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日本兵の居場所

カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2007.05.21 Monday

 

気まぐれ96号日本兵の居場所 メーホーンソーンの南70kmほどのところにあるクンユアムは、愛すべき静かな町である。街道沿いに昔風の木造家屋が並び、ビルマ様式の寺院の境内には落ち着いた雰囲気が漂っている。
 今から60年以上も前のこと。この長閑なタイヤイ族(シャン族)の集落にたくさんの日本兵がやってきた。まず1942年(昭和17年)にインパール作戦遂行のための道路を建設する陸軍第15師団が入ってきた。その数、およそ5000〜6000人というから、半端ではない。当時の集落規模からすれば、とんでもない人数である。宿泊場所は寺院だけでは足りず、ほとんどの民家に兵隊さんが寝泊りしていたという。さらに敗戦前にビルマからほうほうの体で撤退してきた傷病兵がクンユアムに辿り着き、この地で何千人(正確な数は不明)もの日本兵が亡くなった。
 その頃の住民、つまりお百姓さんにとっては、日本人なんて宇宙人みたいな存在だったのではあるまいか。日本という国があることぐらいは知っていても、その場所の見当すらつかない。そんな人がほとんどだったはずだ。日本軍将校と現地のお偉方役人との間での協議、決定事項はあったにせよ、詳しい事情などろくに知らされないお百姓さんは、とにかくどんどんやってくる兵隊さんをわけもわからぬまま受け入れていたというのが真相だろう。逆に言えば、兵隊さんにしても、祖国を遠く離れ、命令に従うままに戦い続け、その挙げ句、傷つき病んで気が付いてみたらこんなタイの片田舎まで来ていた・・・・・・おそらく、そんな心境だったに違いない。「戦争の不条理」によって、ともかくもタイのお百姓さんと日本の兵隊さんが出会った。それだけは紛れもない事実である。
 昨年の暮れ、クンユアムに残された日本兵の遺品を収納、保管している『第二次世界大戦博物館』がリニューアルしたと聞き、その状況確認のため泊りがけで現地に出かけた。いつものように、博物館近くのバーン・ファランなるゲスト・ハウスに宿をとることにした。斜面に建てられたバンガローが何棟かあり、ベランダの前は薄暗い森になっている。街の通りからはいくらも離れていないのに、不思議なほど静まりかえっていて、山奥のなかにいるような気にさえなってくる。
 ここの女性経営者チャリニーさんの母親マッターンさん(1927年生まれ)も日本の兵隊さんと交流した経験の持ち主である。当時はクンユアムから10kmほど離れたムアンポーン地区(ここにも大きなタイヤイ族の集落がある)に住んでいて、おばさんと一緒にバナナを担いでクンユアムまで毎日のように通い、日本軍のキャンプで売りさばいたという。ビルマ人の父親を持つマッターンさんはビルマ語ができたので、やはりビルマ語が解る兵隊さんとの通訳として重宝がられたそうだ。おばさんはメーホーンソーンの日本軍駐屯地まで3日間歩いて米を運ぶ仕事も引き受けて、かなりのお金を貯めたが、代金は軍票だったので日本の敗戦で大損したとのことだった。
吐く息が白くなるような寒い朝、コーヒーをすすりながらそんな昔話を聞いていたら娘さんのチャリニーさんもやってきた。ゲストハウスを作ったきっかけを尋ねてみたところ、こんな話をしてくれた。
 今から20年前、彼女がまだ19歳で、倍以上も年が離れたフランス人の男性と結婚した頃のことだった。銀行で人から土地を勧められて購入することにした。地元の人は「日本軍のキャンプがあったところだから、幽霊が出るぞ」と怖がっていたが、まったく気にしなかった。その土地にゲストハウスを建てるつもりだったが、資金が足りず悩んでいたときのことだった。
「夢の中に軍服を着た日本人が現れたの。そばに虎と蛇もいたわ。日本の兵隊さんが『ここに建物を作りなさい』と指図をした、と思ったら目が覚めた。朝、敷地のなかを歩いていたら、夢とまったく同じ場所があって、なぜか蛇の抜け殻が落ちていたの。直観的にそこを深く掘ってみようと・・・。2mも掘ったあたりで本物のサムライ(日本刀)が出てきたってわけなの」
 ご主人が帰国したときに、フランスにそのサムライを持っていったところ、果たして非常に高い値で売れ、その代金を最初の5部屋分の建設資金にあてることができた。さらにゲストハウス建築中にも再び不思議な夢を見る。ヘルメットを被り、刀を差した将校クラスと思われる日本兵と着物姿の女性(たぶんその奥さん)が夢に現れて、こう宣言したそうだ。「これでようやく戦争が終わった。この先はビジネスの時代になる。我々はこの場所に留まって、ずっと見守っていよう」と。しかも、ゲストハウスがオープンした1989年、今度は夢ではなく、生身の兵隊さんがひとりで木の下に座って黙っているのを実際に見たというのだ。
「ほら、あの木の下よ」とチャリニーさんが指差すが、もちろん私には何も見えない。俄かには信じがたいが、その話を裏付けるような証言もある。博物館設立者で元クンユアム警察署長のチューチャイ・チョムタワットさんによれば、日本軍の病院があったワット・ムエイトー(境内には、当地で亡くなった日本兵のための慰霊碑がある)でも地元の学生が軍服姿の兵隊さんを見かけた報告があるとか。それも複数の目撃者がいたそうだから、信憑性は高い!?
 まだ話は続く。8年前のこと。ゲストハウスの経営が行き詰って、困り果てたことがあった。母娘で相談しても、妙案が浮かばない。庭のテーブルで話しているとき、ガサガサッと音がして巨大な黒い蛇が跳ねるように草陰から飛び出してきた。夢で見たのと同じ蛇だった。噛み付かれるかと思ったら、そのまま去っていった。これは何かいいことが起こる兆しだろうと、当時の母親の年齢72歳にひっかけて末尾番号72の宝くじを大量購入してみたら、これが大当たり。どうにか経営危機を脱出して今日に至ったということだ。なんともタイ人らしいエピソードではないか。
 母娘が森のなかに花や線香のお供え物を置くようになってから、日本兵は夢にも現にも出てこなくなった。たぶん兵隊さんは、自分の居場所をやっと見つけたのだろう。話の続篇がないことを祈りたい。

※参考:チューチャイ・チョムタワット著『第二次大戦でのクンユアムの人々の日本の兵隊さんの思い出』

(96号掲載)

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