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情けは人の為ならず

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ74号 情けは人のためにならず こちらに長く住んでいても、どうしても苦手なことがある。そのひとつはお金を恵んだり、それに近い行為をしたりすることだ。このチェンマイでも好むと好まざるとにかかわらず、そのような行いを迫られる機会は日常茶飯事的にあるが、そのたびにどぎまぎしてぎこちない対応になってしまう。
 いくらタイでも最近はシンプルな物乞いは少なくなった。何らかの物を売りに来て、その代償としてお金を受け取るわけだから、表面上は普通の商売と一向に変わりない。ただ、その物がどうでもよい物だったり、買いたくない物だったりする。とりわけ買いたくもない物を自分の意思に反して買うから、お金を恵んでやった気になる。もちろん、それは買う側の勝手な理屈に過ぎない。買いたくなければ、買わなきゃいいだけだ。そんな風にすっきり考えたらどぎまぎすることもないはずだが、なかなかそう簡単に割り切れるものではない。
 大きな交差点での信号待ちでは、ジャスミンの花の首飾りを売りにくる。この場合は、こちらも車というカプセルの中にいるせいか、比較的クールな対応ができる。知らんぷりしても、良心の呵責を感じるほどではない。窓に張り付くようにして花を差し出す女の子と目が合って困ることもあるが、それも信号が青に変わるまでの辛抱だ。気分次第では、車の空気をリフレッシュしたくなって実際に買い求めることもある。その場合は、お情けで買ったわけではないから、後味は悪くない。
 安食堂で一日の疲れを癒しながらビールをひっかけているときに、お連れの人に手を引かれたハーモニカ吹きの盲人がやってきて、ピッタリとテーブルの傍について離れないことがある。こういうときがいちばん困る。ビールの味も何もあったものではない。普段は安物のビアチャーンなのに、たまたまハイネッケンを飲んでいたりすると余計にいけない。「高級ビールを飲んでいる金があるのに…」という無言の圧力が伝わってくる。これを無視してビールを飲み続けるのは至難のわざである。にもかかわらず、どぎまぎしながら小銭を渡すタイミングを逸してしまうと、後々ずっと良心の呵責を感じることになる。
 このような場所には、赤ん坊を抱いた山岳民族の母親などもバラの花などを売りに来るが、こっちのほうはかなり怪しげだ。いかにも同情を買おうという演出が見え見えで、かえって逆効果である。引っかかってなるものか、と思う。しかも、赤ん坊は借り物の場合がほとんどらしい。こうなると、組織的なバックボーンをもった詐欺に近い。
 その他にも子供から障害者、老人までいろいろなタイプの人が登場する。それぞれ社会的には弱者と見なされている人たちであるから役者として不足はないが、本当に情けをかけるべき対象なのか、それともお情け頂戴の演技に過ぎないのか、瞬時に判断するのは難しい。そもそも情けを判断の根拠にすること自体に無理がある。花の首飾りを差し出されても、機械的に手を横に振ってすべての人を冷淡に拒絶すればよいのだろうが、それだとなんかこちらの心まで寒くなってくる。
 そこで、私は自分なりのルールを作って、ふたりの物売りに会ったときに限って無条件降伏する(無条件でジャスミンの首飾りを買う)ことにしている。ひとりは松葉杖を付いた男性、もうひとりはまだ10歳ぐらいの愛くるしい女の子である。男性は1km以上も離れた2店で、女の子はそれぞれ2〜3km以上離れた3店で会ったことがあり、松葉杖や幼い足でそれだけの距離を移動するのはさぞ大変だろうと思ったからだ。ところが、女の子のほうはどうも母親が車で移動を手伝っているらしいと聞いて同情心も少し薄らいでしまったが、それでも健気な様子は相変わらずなので、花を買い続けている。改めて考えれば、それだけ離れた距離の店を飲み歩いている私がいちばん健気で大変なのかもしれない。
 観光地や山の村で売りつけに来る山岳民族のハンディクラフトにしても、余程の逸品を除けば本当は欲しくない物ばかりだけれど、税金の一種だと思って義理で買う場合が多い。ひとつ買って身に付けておきさえすれば、「ほら、もう買っちゃったからゴメンネ」と後続の攻勢をかわすことができる。村に滞在するときも、お付き合いでひとつぐらいはグッズを購入するようにしている。そんなわけで、私の家にはおよそ利用価値がありそうもない山岳民族グッズのいろいろが溢れている。
 先日、ラオスの北部の町ムアンシンを訪れたとき、宿でのんびりくつろいでいたら、いきなりアカ族の物売りのオバチャンたちに囲まれてしまった。アカ族はタイでもかなり強引な売り方をするが、ラオスだからといって行動パターンに大差はないはずだ。これまでタイで何度も効果を試してきた上記の方法を適用すべく、色鮮やかなビーズの腕輪をとりあえずひとつ買ってあげた。
 ところが、予想に反してこれが裏目に出た。タイならひとりから買えば他の人は自分が売る機会はもうなくなったと諦めるところを、ラオスでは他の人の攻勢をさらに誘うことになってしまった。ひとつ買ってくれたような心優しいお客さんなら、もっとたくさん買ってくれるはずだと考えたらしい。恐るべきプラス思考である。他のお客さんを相手にしていたオバチャン数名も私のところに寄ってきたからたまらない。これを買えや、あれを買えやの混乱状態に陥った。
 なかでも最もしつこいオバチャンは、要らないとはっきり断っているのをまったく無視して、子供用のへんてこりんな帽子を私の頭に被せて「グー!」と親指を突き出す始末。押し売りならぬ、被せ売りである。この状況を客観的に眺めれば、情けをかけるべき対象はオバチャンたちではなく、怒涛の攻勢にさらされるままにどぎまぎしている私のほうであることはあまりにも明らかであった。

(74号掲載)

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