何も取らずに、いきなり訪ねていくしかない。山道を長時間運転してはるばる訪ねていっても、不在のこともままある。しかし、それを恐れていては、山の人たちとのお付き合いはできない。
 6月某日、チェンマイからチェンダオを過ぎて、一路ムアンコーンへと向かう。急坂を一気に上りつめて、しばらく進むと素晴らしいチェンダオ山の眺望が開ける。この辺りのリス族の村はバーン・ファースウェイ(空が美しい村)なるとびきりロマンチックな名前がついているが、けっして名前負けしていない。昼なお暗い谷を渡り、木立のなかの尾根道を抜けていく。舗装されていなかった頃は運転するだけで精一杯だったはずだが、道が良くなった今では景色を楽しむ余裕さえある。途中、のろのろと走っている2台のワゴン車をさっと追い越していく。山道に慣れていない運転ぶりからすれば、バンコクの大学生のボランティア視察だろうか?
 チェンダオから1時間ほどでノンブア村に到着した。だが、どうも様子がおかしい。村人はやけにたくさんいるのに、馴染みの校長先生の顔は見当たらない。ちょうど昼飯時で、粗末な食堂へ通される。既に木製のテーブルには食事が用意されている。村人と先生との懇談会なのだろうか? そう思っていると、先ほどのワゴン車が校庭に入ってきた。どうやらこちらが本日の主賓らしい。
 村人の代表格らしきオジサンがビールを注いでくれながら「前の校長がいなくなっちゃってから、もう1年になるね。やっと新しい校長が来てくれることになって、今日はその歓迎会ってわけよ」と耳打ちする。やがてガヤガヤと車を降りてきた20人ほどの一行が席に着く。はっきり言って、私だけが場違いなのだが、お構いなしに図々しく座っていると、なんとなくその場に溶け込んでしまうのがタイの宴席の不思議なところである。隣に座った初老の男性が話しかけてきた。「いやー遠いのなんのって。昨晩8時にブリラムを出てから、16時間車に乗りっ放しだからね。」さらに事情をきくと、ブリラム県の生徒数500人以上の学校の校長が突然、僻地勤務を自ら志願して、この小学校に赴任することになったのだが、それを心配した周辺の学校の校長一同が遠路はるばるこの奥地まで付き添ってきたということが判った。つまり、この人たちは僻地赴任壮行激励ツアーの校長先生御一行様だったのだ。
 司会役の弁の立つ先生が激励の言葉を述べる。「この度、親愛なる同胞S君は、その教師人生を敢えて山深いこの貧困の村に捧げる決心をしたのであります。かくなる崇高な行いは我々凡夫には及びもつかない、まさに聖人の所業というべきでしょう。素晴らしき友S君とこの地に第一歩を印せたことはまさに感無量であります(パチパチパチ)」
 それに応えて赤シャツ姿のS新校長のスピーチが続く。「本日、皆さんが温かく私を送り出してくださったことは生涯忘れません。やっぱり持つべきものは友ですね。ここは筏下りができる職場でありまして・・・(笑)」ここまではまだユーモアを言う余裕があった。「この村が山奥の遠いところにあることは十分承知しておりました。どれだけ貧しい村であるかも・・・しかし、ま、まさかこれほど辺鄙で・・・こんなに寂しいところだとは、夢にも・・・」(この後、口をヘの字に結んで言葉にならず、天井に向けた目から大粒の涙がこぼれる。場内から『大丈夫、俺たちがついているぞ!』との激励が飛ぶ)「いくら貧しく寂しいところでも、いったん決心したからには、すぐに帰るわけには・・・うちの家内をブリラムに残してきた手前、もちろんずーっというわけにもいきませんが、何とか2年ぐらいは精一杯頑張りたいと・・・(涙)」
 見回すと、他の校長先生方も皆さん目を潤ませている。もらい泣きしている人もいる。司会者がS新校長をしっかり抱き寄せている。別にアフリカの飢餓地帯に行くわけでもあるまいし、緑豊かな北タイの田舎に来ただけなのに。大袈裟だとは思うが、タイ人一般の反応としてはこんなものなのかもしれない。思わぬところでタイ人の固い友情の絆を目の当たりにして、クールな日本人の私としては少しこそばゆくなってしまった。その一方で、ここまで素直に熱くなれるタイ人を羨ましく思ったのもまた事実だ。
 2時間ほどで激励ツアーの御一行はチェンダオの町へと向かっていった。下校時間になったとみえて、校庭では幼い生徒たちが自主的に国旗をポールから降ろし始めた。調子外れのだらだらした鼓笛隊の音が山の学校に響きわたる。新校長の未来やいかに? いざとなれば、結構サバイバルできるのではないか。男純情の涙に賭けて。

(55号掲載)

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