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先回りするベトナム人

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ92号 先回りするベトナム人 つい我々は軽率にも「○○人は○○だ」と口にしがちだが、ある国の多様な人たちを十把一絡げに「○○だ」と決め付けるのはよくない。そんな自戒の念を込めて、以前このコラムでも「タイ人は・・・」という一文を書いたことがあった。かといって、「人種や国籍なんか関係ない。世の中には良い人と悪い人がいるだけだ」などときっぱり割り切って考えることもできない。単純化して決め付けるのはまずいが、それでもやはり国民性というものは歴然としてある。
 そんなことを改めて思ったのは、昨年の暮れ、久しぶりにベトナムに行ってきたからだ。十数年前に初めてホーチミンを訪れたときにまず感じたのは、「この国の人たちは、実にしたたかで計算高い」ということだった。ほんの数日間の短期旅行だったから、もちろん表面的なところしか見ていないはずだが、人でも国でも第一印象はまず間違っていないことが多い。極端なことを言えば、空港に降り立ったとき、国境を越えたとき、その国の雰囲気が瞬時にして直観的に伝わってくる。
 十数年ぶりのベトナムの印象も、前回とほとんど変わることはなかった。その国民性を表す言葉としては、「したたか、計算高い、手強い、用意周到、策を弄する」といった形容が次々と浮かんでくる。インド人のようなトリッキーな策略(と決め付けるのはよくないけれど)とは違うものの、詰め将棋の先手、先手まで読まれているようで、一向に気を抜くことができない。こちらとしても、その手にのってなるものかと、さらにその先を読まざるを得なくなるから、うかうかと旅行気分に浸っているわけにもいかない。
 たとえば、のんびりリラックスしようとダナン近くの美しい白砂のランコー・ビーチに立ち寄ったときのこと。釣竿をもった漁師風のお兄ちゃんが潮風に吹かれて立っている。これは絵になる。写真を撮ろうとして近づいたら、向こうも待っていましたとばかりニヤッと振り向いて、こちらにすたすた歩いてくる。漁師なのに、小脇になぜかアルバムみたいなものを抱えている。そのアルバムを広げて、たどたどしい英語で「俺は世界中の紙幣を集めているんだ。お前は何か珍しい紙幣を持っているかい?」と話しかけてきた。なるほど、向こうがその手なら、こちらもこの手があると、使い道のないミャンマー紙幣1000チャット札を差し出す。すると兄ちゃんは私の財布を覗き込み、「まだ持っていないのはコレ」と1000バーツ札を指さす。もちろん、そんな誘いに易々とのるわけにはいかないが、執拗につきまとってうるさいので、仕方なく20バーツ札をやる。
 それにしてもなんでこんなところまで来て、余計な駆け引きをしなければいけないのか。「何も考えずに、ただぼけーっとしたいだけなのに。もうほっといてくれ」と言いたくなる。去りゆく兄ちゃんの釣竿の先をみると、辛うじて糸と錘はついているが、肝腎の針がない! 冷静に考えてみれば、岩場ならともかく、砂浜で釣り糸を垂れる風流な漁師がいるわけがない。
 あるいは、古い街並みが残るホイアン滞在中にホテルの隣の店で自転車を借りようとしたときのこと。さて、どこに行こうかとガイドブックを広げて、友人のSさんが「日本人・・・」と言ったただけで、それを脇で聞いていたその店のまだ小学生高学年ぐらいの息子がすかさず「の墓」と続ける。ホイアンにはかつて日本人町があり、この地で亡くなった「日本人の墓」が観光名所になっているのだ。それにしても、このタイミングのよさは何だろう。あっけに取られていると、息子は自分を指さして、「お金をくれたら、僕が案内してあげる」と売り込む。日本のお母さんなら「そんなはしたないこと言うんじゃないよ」と叱りつけるところを、ベトナムのお母さんは「うちの息子もたいしたもんね。将来が楽しみだわ」と満足そうな表情をしている。
 案内を断って、道に迷いながらも独力でなんとか「日本人の墓」に辿り着く。もう夕暮れも近いというのに、そこには先回りして待ち伏せでもしていたかのように墓の案内人がいた。墓守を無視するわけにもいかないので、ここは観念してこの男の指示に従う。線香と紙幣を墓の前に置き、祈りを捧げる。遥か昔に異国で亡くなった故人を思うと、同じ外国で暮す日本人としても感無量になる。神妙な気持ちでその場を立ち去ろうとすると、案内人の男はしゃあしゃあとチップを要求する。どうせお墓に供えた紙幣も彼のものになると解ってはいても、こんな場面だと払うしかない。
 なんか一杯食わされたような釈然としない気分で、蒸し暑いなか自転車をこいで汗だくになって帰った。自転車を返そうと先程の店に戻るや否や、またもや待ち構えていたかのように、お母さんが冷えたビールを手にして駆け寄ってきた。おそらく、我々が外出していた間ずっとこの状況を想定して頭の中でシミュレーションを重ねてきたに違いない。そうでなければ、これほどまでに絶妙なタイミングで飛び出せるはずがない。うっかり「どうもありがとう」とビールを受け取りそうになったが、幸か不幸かSさんの腹の具合がおかしかったので、遠慮することにした。シナリオ通りにことが運ばなかったためか、お母さんは怪訝そうな顔をしていた。
 一事が万事こんな調子で、ベトナムの旅は心休まる暇がない。息抜きができないので、知らず知らずのうちに気疲れしている。短期旅行でもこうだから、ベトナムでロングステイするには、相当の根性と覚悟が必要だ。よほどタフでなければ、生きていけない。柔な神経の持ち主が暮すとしたら、どこか抜けているようなタイがちょうどいいのかもしれない。

(92号掲載)

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