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カテゴリー: 気まぐれ一発!コラム | 2008.05.24 Saturday

 

Kimagure-118
 今や北タイで赤丸急上昇中の観光地となったパーイの街を歩くと、やたらとリス族の姿を見かける。この辺にはリス族だけでなく、カレン族やラフ族もたくさん暮らしているのに、民族的プライドや性格のためか、あまり表立った場所に出てこない。その結果、消去法的にリス族の姿ばかり目立ってしまうことになる。
 おまけに、鮮やかな原色を組み合わせたリス族女性の美しい衣装は黙っていても人目をひく。ひとりでも優に5人分ぐらいの存在感があるので、実際の数よりもはるかに多くのリス族がいるような錯覚に陥る。本来、パーイの主な住民はタイヤイ(シャン族)であるにもかかわらず、何の予備知識もなければ、ファランとリス族がこの街の主人公だと思ってしまうだろう。考えようによっては、それもあながち間違いではないのだけれど。
 性格的にもリス族は良く言えば外交的、悪く言うと図々しい。私がリス族と抜き差しならない仲になったのも、この物怖じしない積極的な性格が一因だったかもしれない。こんなふうに書くと、「ははぁ〜ん、さてはリス族の愛人でもいたのかな」と詮索されそうだが、残念ながら、これまでいくらでもチャンスはあったのに、どうしたことか一度もリス族の娘さんとは色恋沙汰の関係になったためしはない。「抜き差しならない仲」を具体的に詳しく語りだすと、このコラム100回分ぐらいのスペースは軽く費やしてしまうはめになってしまうから、それはいずれ別の機会に譲ることにして、ここではごく簡単に「今から約20年前にたまたまソッポン(パーイとメーホーンソーンの中間地点)で知り合ったリス族の子供たち4人の父親代わりをして以来、ずうっと腐れ縁(?)が続いている」と説明するにとどめよう。
 さて、今年の中国正月の当日、観光客で賑わうパーイの街のメインストリートを歩いていると、路上で手芸品を売っているリス族女性に呼び止められた。彼女こそ、この腐れ縁の張本人、つまり4人の子供たちの母親アパマ(リス族では8番目の娘に付けられる名前)だった。それなら、「やっぱり父親代わりの私といい仲だったのでは?」と疑われても当然だが、そうじゃないからややこしい。
4、5年ぶりに会ったアパマ(CHAOサイト本コラム記事「人を狂わせた話」中篇・後篇に登場)は長らく麻薬中毒状態にあって、メーテーンの麻薬療養所やメーホーンソーンの刑務所を出たり入ったりしていたが、ようやく更生することができたらしい。更生と言えば聞こえはいいが、タクシン政権時代の厳しい取り締まりによって覚醒剤の価格が高騰し、金もない母親としては万事休すとなったわけだ。今はパーイ病院の近くに部屋を借りて、海外に出稼ぎ中の長女の息子(つまり孫)の面倒を見ながら、こうやって仕事に励んでいる。あの怠け者のアパマがよくぞここまで自力で立ち直ったと感心するばかりだ。人間、なせばなるじゃないか!
 せっかく感心していたのに、私のレンタル・バイクを見たアパマは、書き入れ時のはずの仕事を放り出して、リス族の村の新年祭に遊びに行きたいとせがむ。中国正月のこの時期に合わせて、リス族の村では新年祭が行われる。仕事嫌いで遊び好きの性格は相変わらずだが、正月ぐらいはまあいいか。ちょうど私も新年祭に行こうと思っていたところだったので、「渡りに船」の話ではある。元麻薬中毒患者であろうとなかろうと、リス族の知り合いと一緒に行ったほうが、祭りは楽しくなるに決まっている。
 今までのパターンなら、アパマが希望する行き先はパーイから20kmほど離れた親戚の婆さん(アパマの義母)の家族が暮らすパーンペック村と自動的に決まっていた。もし街で適当な宿が見つからなければ、この日は村に泊めてもらおうかとも考えていた。とこころがその婆さんは昨年、長年住み慣れたパーンペック村を去って、パーイにいちばん近いナムフー村に引っ越したとのことだった。
 慣れないハンドルさばきでよろめきながらも、3人乗り(私とアパマとその孫)のオートバイは5km先のナムフー村に到着した。ここは街から近いだけに、村の中の様子は平地にあるタイ人の集落とさほど変わらない。まだ建てられて間もないと思われる予想外に立派な家の中を覗くと、人懐っこい笑顔で婆さんが出迎えてくれた。もう78歳になるという婆さんとは、すいぶん久しぶり(たぶん7、8年ぶり)の再会だったが、私のことはしっかり覚えていてくれた。
 チーク板の壁には、はるか昔に私が撮った子供たち(婆さんにとっては孫)のスナップ写真がきちんと額に入れて飾ってあった。さらにその上には、婆さん夫婦のおそらく30年以上前の鉛筆画のデッサンが架けてある。「中学生時代の息子が書いてくれたんだよ」と誇らしげに婆さんは言う。その息子とは別れたアパマの亭主であり、麻薬取引の罪で20年近くも刑務所に入っていた。私が父親代わりをしなければならなかったのは、そういう事情があったからだ。その父親が国王の恩赦によって数年前に出所して、新しいタイヤイの嫁さんをもらって、このナムフー村に落ち着いた。その話を聞いて、婆さんが引越しをした理由がやっと飲み込めた。
 やがて、村のはずれにある新年の祠での儀式を終えた父親が家に戻ってきた。5年ほど前に子供たちとランプーンの刑務所に慰問に行って以来の再会だった。



(118号掲載)

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