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チャオソンは幸せなのか?

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ64号 チャオソンは幸せなのか 北タイに限らずタイの田舎の村には、チャオソンと呼ばれる人が大抵ひとりやふたりはいる。簡単に言うと、ピーが身体のなかに入りやすい霊媒体質の人である。民俗学的にはシャーマンの部類に入るのかもしれないが、そこまで大袈裟な感じではないし、霊能者というほど神秘的でもない。一見して普通のようでいて、でもどこか変な人なのだ。村人は何かにつけてチャオソンのところへ行き、身の上相談に乗ってもらったり、具合が悪い身体の部分をまじないや薬草などで治してもらったりする。占い師と祈祷師を足して二で割ったような存在と言えばよいだろうか。
 メーテンの山村に住むキノコ採り名人婆さんから、「チャオソンの集まりがあるから遊びにおいで」と連絡があった。私がこの手のわけのわからないものに関心があることをなぜか知っているのだ。そんなそぶりを見せたつもりはないが、この婆さん自身がチャオソン一歩手前のような人なので、心の中を見透かされているのかもしれない。
 会場の村の寺をのぞくと、境内の木立に囲まれた広場にゴザが敷かれ、その周囲に40〜50名ほどのチャオソンが待機していた。どこか変な人たちがこれだけたくさん集まっていると、どこかどころか相当おかしな気配が充満している。原色の派手な衣装を身につけ、布を頭巾状に被ったいでたちだけでも、かなり異様である。日常的な世界とは次元の異なるアナザー・ワールドからいきなり飛び出してきたようなコスチュームである。
 キノコ採り婆さんによれば、これまでこの手の集会が村で開かれたことはないそうだ。村にひとりいるチャオソンが仲間に呼びかけて、お寺へのタンブン(トートパーパーと呼ばれる小規模なもの)をすることになったのだという。傍らにあった招待状を見ると、チェンマイ、ランプーン、ランパーンに住む100名以上のチャオソンの名前が列記されていて、運営委員名簿まで載っている。チャオソンにも協会のようなものがあって、それなりのネットワークが張り巡らされているのだ。
 伝統楽器とエレキ楽器が混在した10人編成の楽団の演奏が始まると、チャオソンの皆さんはぞろぞろと広場に出てきて踊り出す。決まったステップや振り付けがあるわけでもなく、思い思いのスタイルで実に気持ちよさそうに快適なテンポの音楽に身を委ねている。周りで見ている一般の人は、踊りの輪の中に入ることは許されない。普段は音楽が鳴り響いた途端に踊り出す陽気な村人たちも、この一種奇妙な空間を前にしてキョトンとしている。
 最初はすぐに退屈するのでは?と思っていたのだが、その心配はまったく無用だった。それぞれのチャオソンの表情やパーソナリティを観察しているだけで飽きることがない。サングラスをかけてニコニコしているおばさん、真っ赤な扇を片手にノーブルな舞を披露する貴公子然とした青年、オカマっぽい恍惚の表情を見せる中年男性、パイプを楽器のように演奏している山岳民族の婆さんなどなど。文字通り、老若男女のチャオソンの大集合である。ベンツで会場に乗りつけたハイソのチャオソンもいたから侮れない。
 尋ねてみると、チャオソンに入るピーはそのときどきで変わるわけではなく、いつも決まっているようだ。北タイの人でもピーが入ると、いきなり南タイの方言や山の言葉を話し出したりするという。ピーが入るときに声を上げる人もいれば、表情も変わらない人もいる。そのあたりのプロセスは人それぞれ(いや、ピーそれぞれか?)らしい。休憩時間に観察した限りでは、酒を飲んでいるチャオソンも多い。酒の力を借りて、ピーを呼び込むこともあるのだろう。ピーなど関係なく、ただ単に酔っ払っているだけという気がしないでもないが。 
 布製のずた袋を肩からかけて写真を撮っていたら、袋を指差しながら山岳民族のチャオソンが近づいてきた。この類の袋は山の人たちが日頃よく使っているので、親近感を持ったらしい。プレーからはるばる参加したこのヤオ族の爺さんは、べろんべろんに酔っ払っている上に、長い特製パイプでタバコも吸いっ放しである。こうなるとチャオソンというより、ジャマイカのラスタファリアンみたいだ。さらに、ひょうきんなカレン族の婆さんも、やはり袋を見てさも親しげに話しかけてくる。かつて山のなかの村々を彷徨っていた私にいつのまにか山岳民族のピーがとりついていたとしても不思議ではない。とにかく、このずた袋だけは隠さなければ…。
 ウッ、ウーという唸り声がして、後ろを振り返ると、先ほどから可愛いなと気になっていた女の子が頭に紫の布を巻いていた。今、彼女のなかに、ピーが入ったところだったのだ。そうか、美少女のチャオソンもいるのか。可愛いあの子から「実はわたし、宇宙人なの」と告白されたような複雑な心境になった。あとで訊いてみると、普段はタバコに手を触れたことさえないのに、ピーが入るとスパスパやってしまうのだとか。ウブな美少女の背後にいる不良少女のピーに当惑しながらも、せっかくの機会だからと、携帯の番号を教えてもらった。
 何度かステージ(といったらいいのか?)を重ねるうちに、楽団の演奏とチャオソンの踊りのノリが相乗効果的にだんだんとよくなってくる。といっても、何かが憑依して神懸りになったり、鬼気迫る行いをしたりすることはない。ひたすら、ほんわか、のほほんとした和やかなムードに終始している。チャオソンの皆さんのいかにも幸せそうな、吹っ切れた表情はいったい何だろう。
 現代人は根拠もなく「自分」というものがあると思い込んでいるが、それはほんとうに確かなのか。完璧であるはずもない「自分」と一生ずっと付き合っていくのは、けっこう大変なことである。もし、「もうひとりの自分」がいて、何かの拍子にすっと入れ替わってくれたら、さぞ気が楽になるに違いない。ひょっとしたらピーとは、「もうひとりの自分」のようなものかもしれない。チャオソンのあっけらかんとした愉悦の表情を眺めていたら、そんな気がしてきた。

(64号掲載)

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