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リスの衣装を着るラフ族−ラフ・ナシ族

カテゴリー: タイの山岳民族(三輪隆) | 2007.06.19 Tuesday

 

99号リスの衣装を着るラフ族2 チェンライ県の北部、メーチャンという町から国道線を西に入り、30キロほどいくとサムイェーグ(「三叉路」の意味)という名のアカ族の村がある。名前のとおりこの村の手前で道は二手に分かれており、左に行くと中国国民党の残党が作った村として有名なサンティキリー村(ドイ・メーサロン)へ、右に行くと、かつて麻薬王クンサー率いるシャン独立軍の拠点として名をはせたヒンテーク村へとたどり着く。
 ヒンテークを通過してさらに険しい山道を奥に進むと、ミャンマー国境の山の斜面にある巨大なリス族の村、フアメカム村に行き着く。このフアメカム村の手前数キロのところにサマケという不思議な村がある。
 15年ほど前、旧正月の祭りでにぎわうこの村へはじめて行って驚いた。村の広場では村人たちが輪になって神木の周りを踊っていた。ラフ族の村と聞いてきたのに、女性たちはみな鮮やかなリス族の民族衣装をまとって踊っていたのである。ラフ族といいながら実はリス族なのではないかと思って、リス語で話しかけてもまったく通じない。村人同士も確かにラフ語で会話している。近くのモン族やアカ族の人々も踊りの輪に加わって、楽しそうに踊っていた。確かに普通のリス族の村の新年祭りとはちょっと雰囲気が違う。
彼らは確かにラフ族だった。
 踊りの伴奏に瓢箪笙や三味線を使うのはリス族もラフ族も同じだが、ハーモニカを使うのはラフ族の特徴だし、踊りのステップもラフ族の特徴が見られる。
 彼らはラフ・ナシ族という、ラフ族の一支系である。30年ほど前にビルマのシャン州から移住してきたという。「ナシ」とはビルマに住んでいた頃の地名で、ムアン・トンの近く、ナム・シーという川の流域に住んでいたことが由来らしい。祭壇の作り方や祖霊信仰の儀礼のやりかたには漢族文化の影響が見られる。
99号リスの衣装を着るラフ族1
 ラフ・ナシ族の人々がいつごろからリス族の民族衣装を着用するようになったのかは定かではないが、おそらく数十年前からといったところで、それほど古い話ではなさそうだ。彼ら自身も自分たちの衣装のデザインがリス族からの借用であることは認めている。
娘さんたちになぜ、リス族の衣装を好んで着るのかを聞いてみると、「きれいだからよ」というシンプルな答えが返ってきた。民族衣装も不変ではない。素材もデザインも、色の好みも常に流行に応じて変化している。日本人が着物から洋服に変化したように、ラフ族の人たちが、昨日まで来ていた民族衣装を脱ぎ捨ててリス族の衣装を着始めたって、別に驚くにはあたらないのだ。
 一方で、この地域には、リス族を自称しながらその実態は限りなく「チンホー」(雲南系漢族)に近いと思われる集団も存在する。たとえばサンティキリー村の近くにあるT村。村人に「あなたたちは何族ですか」と尋ねると異口同音に「リス族です」という答えが返ってくるが、家の中に祭られた祭壇は明らかに漢族風だし、家族内で話されている言語は雲南方言の中国語である。かといって彼らが100%リス族ではないともいえない。老婆たちは日常的にリス族の衣装を身につけているし、リス語を話せる人も多い。確かにリス族の文化の一部を継承している。かつてリス族と雲南人との通婚は盛んで、特に夫が漢族で妻がリス族という組み合わせが多い。雲南省から移動してきた若い漢族の開拓集団が途中でリス族の村に混じり住み、そこで妻を娶り、集落を作り、独特の混合文化集団を形成していったと考えられる。
 このようなリス族と漢族の混合集団は一般のリス族の人々からは「ヘガ」と呼ばれている。「ヘガ」の人々は、自分達のアイデンティティーを漢族とリス族の両者におき、時と場合に応じて呼称を使い分けていると思われる。そこにはタイのIDカード取得の問題というのも微妙にからんでいる。大陸から移動してきた雲南系漢族の人たちの多くはまだ国籍を持っていない。そして近い将来国籍を取得するためには漢族を自称することは不利である。タイでは、同じ大陸からの移住者であっても漢族系の人々は国籍取得が難しく、リス族やラフ族、アカ族などと認定されたほうが有利である。タイ政府は漢族をのぞく山地民に対して、一定の期間定住を果たしたものはタイ国民として認め、IDカードを発行する方針をとっているからである。


(99号掲載)

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