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刺青の代償

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ79号 刺青の代償 数年前から、チェンマイの街なかでワンポイントの刺青を腕や背中に入れている若い女性の姿がちらほら目に付くようになった。ステッカーで貼り付けただけの刺青もどきも混ざっていたが、最近はホンモノ率が高くなっているようだ。
 刺青を見ると、どうしても一般的日本人はヤクザや前科者のイメージを思い浮かべて、後ずさりしがちである。「親から授かった身体に傷をつけることはいけない」という、おそらくは儒教的な考えから刺青に抵抗を覚える人が多い。それにひきかえ、ここ北タイの村では、刺青はもう少し身近な存在である。魔除けや護身のために動物や呪文の刺青をしている男性も珍しくない。その神通力が増すと考えるのか、僧侶に刺青を施してもらうこともある。妻の父親も胸に刺青があるが、これは十数年前に木材の無許可運搬で捕まったとき、刑務所で入れたものだという。いずれにせよ、タイ人の刺青には一生もののお守りとして何らかの呪術的意味合いが込められている。
 村人たちの刺青は単色(紺)の素朴な絵や文字で描かれ、技術的にも稚拙なものが多い。もともと装飾を目的としているわけではなく、呪術的な効力が重要とされるのでその程度で充分なのだろう。これに比べると、若い女性の刺青はずいぶんカラフルで繊細な模様が主流になっている。深層心理はさておいて、表面的には呪術的要素とは無縁の単なるファッションに過ぎない。日本の一部若者の間で流行しているTATTOOの影響もあるだろう。
 チェンマイ在住3年になる友人Aさんは、どんなに可愛い女の子でも、どこかに刺青をしていると判った途端に醒めてしまうという。とくに昨今の水商売系は刺青率が高くなっているだけに、これはかなりの悲劇を招く。さあ、これからちょっかいかけようと思ったときに、袖の下から刺青がのぞいたりすると、もうレッドカード気分になってしまうわけだ。刺青を忌避する一般的日本人としては、ごく当然の反応かもしれないが、目の前の可愛い女の子よりも自らのアイデンティティーをしっかり尊重するAさんはまことに潔い。タイ暮らしが長い私などは欲望に負けて、「こんな可愛い子がやっているなら、刺青もいいもんだなぁ」と価値判断のベクトルをあっさり逆転させてしまうのだけど。
「刺青はヤバイ」という日本人の感覚(一種のアイデンティティ)も時間的、地理的な枠を広げてみると、実はそれほど確固たるものではないことがわかる。中国の歴史書をひもとけば、古代の日本人には刺青の習俗があったと書かれているし、大陸文化渡来以前の原日本的文化との関連性が指摘されるアイヌや琉球では、近年まで女性にも刺青をする習慣があり、それは重要な文化的意味を持っていたという。結局は刺青に対する好悪の感覚も、その人が依って立つ文化的、社会的バックボーンに大きく左右される。
 チェンマイにたびたびやってくる友人Bさんのバックボーンは少し変わっている。浅草で大工の棟梁をしていた父親の背中の刺青を見て育ったので、刺青自体にさほど抵抗はなく、いつか自分の身体に彫ってみたいと思ってはいたが、なかなか踏み切る勇気もきっかけもなかったという。
 先日、そのきっかけが突如として訪れた。仲良くなり始めた女の子から、「私はあなたのイニシャルとハートマークの刺青を彫るから、あなたも何か彫ったら」と言われた。ちなみに彼女の背中全面には、極彩色の龍の刺青が既に施されている。今さら、この程度の刺青の追加はたいして痛くもなかろうが、イニシャルまで入れるとなると、その意味は深い。「死ぬまであなたと一緒」というメッセージが込められている。ここで怖気づいては男がすたる。かといって、うかつに「僕もずっと君と一緒さ」と安請け合いして相手のイニシャルなんかを彫ってしまったら、それこそ取り返しのつかないことになる。だが、そこは男女関係の機微にかけては百戦錬磨のBさんだけあって、さすがに落としどころが巧みである。「寅年生まれだから、勇猛な虎の刺青にする」という見事な応対で切り抜けた。
 女の子に案内されてガート・スアンケーオのTATTOO SHOPを訪れた。日本の刺青マニア雑誌を渡されて、そこから「勇猛な虎」の見本を探すが、漫画っぽかったり、猫みたいな可愛い目だったりで、なかなかイメージ通りの絵柄が見つからない。ようやく炎を身にまとったような虎の絵に決定。Bさんは「もっと目を鋭く」と注文をつける。
 まず、女の子が胸にイニシャルを入れる。ボールペンで下書きをして、歯医者のドリルのような針が微妙に上下する機械で彫り、真紅の色を入れていく。あっという間に、愛の絆を示す文字が浮かび上がった。刺青の周辺の肌がピンクに染まり、痛々しくも艶っぽい。
 次はBさんの番。一応、シャツの下に隠れるように、肩から上腕部にかけての部分に刺青の位置を指定する。器用にボールペンで絵柄を写し、同様に機械で彫り進んでいく。虎は黒(ただし目の部分だけは黄色)、炎の部分は真っ赤である。影をつけるようなテクニックも駆使している。色をつけては、脱脂綿で血を吸い取っている。見ている方が痛くなってくるが、Bさんは平然とした表情で通している。それほど痛くないのかと思ったら、「そりゃ、痛いですよ」と当たり前の言葉が返ってきた。とくに虎の縞を黒く塗りつぶす部分で針をグチャグチャかき回すようにすると、猛烈な痛みが走るそうだ。1時間半ほどで、いかにも勇猛な虎の刺青が完成した。ワセリンを塗って、その上をラッピンッグするだけで、消毒もしない。心配になるが、店の人はしばらくシャワーの水をかけなければマイペンライだという。
 身体を痛めることと引き換えに、目にも鮮やかな刺青は肌に定着する。それは現代に残された、一種の通過儀礼かもしれない。痛みという秘密を共有したご両人は、既に他の誰にも窺い知れない幸せな関係にある。羨ましいと思いながらも、臆病な私には痛みに耐える勇気もないし、それを分かち合う相手もみつからない。

(79号掲載)

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