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星になったコームファイ

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ63号 星になったコームファイ ローイクラトーン=イーペンのとき、川に流す灯篭がクラトーンなら、空に放つ熱気球(正確には筒状だから玉ではない)がコームファイだ。どちらも火がついてから、人の手を離れて水や空気の流れのなかにゆらゆらと遠ざかっていくという共通点がある。その行方が意のままにならないところが、どこか我々の人生のあり方にも似て感傷を誘う。もしラジコン付きのクラトーンやコームファイがあったとしたら興醒めだろう。制御できないままに行方不明になっていく、その不確かで自由な感覚がたまらないのだから。
 ローイクラトーンに限らず、タイ人の火や野外照明の使い方は天才的である。夜の灯りは自ずとイマジネーションを刺激する。その勘所をタイの人たちは本能的に知っている。チェンマイの街も、昼よりはお堀端にイルミネーション揺らめく夜のほうがずっと魅力的に見える。ちょっと一杯ひっかけるカウンターの飲み屋だって、チカチカ点滅する照明(と麗しき女性の瞬き)によって夢の宮殿へと早変わりする。もっとも、翌朝になって「こんなチンケな店で飲んでいたのか」とガッカリするのはいつものことであるが。
 想像力に訴えるセンチメンタルな魅力において、クラトーンもコームファイも甲乙つけ難い。ただクラトーンの炎はいずれ水の中へと消えてゆく宿命にあるが、コームファイの場合はまだ火がついたままで地上に舞い戻ることもあるから、両者の危険度には大きな差がある。数年前にもワロロット市場近くの店に落ちたコームファイで火事になったことがあった。空高く舞い上がって飛行機の障害にもなるので、近年は当局の規制があるらしいが、ちゃんと守られているかどうか疑わしい。
 この熱気球をコームローイと習慣的に呼ぶ人もいるが、厳密には正しくない。コン・ムアン(北タイ人)は昼間に煙を炊いてその熱気で上げるコームローイと、夜間に火をつけて上げるコームファイとを区別している。タイ人でも、コン・ムアン以外の人たちは混同して使う傾向があるようだ。
ローイクラトーンを5日後に控えた11月12日の晩、我が家からさほど遠くないサンサーイ郡のメージョー大学裏手にあるお寺でたくさんのコームファイを上げる行事があると聞き、市内に住む友人たちと見物に出かけた。サンサーイの川向こうにある妻の実家の親戚(例によって一族郎党十数名)とメージョー大学前で合流してから、道路沿いの灯りを辿って会場へと向かった。特設駐車場に車を置いて、目的地のお寺の広場まで歩いていこうとしたところ、親戚の一行はぐずぐずしている。結局、齢76歳の祖母、体重82kgの母親をはじめとする半数の親戚は駐車場に残って見物することになった。歩きたくないというのがいちばんの理由だが、お寺では堂々とビールが飲めないことも不都合なのだ。いつもながらチャオ・バーン(村人)の行動パターンは私の想像力を遥かに凌駕している。
 会場では既に、球形の光を背後にした黄金の仏像の周囲を何重にも僧侶が囲んでお経を唱えていた。ここワット・トゥドンカサターンランナーチェンマイはタイ仏教界の新興勢力タンマガーイのチェンマイでの中心寺院である。以前、タンマガーイはその豊富な資金力をバックに広大な土地を購入していることが報道され、各方面で物議を醸した。『イーペン・サンサーイ』と銘打たれたこの行事は、十数年前に地元住民とタンマガーイの協力で始まったものだという。
 僧侶の座る段々の周りには、数メートルごとに篝火が焚かれ、その地点でそれぞれ信者と思われる人たちがコームファイの打ち上げ準備をしている。読経が終わると、いよいよコームファイに点火し、あとは紙の中の空気が温まるのを待つばかりだ。「まだですよ。まだ手を離さないで」という場内アナウンスが響く最中にも、あちこちでフライング気味にコームファイが上がっていく。日本なら周囲のヒンシュクを買いそうなところだが、ここは大らかな北タイであるから、一向にマイペンライである。やがて、ほとんど同じタイミングで大多数のコームファイが夜空へと放たれていく。数百、いや数千はあるだろうか。これだけ数が多いと、もはや形容する言葉を失う。しみじみと静寂の中でその夢幻的なまでの光景に見とれていたかったのであるが、そんなささやかな思惑をあっさり打ち消すように、明るい音楽が大音量で会場に流れ、ズドーンと派手な花火が炸裂する。見上げるうちにコームファイの炎はどんどん遠くなって、いつしか満天の星となっていた。
 例年のように、ローイクラトーン本番の夜は、ピン川沿いにある妻の実家の村で過ごすことにした。親戚が親戚に対して酒を売っている、資本主義社会の競争原理に真っ向から背を向けたような店でビールを飲むのも悪くない。傍らで酔っ払った村の男たちがコームファイを囲んであーだこーだ言っている。コームファイの構造は単純そのもので、薄紙を貼った60〜70cmの竹の輪に十文字に針金が渡してあるだけだ。その針金の交差する中心部に輪切り状のトイレットペーパーを括り付けてあるところがミソである。軽油にローソクを溶かした液に浸したトイレットペーパーがコームファイ上昇の鍵を握る燃料なのだ。こんな原始的な仕掛けで空高くまで飛んでいくのだから、まったく不思議というしかない。
 村人の飛ばすコームファイは、大抵おまけに爆竹や花火が取り付けてある。上昇しながら、線香花火のように火花が飛び散っていく。何千個ものコームファイも確かに壮観だが、ひとつずつ上がっていくコームファイの情緒はまた格別である。ビールのつまみとしては、むしろこちらのほうがいい。
 コームファイを飛ばしてはビールを飲み、ビールを飲んではコームファイを飛ばし、といったことを飽きもせず繰り返すうちに、外の空気も次第にひんやりとしてきた。ふと路上に目をやると、真っ黒にススだらけになったコームファイがべたっと落ちていた。先ほど飛ばしたものか、それともどこか他の場所からやってきたのか。せっかく行方不明になったはずなのに、再びこの地上に舞い降りてしまうとはご苦労な話だ。コームファイの隕石を前にして、酔いもすっかり醒める思いがした。

(63号掲載)

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