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霧にむせぶ朝

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ67号 霧にむせぶ朝 このところ、年のせいかというほどの年でもないはずなのに、たとえ夜更かしをしたとしても、朝まだ薄暗いうちから自然と目が覚めてしまう。やることもないので、ガラス戸を開けて、とりあえず庭へと出る。サンダルを履こうとして、その冷っとした感触に身震いする。庭先に出しっ放しにしておいたために、ビチャビチャに濡れているのだ。別に、明け方に雨が降ったわけではない。北タイのクール・シーズンの朝には、驚くほどたくさんの露が降りる。前日に洗濯物を取り入れ忘れたりすると、湿り気味になるどころか、びしょ濡れになってしまうから注意が必要だ。
 庭に出て、植木を一本ずつ、じっと眺める。実は、昨日もじっと眺めた。我ながら年寄り臭いとは思うが、既に習慣となってしまっているのでやめることもできない。いくらじっと眺めても、植物が生長を早めるわけではないことは承知の上で、なおも眺め続けて、昨日とのちょっとした差異、変化を見つけたときなどは非常に嬉しい思いがする。やがて、朝の光が昇り、若葉の上に降りた露をキラキラと照らしていくのを見ると、年寄りじみた気分も若返っていく。恋人よりもペットの癒し効果は絶大だと聞いたことがあるが、植物の癒し効果はペット以上である。
 今、クール・シーズンと書いたが、どうもこの呼び方はしっくりこない。この季節でも強烈な太陽光線が降り注ぐ日中はやはり相当に暑いから、正確には「朝晩に限ってはクールなシーズン」とでも言えばいいのだろうが、そんな注釈付きの言い方もまだるっこしいので便宜的にクール・シーズンと呼ぶしかない。もっとふさわしい呼称があってもよさそうなものだが、思いつかない。
 日本ではとても考えられないようなこうした昼夜の温度差によって、露が忽然と地上に姿を現すことになる。この多量の露は、北タイの植物の生育に深く関わっている。長い間、ほとんど雨が降らない乾季の農作物の作付けも、多大な露の恩恵を受けている。露が降りなければ、山の草や木もあっさり枯れてしまうに違いない。
 確かに、露は北タイのこの季節の気候を象徴するものだが、山間部になると露が降りるだけではなく、濃い霧が立ち込める。私は山に囲まれたメーホンソンやチェンダオでしばらく暮らしていたことがあるので、霧が立つことが少ないチェンマイのクール・シーズンは片手落ちの感がしてどこか物足りない。
 とくにメーホンソンは濃霧で有名なところで、チェンマイからの飛行機が着陸できずに引き返すこともよくある。霧に加えて、あちこちで山焼きの煙が上がる季節は視界不良も極まり、飛行条件としては最悪に近い。それなら車で行けば安全かというと、そうでもない。ヘッドライトを点けても前方がまったく見えないようなことがしょっちゅうで、ヘアピン・カーブが連続する峠道など細心の注意を払いながらゆっくり運転しなければならない。これが長時間続くと、いったいどこを走っているのやら、さっぱり判らなくなってくる。
 タイ第三の高峰チェンダオ山が唐突に聳え立つような地形のチェンダオ周辺も、山からの冷気が自然と平地部に流れ込んでくるため、霧が出やすい条件が揃っている。早朝よりも、気温が上昇していく9時か10時あたりのほうが霧のピークであることが多い。その時刻を境にして、しばらくすると今度は一気に霧が晴れて、それまでの状況が嘘のような澄んだ青空が広がっていく。爽快な大気のマジックが毎朝繰り返されるようで、何度見ても見飽きることがない。
 17年前、タイを初めて訪れたときの正月明けは数日間チェンセーンに滞在していた。昭和天皇崩御のニュースをこのメーコンをのぞむ北タイの片田舎で知った。竹でできた一泊30バーツの草葺のバンガローを早朝に抜け出して、滞在期間中は毎朝メーコンの河畔をぶらぶら散歩した。当時は今のように無粋なコンクリート歩道もなく、ただ埃っぽい川沿いの道が続いているだけだった。その道を黄色い袈裟を身につけた僧侶が静かに歩いてきて、白い霧の中から次第に現れる。それは絵を見るような幻想的な光景だった。道路脇の土手から河原に下りて、岸辺で薄明のときをぼんやりと過ごすうちに、川面に深く立ち込めた霧が一瞬、真っ赤に染まった。その美しさは今も忘れられない。はかなく消えていく霧だから、なおさら美しく思えたのだろう。
 ミャンマーと国境を接するタートンも、コック川に面したやはり霧深い町だ。メーコン同様、川の水と大気の温度差によって霧が発生する。何年か前に訪れたときは川のほとりに群生するススキに似た植物とその上に漂う霧とのコラボレーションが絶妙だった。
 このように露や霧を生み出す昼夜の温度差が激しい気候に適した作物がいくつかある。かつて北タイの山岳部で盛んに栽培された芥子はその典型として知られる。メーホンソンのリス族の村で暮らしていた頃、朝霧が漂う山道をあてもなく彷徨っていると、目指したわけでもないのに芥子畑へと出たことが何度もあった。もちろん今は、アヘンの原料である芥子の花は栽培禁止となり、その代替作物として同じような気候にふさわしい果樹、コーヒー、お茶、高原野菜などが植えられた。実用的、倫理的な意味からすれば、歓迎すべき変化であるのは当然だとしても、美学的な話となるとまた別である。
 許されることなら、もう一度、霧の中で道を踏み迷いながら秘密の花園に忍び込んでみたい。きっとあの世にも可憐な赤や白の芥子の花は、消え行く霧の思い出のなかでいつまでも風に揺られているに違いない。

(67号掲載)

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