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ラオスでホッとする

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ70号 ラオスでホッとする 以前は日本に一時帰国してチェンマイに戻ってくると、とにかくホッとしたものだが、最近はホッとするのも半ばまでで、しばらくするとどこかしっくりとしない感じがしてくる。かつては相性が良かったはずのチェンマイを取り巻く環境と自分のなかの波動に少しずつズレが出てきたとでもいうべきか。しかも、そのズレは日増しに大きくなっていき、やがてはアジャスト不能の状態に陥る。
 ラオスに2週間ばかり行ってきた。ラオスに着いたとき、わけもなくホッとした。わけもなくというのは言葉のあやで、本当はわけありなのだが、うまく説明できそうにない。そもそも、ホッとする気持ちは説明できるものではないし、それは野暮というものだろう。
 何はともあれ、食堂に入ってビアラオを飲む。ああラオスに戻ってきたなぁという実感が喉を通っていく。ホッとするからビールを飲むのか、ビールを飲むからホッとするのか? 順番は定かではないが、そのどちらも真実である。ラオスの大地から湧き出た良質の水がアルコールを友として身体に滲みていく。至福の弛緩感覚に文字通り酔い痴れる。ビールが何より大好きで、今頃は冥土で酔っ払っているはずの内田百寮萓犬縫咼▲薀をぜひともお届けしたい。
 現地季刊情報誌『テイスト・オブ・ラオス』によれば、昨年よりカールスバーグ・ブルーワリー社がラオス政府と対等にビアラオの50%の株を取得したとのことだから、いずれタイでもこの傑作ビールが簡単に入手できるようになる可能性は高い。それでも、私はビアラオを飲むためにラオスへ行くだろう。国際ビール・コンクールでの数々の受賞歴を誇るビアラオは確かに旨いが、その旨さはラオスの空気と風土のなかで飲んでこそ引き立つ。
 ついビールの話が長くなってしまったが、ここでのポイントは物質としてのビールではなく、それを生み出し育んだ空気や風土にある。ちょっと前までなら、「北タイの魅力って何ですか?」と訊かれたら、「やっぱり、何とも言えないまろやかな空気感ですね」ともっともらしく答えることにしていたが、そんな漠然としたものの言い方はむしろ今のラオスにぴったり当てはまる。説明できない魅力だから、実際に行ってみるしかない。それこそ、旅本来のモチーフであるはずだ。
 翻ってタイの現状を眺めると、経済発展とともにこうした漠然とした魅力が薄れつつあるのは否定できない。ご自慢の微笑みの表情にも計算が見え透いて興ざめだし、癒しのためにはスパという特別な装置が必要になる。ナイトサファリに至っては、説明を聞けばもうそれで十分で、わざわざ出かけるまでもない。いくらこれ見よがしの大掛かりな舞台や派手なイベントでごまかそうとしたって、作り物はいつか飽きられる運命にある。無駄な努力をしているうちに、気が付いたときには蜃気楼のようにかつてのタイの魅力は消えている。
 その蜃気楼を追い求める気持ちが昂じて、この3年ほどラオス詣でを続けている。ビアラオの補充をしながら、昔のタイに舞い戻ったような懐かしさに浸る。朧気な記憶がリアルな状景のなかに甦る。この感覚は、どうしたって病み付きになる。
 このところ、西洋人の間で静かなラオス・ブームが起こっている。経済的に豊かになって、観光的お膳立てが整い過ぎたタイに飽き足りない人たちが「貧しく遅れたラオス」を敢えて旅先に選んでいるのだろう。ハイシーズンだったせいもあって、やたらと西洋人の姿が目立った。旅の途中で訪れたルアンパバーンの宿は、どこもほぼ満室だった。ここは街全体が世界遺産に指定されているから観光客が多いのは当然だが、単なる観光地ではない。路地のあちこちに庶民の飾り気のない生活がのぞいている。観光業者ばかりがひしめくチェンマイの観光ゾーンでは、もはや見ることができない光景である。既に生活を見失って久しい西洋人は(もちろん日本人も)このいかにも当たり前の光景にノスタルジーを感じて嫉妬する。豊かで進んだ国の人たちが世界最貧国の庶民の暮らしぶりに憧れを抱く。これは皮肉でも何でもなく、薄っぺらの文明が導く当然の帰結に他ならない。
 今回の旅は、ビエンチャンから入って、陸路をルアンパバーンまで行き、さらにルアンアムター県方面まで車を乗り継いで足を伸ばし、メコンを船で下ってタイに戻ってくるルートを辿った(具体的レポートは次号『近隣諸国への旅』に譲りたい)。山国ならではの変化に富んだ風景もさることながら、何より印象的だったのはラオスの人たちの自然な優しさとその穏やか表情だった。「経済的貧しさと心の美しさは反比例する」なんて短絡的な結論を出すつもりはないが、苦虫を噛み潰したような顔の一般的日本人と比べれば、間違いなくラオス人の表情のほうがずっと活き活きしていた。文明による無差別的な白痴化を免れて、よっぽど賢そうに見えた。生活は貧しくても、家のなかにものがなくても、幸せそうな人たちにたくさん会うことができた。
 旅から帰って、彼らの表情を思い浮かべるだけでホッとする。たとえ束の間の蜃気楼であったとしても構わない。温かな微笑みのバイブレーションは、時空を超えてひしひしと伝わってくるのだから。ただ惜しむらくは、手元にビアラオがない。そのことだけが無性に淋しい。

(70号掲載)

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