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マイナー・ムラブリ

カテゴリー: タイの山岳民族(三輪隆) | 2007.05.21 Monday

 

81号 マイナームラブリ1 ムラブリ族といえば、タイの少数民族の中でも特に少数派で、タイではナーン県とプレー県の一部に300人ほどしかいない東南アジア最後の狩猟採集民族だが、そのムラブリ族の中でもさらに超マイナーなサブグループが、ナーン県の東部に住んでいる。彼らの調査をしたJorgen Rischelという学者は、一般のムラブリと区別するため、便宜的に「マイナー・ムラブリ」と呼んでいる。私が確認した限りでは、その「生存者」はわずかに9名である。
 マイナー・ムラブリは、ナーン県のホイユアク村などタイ国内の他のムラブリの集団とはまったく交流をもたず、ナーン県のプア郡を周辺の森の中で独自に生活してきた。数十年前までは衣服を身につけず、小動物を追い、木の実や蜂蜜などを採集する狩猟採集生活を営み、森の中を転々と移動する生活だったが、現在では森を出て、モン族やルア族の下働きなどをして生活をしている。系統的にはラオスのサヤブリ地方に生活するムラブリたちと関連が深いのではないかといわれている。
 20年ほど前までは数家族、数十人のマイナー・ムラブリがいたが、そのきびしい生活条件からか、飢餓や病気などで次々と亡くなってしまい、また他民族との結婚によって一家が離散するなどし、10年ほど前からは、純粋なムラブリ夫婦の家族はたった一家族になってしまったという。そして最近ではついにその最後の一家族も、娘達の他民族との結婚などによって、一家離散寸前の状態になってしまっている。
 その最後の家族に、私は会うことができた。
 それは、モン族の村のはずれの小高い丘の上に小屋を建ててひっそりと暮らしていた推定50歳代の男とその息子や娘達の一家だった。母親は私が訪れる2ヶ月ほど前に亡くなってしまったという。夫のほうも喘息もちで、かなり衰弱していた。
 二人の娘は10代だが、すでにルア族の男の妾になっていた。独身の息子たちもまだ若いが、もうマイナー・ムラブリの若い娘はどこにも探しようがないので、今後、純粋なマイナー・ムラブリ族同士の婚姻はほとんど絶望的になってしまった。
 数年前、そのマイナー・ムラブリの娘達が、ホイユアク村ではじめてメジャー・ムラブリの人々と対面したことがある。マイナー・ムラブリたちが一家離散して絶滅してしまう前に、メジャー・ムラブリの社会に同化させてあげられないかと配慮した人が連れて行ったのである。マイナー・ムラブリとメジャー・ムラブリとの間では、発音や語彙はかなり異なるものの、ある程度のコミュニケーションは成立したという。しかしマイナー・ムラブリの娘達は結局家に戻ってきてしまったという。
81号 マイナームラブリ2 一方、ホイユアク村のムラブリの人たちも、当初はマイナー・ムラブリの来訪をとても恐れていたという。プレー県でムラブリを保護しているキリスト教の宣教師の話によれば、ホイユアクやプレーのムラブリたちが「トレア」と呼んでいるモン・クメール系のもうひとつの狩猟採集民族がいて、それがすこぶる攻撃的で、ムラブリを見ると容赦なく殺戮するというので、ムラブリたちはたいそうその民族を恐れているという。「トレア」こそが、かつてのマイナー・ムラブリで、かつては民族抗争の敵同士だったのだろうか。確かに以前にマイナー・ムラブリを雇用したことがあるというモン族の人の証言では、マイナー・ムラブリの人たちは概して気性が荒く、使役労働には不向きだったという。
 現在、民族集団としてのマイナー・ムラブリは事実上、ほぼ絶滅してしまったといってよい。マイナー・ムラブリの言葉が、この地上で誰にも話されなくなる日も近いだろう。

参考文献:「Miner Mlabri―A Hunter-Gatherer Language of Northern Indochina」(Jorgen Rischel 1995 Museum Tusculanum Press)

(81号掲載)

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