チェンマイ発・ちょっとディープな北タイ日本語情報誌CHAO『ちゃ〜お』は毎月10日、25日に発行。本文へスキップ

テレビ館

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ64号 テレビ館


 メコンの川岸にある村を訪れた時のこと。斜面を登っていくと、細い道沿いに、木造の家が建っていた。その村のちょうど中心辺りに、小さな平屋の小屋があった。中に人がいる気配がするが、木製の窓は、全てぴしゃりと締め切られている。
 小屋の入り口に、子供たちがいた。中を懸命に覗いている。私がすぐ後ろに立っても、気にも留めず、一心に見つめる先には、暗闇に明るく光る1台のテレビがあった。
 そこは映画館ならぬテレビ館で、きちんと並んだ長机と長椅子に子供たちが腰掛け、笑い声を上げながらアニメを見ていた。そういわれてみれば、入り口の黒板に、「値段300キップ」と書かれている。1Bちょっと。これが払える子は席に座り、払えない子は外から覗き見をするのだろう。
 別の村では、高床式の民家に男たちが30人ほどひしめき合い、やはり1台のテレビが上座に据え置かれ、正月からムエタイの試合が放送されていた。まるでリングサイドで観戦しているかのように、誰かが大声を上げて立ち上がる。その度に床が抜けそうなほど、竹製の小屋全体が振れていた。
 我が家のテレビ前の人口が、最も多くなるのは大晦日の夜だった。ひとりで見たらどうということもない「仮装大賞」や「紅白」を、祖母の下に帰省した親戚たちとがやがやと見るのが楽しみだった。
 インターネットで各自が好きな映画やテレビ番組を楽しむ時代。見たい番組をじっくり味わうにはこれほど良い環境はない。しかし、ひとりでは味わえないものもある。

ラオス

(64号掲載)

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タナカ

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ62号タナカ

 タチレクに行くと、入って右側のショッピング・エリアをさけ、ただぶらぶらと散歩をすることにしていた。
 丘の上から、タチレクの街やその向かい側のメーサイ(タイ国境の町)を見わたしてみたくなり、坂道を登れば、牛を引く叔父さんや、これからお寺に行くのだろうか、真っ白のシャツを着て銀色の鉢を持った青年たちとすれ違う。彼らは決まって「ハロー」とあいさつをしてくれる。
 タチレクの街は思ったより遠くまで開けていて、工事中の建物も見えた。しかし、山のほうは緑に覆われていて、小さな茅引きの小屋が2軒ほど建っているだけ。耳を澄ますと、風に乗ってミャンマーのポップスと子供たちの笑い声が聞こえてきた。
 丘のふもとには小学校がある。そこの子供たちの顔はいろいろで面白い。浅黒く目鼻立ちのはっきりした顔、色白でぽっちゃりした中国人っぽい顔。ぽてっとした目やくちびるが愛嬌のあるタイ人顔。
 その顔にタナカでもようが描かれている。タナカはミャンマーの女性が日焼け止めや、色を白くするために顔に塗って生活する天然素材の化粧品のようだが、子供たちのタナカはぐるぐると指で花丸のようなもようが描いてあったり、ちょんと鼻の頭にのっていたり、登校前にお母さんがしてくれたんだなあと思うと、かわいらしくて仕方ない。
 彼らも、ぐるぐるタナカ文様に囲まれた目玉をぴかぴかさせて、「ハロー」とあいさつしてくれるのだ。   

メーサイ

(62号掲載)

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占い

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ58号 占い


 タイヤイ族のお祭りの日。寺の境内の大きな木の下におじいさんが座っていた。
 赤い布を広げたおじいさんは、そこにおふだを乗せて包むと、正面にいる女性に渡した。彼女は包みを額にかざして祈り、おじいさんに返した。おじいさんはそのおふだの中から数枚を女性に選ばせた後、1枚1枚を開けながら、女性の未来を物語った。
 タイヤイ式のタロットカード占いのようなものだろう。女性は真剣な表情でメモを取り、野次馬達はそれぞれに、占い師が並べたカードを覗いて頷いたりしていた。
 占いは世界中で多くの人々の関心を集めてきた文化である。タイでも「当たる」と評判の占い師のところには、いつも長い列ができている。何事にも自分に都合のいいことだけを信じるようにしている私も、タイで何度か占いに行ったことがある。
 順番が来るのを待っている間、ちらちらと前の様子を見ていると、占い師の前で商売のことや、恋愛のこと(これが一番多そうだが)などを質問している人は真剣そのものである。占い師の机には「お悩み相談カウンター」と看板を出してもいいぐらいだ。案外、家族や友達にも言えないような悩みを、占い師には話してしまう人がいるのではないか。
 それなら、流行っている占い師とは、よく当たるというよりも「人の話を親身になって聞いてくれる占い師」とか、「言って欲しいと思っている事を言ってくれる占い師」なのかもしれない。
 ともあれ、占いに行って少し気が晴れるのなら、それでいいのだろう。 

チェンマイ

(58号掲載)

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ジュース屋さん

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ56号 ジュース屋さん


 ミキサーが欲しいとずっと思っている。
 子供の頃、イチゴの季節になると祖母が戸棚の奥からミキサーを出して、イチゴジュースを作ってくれた。分厚いガラスのボディに薄茶色に汚れたピンク色の蓋がついた、年季の入りまくったミキサーが登場するたびに、嬉しくて妹と磨いたものだ。
 祖母がイチゴと砂糖、牛乳、氷をほうりこんでスイッチを押すと、ミキサーはすさまじい音を立てた。でき立てのピンク色の飲み物は生き物のように泡立っていて、それをガラスコップに均等に注ぐのは私の係。口の中でいちごの種がプチプチいうのが楽しくて、噛んで飲んだ。バナナジュースなら、それだけでお腹が一杯になった。
 ところが、ある日、ミキサーは動かなくなった。老衰である。以来、フルーツジュースは祖母とデパートに行くとたまに飲める代物になってしまった。
 それから月日がたち、フルーツジュースに再会したのはタイの路上だ。折りたたみの机の上にミキサーとフルーツバスケットが置かれていて、試しにパイナップル・ジュースを頼んだ。
 ジュースの屋台で、注文した果物が目の前でパンされる(ミキサーにかけられる)のを見守る瞬間は、大人になってもワクワクするものである。毎年、チェンマイにイチゴの季節が訪れると、ミルクを入れたイチゴジュースを注文するのだが、マイサイグア(塩を入れないで)と言い忘れ、塩辛いジュースを口にする度に「ミキサーが欲しい」と思うのである。

チェンマイ

(56号掲載)

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へびを捨てる母親

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ54号 ヘビを捨てる母親


 私の母が子供の頃を過ごした家には白いへびが住みついていて、「縁起がいい」と大切にされていたらしい。ある日、学校から帰った母が玄関の戸を開けると、目の前にその蛇がとぐろを巻いていた、という話を聞かされ、子供心に私が抱いた怖いけれど美しいその光景は、今もまだ私の脳裏にある。
 日本では蛇の夢を見ると「お金が貯まる」など、吉兆の印だという。人を殺すこともできる毒をもつ蛇という、管理しきれない自然への畏敬の念が、逆に蛇を「いいもの」としてあがめさせているだろうか? タイ人の友人に「へびの夢を見た」と言ったら「恋人ができる前触れだ」とひやかされた。どうであれ私の夢には出てきて欲しくない。
 本物の蛇など、道端にゴムのように転がった死骸か、動物園でしか見ずに育った私だったが、チェンマイの暮らしで、特に雨季には、割合身近な存在になった。お寺の塀に植物のような若草色の蛇がはっていたり、水浴び前に掃除をしようと、ふと水がめ代わりのバケツを持ち上げると、縞蛇がとぐろを巻いていた、ということもあった。
「蛇がいたら、特にそれが毒蛇なら、すぐに殺せ」と友人は言う。このラオスの母親も、蛇の頭を落とし、川に捨てた。それはごく自然な日常の一コマだった。

南ラオス

(54号掲載)

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踊りの稽古

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ52号 踊りの稽古


 美しいものは街に溢れていて、私の場合、いつも衝動買いの誘惑と闘っている。しかし、美しい体の動きにはっとする瞬間はそう多くは無い、と最近よく思う。それは、「お金を出せば身につく」というものではないからだろうか。
 ランナー文化を教える学校を訪れた時の事だ。木造の高床の建物を上がると、踊りの稽古の最中だった。生徒さんは高校生のお姉ちゃんと、中学3年生になる双子ちゃんの美人三姉妹だ。
 彼女達はさわやかな笑顔で「きれいでしょう? 難しくないからやってみて」と誘ってくれたが、わたしはただ歩く事さえ上手く出来なかった。足を前に踏み出す、この小さな所作にも、独特なテンポと美しい動きの法則があるのだ。
 座っているだけで汗をかく猛暑の中、テープをかけて3人で練習する姿は、美しい映画のワンシーンのようで、今までに見たどのステージよりも私の心に残っている。

チェンマイ

(52号掲載)

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リンチーの木

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ50号 リンチーの木


 リンチー(ライチ)の畑の中に住んでいた時のこと。
 ずいぶん年老いた大木ばかりだったが、赤く熟れた実をたわわにぶら下げた年もあった。風が吹いたり雨が降ったりする度にぼとぼと落ちてくるので、庭の地面が実で覆われたことがある。
 そんな賑やかな実りの時期が過ぎると、リンチーの老木を見上げることもなくなる。
 ある朝庭を掃いていた夫が、湿った大きなナメクジのような生き物を見つけた。
 シマリスの赤ちゃんだった。
 夕べの雨でリンチーの木の上の巣から落ちてきたのだろう。冷たくなっていたが、まだ息をしている。スポイトでミルクを飲ませてみると、掌の中でクックッと意外によく飲んだ。そうなると可愛くなってきて、夫婦で2時間置きにミルクを与え、まるで、桃太郎かかぐや姫のお爺さんとお婆さんのような気持ちになった。
 5日目ごろ、まん丸だった子リスの顔が伸びてきて、どう見てもネズミ顔を否めなくなった時は、なんだか残念だったが、子リスはすくすく元気に育っていった。
 そして、もと来たリンチーの木へ返す日が来た。
 真下から見るとまたずいぶん大きな木だ。小さなリスはその幹に取り付いて、甲高い声で鳴きながら登っていった。
 それからは、頭上から「チチチ」とリスの声が聞こえ、梢にリス達の姿が見えたりする度に嬉しくなった。そして、リンチーの木陰で、木の上の暮らしを想像する楽しみが出来たことを、私はとても気に入っていた。
 あれから何年か経った今、あのリンチー畑は、アパート建設を待つ更地になっている。

(50号掲載)

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島のピーマイ

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ48号 島のピーマイ

 村人は手に手にバケツや銀の器を持って、寺のお堂に集まってきた。ウコンを削って搾った黄色い水に、香りのいい花々が浮かんでいる。
 読経が終り、お堂に仏像が運び込まれると、人々は一斉に仏像を洗い始めた。ライムをたわし代わりに、黄色い水をつけて丹念に磨いている。そんな熱気の中、仏像はまるで風呂にでも入れてもらっているようで、「ふーーーっ。」というため息が聞こえてきそうである。「ほら、あんたも頭を磨くといいよ。頭が良くなるから」と、おばさんが私にライムを勧めてくれた。
 お堂の外では、台の上に集められた小さな仏像にも、僧侶たちによって黄色い水がかけられていた。僧侶の撒く水や、仏像を伝った水は、縁起が良いというので、村人達はほんの一滴でもと、手桶に受ける。持ち帰って家族や自分の頭に振り掛けるのだ。見ず知らずのおじさんが、そのありがたい水を私の頭にもかけてくれた。
「ピーマイ」は日本の正月と同じように、島を離れて街で暮らす人々が帰省する季節でもある。家々では家族が集まり、新年の幸福を願って手首に白い糸を巻く儀式が行われていた。その白い糸の結び目には、家族の健康と幸せを願う気持ちが込められている。
 観光客の私にも「今年も健康で幸せでありますように」と糸を巻いてくれた。何軒かのお宅をまわり、宿に帰る頃には、手首はたくさんの糸でぐるぐる巻きになっていた。
 その柔らかな感触は、村人の大らかな優しさそのものに思えた。

デッド島 ラオス

(48号掲載)

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金持ちおじさん

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ46号 金持ちおじさん

 チェンマイ大学のとある学部の入り口に、いつも座っている人がいる。
 ぽこんとつき出たお腹に、ショートパンツ、サンダル履きにニットキャップ。学生達から「パールン」と呼ばれる彼が、どこか裸の大将を思い出させるのは、そんな姿のせいばかりではない。
「タタ、タバココ、いっいっいっぽん」
 顔なじみの学生にはそう声をかけて、たばこや10Bをもらう。ある学生によると、普通の物乞いは「コー・ターン・ノーイ」(お金をください)というが、パールンは「コー・10B・ノーイ・クラップ」(10Bを下さい)と言うから、頭がいいということだ。確かに5Bもらっても食事は出来ないが、10Bあれば学生食堂でぶっ掛けご飯が食べられる。若い頃は同大学の学生だったが、勉強のしすぎでおかしくなったという人もいる。実際、西洋人の留学生に英語で話しかけているのを見かけたので、まんざらウソではないかもしれない。
 たまに来るえらい教授とは、長い付き合い? のようで、教授の姿が見えると、つつつと近寄ってワイ(合掌)をする。教授も「元気か?」などと言いつつ、100B札を渡すのである。
 ちなみに、パールンのパーとはパパの意味で、女性がお金持ちのおじさんを呼ぶときにも使う。ルンはおじさんの意味。
 ある日、聴講していた写真のクラスでポートレイトの課題が出た。学生とパールンの関係を面白く眺めていた私は、思い切って被写体になってもらった。
 パールンはにこりともせず、「撮った写真は大きくひきのばしてちょうだい」と言った。

チェンマイ

(46号掲載)

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パートゥンの浮き袋

カテゴリー: みちくさ写真 | 2007.05.21 Monday

 

みちくさ44号 パートゥンの浮き袋


 一枚の布を筒状に縫ったパートゥンは、腰にまとえば涼しげなスカートになる。胸から巻いた水浴び姿も、タイらしい光景のひとつだろう。
 私の下宿の大家宅では、奥さんや娘さんが、パーシンを身にまとい、井戸端で水浴びをする。その水音ほど涼しげなものはない。(さすがに朝夕寒いこの時期には、聞かないが)
 チャオプラヤー川で見た水浴びは、シャンプーが済んだら川にドボン。体を洗えばドッポン。大人も子供も半分遊んでいるみたいで楽しそうだった。
 その中の1人、パートゥン姿のおばちゃんが、高床のベランダから勢いをつけて川に飛び込むその瞬間、パートゥンのすそをぴっと広げ、ザッパーン。ひとしきり大きな水しぶきを上げ、一瞬沈んだあと、プカーンと浮かび上がってきた。濡れたパートゥンが空気を閉じ込め、浮き袋の代わりになったのである。
 昼下がり。コーヒー牛乳色の川面に、風船みたいに膨らんだパートゥン浮き袋のおばちゃんが、ぷかぷかといつまでも浮かんでいるのだった。

バンコク

(44号掲載)

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