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蛇を夢見て

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ69 号ヘビを夢見て 表向きはすっかりコンクリートで固めつくされたかに見えるチェンマイでも、意外と手ごわい野生生物にお目にかかることがある。といっても、今、注目のナイトサファリの話ではない。
 コンドミニアム在住者はともかく、庭付き一軒家に住んでいる方は、日常的に出没する生き物に対してかなりの注意が必要だ。しょっちゅう悩まされるのは、蟻の大群の来襲だろう。木の枝に巣を作る赤アリ(モット・デーン)はとくに攻撃的で、いったん咬み付いたら少し引っ張ったぐらいではなかなか離れない。黒アリでも油断ができないのがいて、咬まれると注射のような鋭い痛みがしばらく消えない。そんな経験はタイに住んでいる方なら、一度や二度はあるはずだ。
 痛みの点で最上級にランクされるのはムカデである。そう断言できるのは、自慢するわけじゃないが、数年前に実際に刺されたことがあるからだ。植木をこよなく愛する私は、隣のおばさんに「これだけ水撒きに熱心な人は初めて」と皮肉られたほど、朝に夕に庭の隅から隅までたっぷり水撒きをしていたので、ジメジメしたところを好むムカデが増えないわけがない。これは気を付けなければと用心していたつもりだったが、夜中にトイレに行こうとしたときにチークの床の上をゾロゾロと歩行中であったムカデをうっかり踏みつけてしまった。そのときの痛さと言ったら、思い出すだけで顔が引きつる。「イタタタター」とタをいくつ重ねても足りないくらいの激痛だった。たまたま庭に植えてあった毒消し痛み止め用のハーブの葉を傷口に擦り込むと、多少痛みはひいたものの、それでも浪花節のような唸り声を上げたいのをこらえ続けて、病院へと駆け込んだ。医者の話では、痛い割に毒成分は強くなく、破傷風の予防注射だけ打てばよいとのことだった。果たして、その痛みも腫れも2日後には消えていた。
 この家の裏庭では水撒きをしなかったためか、恐ろしいサソリも何度か目撃している。幸いにもこちらには刺されなかったので、サソリとムカデのどちらが痛いのかわからない。真実を知りたければ刺されてみればよいわけだが、「言うは易し、行なうは難し」で、さすがにその勇気はない。そんなことを書いていたら、グッド・タイミング(?)で勇気あるカップルのニュースが舞い込んだ。『サソリ女王が結婚、お相手はムカデ王』との凄いタイトルが付いた共同通信の記事である。3400匹のサソリと32日間にわたり同居した記録を持つタイ人女性と、1000匹のムカデと28日間暮らしたことがあるタイ人男性がバレンタイン・デーにパタヤで結婚式を挙げたというのだ。ぜひともご両人に痛みの違いを訊きたいところだが、もちろん訪ねる勇気はない。
 何と言っても、身の回りにいる生き物でいちばん怖いのは蛇だろう。かつてYMCAのそばに住んでいた頃、家の門柱に黒と黄色の鮮やかな縞模様の毒蛇が巻きついていて、腰を抜かしそうになったことがある。街中でもこんな風だから、野山に行けばもっと頻繁にその姿を見かける。田舎では車を運転しているときに、道路を横切っていく蛇にしばしば遭遇する。このようなとき、こちらの人は「今日は縁起がいい」と思う。蛇は幸運の象徴と見なされているからだ。逆に蛇を殺すことは運が逃げていくから本来はご法度のはずだが、蛇を好んで食べる人はグー・シンでもグー・ハウ(タイ・コブラ)でも蛇を見つけたらさっさと捕まえて、火であぶって輪切りにしてトム・ヤム・グーにしてしまう。運が逃げても、旨いものさえ食えれば満足というわけだ。
 不思議なことに、私の場合、蛇が出る前には予感がする。山道などを歩いていて、なんか蛇が出そうだなと思っていると、決まって本当にお出ましになる。まるで蛇に対する本能的なセンサーが身に備わっているかのようだ。これまた自慢するわけじゃないが、私はかつてマムシに咬まれたことがある。そのせいで、蛇に対して異常なほどに鋭敏な感覚が身に付いてしまったに違いない。
 忘れもしない20年前のこと。その昔、芭蕉も訪れたという秩父札所31番鷲窟山観音院に参拝した後、山越えして鉱泉宿へと向かっているときだった。日が暮れる前に目的地に辿り着こうと、小走りで山道を急いだのがいけなかった。しかも、靴でなくサンダル履きだったのもまずかった。枯葉の中の小枝でも足に突き刺したかと思った瞬間、するすると蛇が逃げていくのが見えた。毒が身体に浸透していくうちに、だんだん足が重くなっていくのが判ったが、やっとのことで山寺に引き返すことができた。
 担ぎ込まれた小鹿野町病院では、おそらくマムシだろうが特定はできないとの理由で血清を打たなかった。くるぶしを咬まれただけで静脈炎(マムシは出血毒)のために腿まで丸太ん棒みたいに腫れあがり、1ヵ月間の入院を余儀なくされた。不幸中の幸いだったのは、田舎の病院の飯がそんじょそこらの定食屋以上に旨く、看護婦さんも可愛い人ばかりだったことだ。考えようによっては、我が人生で最良のひとときだったのかもしれない。
 偶然か必然か、秩父の山を彷徨っていたときに持ち歩いていた本は、蛇に関連したものばかりだった。陰陽五行の権威である吉野裕子さんの『日本人の死生観〜蛇信仰の視座から』、ドイツ幻想小説の傑作で蛇に恋する話が展開するホフマンの『黄金の壺』、さらに蛇に咬まれたときの処置方法を載せた『旅行読売』といった具合で、運命論者でなくとも蛇に咬まれるべき運命にあったと観念せざるを得ない。蛇の毒が脳を冒したわけでもないだろうが、この日を契機に人生の流れが変わったような気がしてならない。タイに来ることになったのも、蛇の導きだったらちょっと怖い。
 タイ人は夢の中で蛇を見たら、生涯の伴侶と出会う前兆だと信じているとか。入院中にどうして私は蛇を夢見なかったのか? そうすれば、あの看護婦さんの誰かとめでたく結婚できたはずなのに。今さら、ぶつぶつぼやいたところでもう遅いって。タイ人女性にあちこち咬まれたあげくに毒が回って、既に致命傷になりかけているのだから。早く、一刻も早く血清を!

※タイトルはキューバのシンガーソングライター=シルビオ・ロドリゲス

(69号掲載)

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