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モーホームの呪縛

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ71号 モーホームの呪縛 ソンクラーンの季節になると、藍染の木綿服モーホームを着ている人がやたらと多くなる。普段はランナーの伝統文化なんか見向きもしないのに、この時期だけテンポラリーな民族主義者を気取っているようでいささか違和感がある。職場全体の申し合わせなのだろうが、お役人や銀行員などはある日から一斉にモーホーム姿になったりするから困る。本来ならモーホーム好きの私が困る必要はなく、素直に喜べばいいはずなのだが、こうした規律や決まり事でモーホームを持ち上げるのは虫が好かない。女学生の制服は大好きだが、モーホームの制服化は許し難い。いわゆるエリート階層が格好だけ善良な庶民になりすましているみたいで、どこか胡散臭い感じがつきまとう。モーホームなんて着たいときに着ればいいじゃないか、と思ってしまう。ついでに言えば、毎週金曜日にモーホームなどの民族服を着てくるように子供たちに命令する学校の杓子定規なやり方も気に食わない。
 そんな文句をたらたら言っている私は、ソンクラーンに限らず、毎日のようにモーホームを着ている。もともと衣装持ちではない上に、本誌67号のモーホーム特集のときに「こりゃ安い、安い」とモーホームをしこたま買い込んだ結果、所有する衣服のうちでモーホームの占める割合が異様に高くなってしまったのだ。実際に洋服ダンスのなかを検証してみたところ、半袖シャツの実に9割以上がモーホームであった。これでは洋服ダンスというよりタイ服ダンスである。
 女性の皆さんは、朝起きて「さあ、今日は何を着て行こうかしら」とあれこれ服をとっかえひっかえして選ぶのが楽しいのだろうが、私を含めてほとんどの男性はそうした作業が七面倒臭い。専属ファッション・コディネーターの奥さんでもいない限り、タンスから適当に引っ張り出した服をそのまま着ていくことになる。上記のような事情から、私の場合はその一着がモーホームである確率は極めて高いわけだ。
 好んでモーホームを着るようになってから既に10年ぐらいになるが、一向に飽きが来ない。それどころか、ますます好きになってモーホームを着ていないと、どうも落ち着かない。今や単なる衣服というより、身体の一部のようなものに思えてきた。この洒落っ気のない素朴な農民服のどこにそんな魅力が潜んでいるのだろうか?
 まず特筆すべきは、その着心地のよさである。モーホームの布地は、程よい厚さと柔らかさがあって身体に快くフィットする。要するに肌触りがいいのだ。同じ木綿でも、薄手の布地だと汗でべたつくことがあるが、モーホームの場合はかなりの汗でもすんなりと吸収する。汗っかきの私にはうってつけの服である。
 次に、用途的にもいろいろと融通が利く衣服であること。北タイでのモーホームの位置付けは、伝統服、労働着、礼服のいずれでもあるから、着ていく時と場所を選ばない。急に力仕事を頼まれても、結婚式に呼ばれても、何とか対応できる。シチュエーションによって、カジュアルにもフォーマルにも臨機応変に適用可能だから、便利なことこの上ない。本来の意味でクラシックな服装なのだ。
 さらに、シンプルなデザインと色がもたらす効果も大きい。派手に着飾ったりするより、地味な藍色ですっきりきめたほうが人間的信用度も増すような。「人間、見かけじゃないよ、中身で勝負さ」といった潔い雰囲気が滲み出てくる。「肝腎の中身があるのかい?」とつっこまれると、返す言葉もないのだけれど。モーホームを着ていると、いかにも謹厳実直そうな人柄に見えるから不思議である。
 駄目押し的理由として、経済的メリットも無視できない。タイの衣服は安かろう悪かろうが常識だが、このモーホームだけは例外である。値段は安いのに、耐久性に優れていて長持ちする。洗っていくうちに多少色落ちしたところで、気にすることはない。かえって微妙な味わいが出てくる。タンスのなかには10年近く着ているものもあるが、もはやこれなどはアンティックなモーホームだから、簡単に捨てるわけにはいかない。
 これだけモーホームを礼賛していると、世間のほうでも一種の固定観念として、私のイメージ、象徴をモーホームに結び付ける傾向が出てくる。「この前、エアポートプラザでお見かけしましたよ。モーホームを着ていたからすぐわかりました」とか言われたりする。お洒落な最新流行スポットで田舎臭いモーホーム姿は妙に目立つらしい。たまに普通のYシャツなどを着ていると、「あれっ、今日はモーホームじゃないんですか?」なんて意外そうな目で見られてしまう。こうなると、意地でも「毎日モーホームを着てやるぞ!」と思う。
 実際、モーホーム以外の服を着ていると、悪いことをしているわけでもないのに、何となく後ろめたい気分になってくる。モーホーム以外の服を買ったつもりでも、結果的には黒か青の無地の服を選んでいたりする。これでは、モーホームと大して代わり映えがしない。
 振り返ってみると、タイに来た頃の服の好みはまったく違っていた。どちらかといえば、暖色系のシャツを着ることが多かったし、チェックなどの柄物も嫌いじゃなかった。メーホンソンの山村にいた頃は、学校の先生たちからミスター・グリーンと呼ばれたこともあったから、緑の服がお気に入りだったのかもしれない。服の色の好みとそれを着る人の心理的相関関係はどうなっているのか、一度専門家にお尋ねしてみたい。
 とにかく、今の私と相性がピッタリなのは藍色である。それは間違いない。淡いクリーム色など、顔にしまりがなくなってまるっきり似合いそうもない。そう思いながら我が身の姿を脳裏の鏡に映し出しているうちにハッとした。暖色系から寒色系への好みの変化を促した理由が瞬時に解ったような気がした。つまり、この十数年にわたる継続的な体重の増加と体型の劣化にその最大の原因があったのだと。心理的云々ではなく、ただ単に太っているから藍色が似合うだけなのだと。
 そう悟ると、もう気分はすっかりブルーである。モーホームを脱いだら、ズボンのみならず下着までも黒と紺であることに気付いて、「やっぱり…」と途方に暮れるばかりだった。

(71号掲載)

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