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母の日から洪水が始まった…

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ57号 母の日から洪水は始まった ある程度のことは覚悟していた。8月12日の王妃誕生日、母の日に際してのことだ。妻の母親、母親の母(つまり祖母)、そして血縁関係はないが母親のように慕うキノコ採り名人の婆さん、この3人に「なぜ3人も…」という喉元まで出かかった言葉を押し殺してプレゼントを買い、夕食はどこかレストランに招待するぐらいのことは想定していた。ところが、妻は早朝から実家に向かえと命令する。「一度で済ませたいから」ということで何となく了解したが、改めて考えると何が一度なのかよくわからない。要するに、どこかへ遊びに行って、どこかで昼食を食べてお終いにするその過程が一度という意味らしい。
 まあ、昼飯までの辛抱だからよしとするか、と素直に命令に従って実家に到着してみると、3人どころか親戚の一族郎党十数人がニコニコと待ち伏せしていた。確かに半分以上は女性だから、母の日の大義名分は立つ。だが、誰が誰の母親なのやら。考えるだけで頭が痛くなるので、いつものように判断停止モードにスイッチを切り替え、親戚一同と共にこの日の目的地のメーガット・ダムへと向かった。ここの岸辺の東屋風レストランでは大好物の淡水魚プラーブーが食えるから、私にとってもさほど悪い選択ではない。
 コン・ムアン(北タイ人)は何かにかこつけて、親戚一同が集まって飲み食いする大義名分をでっち上げる名人である。子供の誕生日だって、いつのまにか大人たちは本人そっちのけで遅くまで酒を酌み交わしている。いったん集まって酒を飲み始めたら、あとは理由なんてどうでもいいわけだ。そんな機会がしょっちゅうあれば、親戚の結束が否応なしに固くなっていき、大きな家族のような関係になっていくのは自然の理というものだろう。
 この日も妻が3人の母にジャスミンの花を捧げ、相手の胸に頭をつけたジーンとくる場面を除けば、何の集まりだかさっぱりわからない母の日便乗宴会が湖畔のレストランで延々と続き、昼過ぎにようやくお開きになろうかという頃になって、別の親戚一同を乗せたトラックが遅れて到着、それならまた場所を変えてということになった。「一度で済むから」との甘い見通しをあざ笑うかのような親戚のダメ押し的来襲だが、これも大局的見地からすれば一度だと言えないこともない。
 20人以上に膨らんだ親戚軍団は3台のボートに分乗して、対岸にある湖上のレストランへと向かう。ここには簡易宿泊施設もあって、くつろぎながら飲み食いするのにうってつけの雰囲気だ。というわけで宴会はまたリセットされて始まってしまうのだが、私はとても付き合い切れず、ビールとプラーブーの幸せな化学反応の効果もあって、夕方までスヤスヤと寝息をたてることになる。
 2、3時間も経っただろうか。やけに涼しい風と横なぐりの雨を額に感じて、目を覚ます。どうやら天気予報で告知していた嵐(パーユッ)が来たらしい。夜になってこんな水上オンボロ小屋に取り残されたら大変である。さすがのコン・ムアン流エンドレスな酒盛りも自然の脅威の前にはけじめをつけざるを得ない。激しくなるばかりの雨のなかを急いでボートで引き返し、親戚一同は無事に村へと戻った。
 その晩から雨は2日間にわたって降り続いた。やけにしつこく降ると思っていたところ、母の日以来、実家に便乗滞在している妻から電話があった。豪雨で満杯になったメーガット・ダムを放流したので、ピン川の水かさが増しているとのことだった。ダムの放流は雨季には珍しくないことだが、今回は通常の水面から5mも差がある村の道路まで水がひたひたと押し寄せている状態だという。「ニュースを見てないの?」と言われて、慌ててTVをつけると、海のようになったメーホンソンの洪水の映像が浮かんできてびっくりした。パーイでは西洋人旅行者が何人も行方不明になっていて、その先のパーンマパー地区でも被害が甚大だという。「雨量計を山の上まで持っていくことはできなかったので、どのぐらいの雨量だったのか判らない」とのメーホンソン県の役人のコメントにはずっこけたが、要するに今回の豪雨は平地部よりも山間部に集中したために山地での被害がひどくなっていることを説明したかったようだ。
 このような洪水のパターンは、15年間北タイに住んでいる私でもちょっと記憶にない。30年ぶり、あるいは40年ぶりの大洪水と報道されていたが本当だろう。メーホンソンと同様に山に囲まれたチェンダオ近辺では実に100年ぶりの規模の洪水だったとか。はたして100年前の記録があったのかどうか極めて疑わしいが、その根拠は90歳ぐらいの古老の証言だったのかもしれない。タイの報道機関なら十分にあり得る話だ。
 チェンマイ市内での被害も、今まで目にしてきた洪水のなかでも最大級のものだった。ピン川に近いナイトバザール〜チャーンクラン通りが水浸しになったのはいつものことだが、シェラトン・ホテル周辺のノーンホーイ地区、サラピー地区、さらにはランプーン方面でも大きな被害が出た。
 8月15日に野次馬根性もあって、ノーンホーイ交差点へと出かけてみた。途中、ピン川にかかる橋の上では、私のような野次馬もたくさん出ていたが、スアンドーク病院の出張医療テントに医師が待機して無料診察にあたっていた。交差点に着いてみると、レストランS&Pの緊急食料支援トラックから被災者に対してカステラが無料で配布されているところだった。急遽設置されたテクニーク・カレッジとチャルーン・モーター・チェンマイ共同のIT(といってもほとんどがオートバイ)修理センターでは、生徒たちが無料労働奉仕に励んでいた。トーショードー(国境警備隊)のボートや軍用トラックは被災地とのピストン輸送に大活躍していた。
 この素早く自然な救援態勢を目の当たりにすると、タイ人全体がひとつの家族のように思えてきた。それは、国王誕生日を父の日、王妃誕生日を母の日とし、親戚一族郎党がすべて家族のようなタイ社会のあり方と無縁ではないだろう。野次馬目当てにちゃっかり交差点に陣取っていた宝くじ売りのオバチャンも、考えようによっては助け合いの精神の賜物だといえるわけで。

(57号掲載)

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