カテゴリー: タイの山岳民族(三輪隆) | 2007.05.21 Monday

かつては、森の中にバナナの葉で屋根を葺いた小さな日よけ小屋を建て、食べ物を求めて数日〜数週間のサイクルで転々と移動する原始的生活を営んでいたしていたムラブリ族だが、タイ政府やキリスト教団体などの指導により約10年前から徐々に定住し始め、ジャングルの中だけで昔ながらの生活する人はもういなくなった。
現在、ナーン県ウィエンサー郡のホイユアク村には、25家族約150人のムラブリが集落をかまえ、近くに住むモン族の人々の畑で雇われて働いたりして生活している。
ここではタイ政府から耕地を与えられ、数年前から農耕も始めた。これまでいっさい農耕をしてこなかったムラブリにとっては画期的な維新だった。陸稲、穀物、野菜などを植え、集落の中では山岳民族開発支援センターの指導で、アヒルや豚、魚などの養殖も始まっている。
また昨年、政府の援助で村の各家にソーラーシステムの発電機が設置され、家の中に蛍光灯の明かりが灯るようになった。まだ村の中でテレビを見ている人はいないようだ。
かつてムラブリ族はお金の使い方さえ知らないといわれ、平地タイ族、モン族などから驚くほど安い労働力として使役されていた。10年ほど前は、家族全員が3ヶ月働いて豚一頭(2000バーツ相当)のみとか、一日の日当が20バーツというような過酷な条件を強いられていたが、現在では1日100〜150バーツまでに生活レベルも向上している。村のリーダーの男性は、最近、とうもろこしを売ったお金を頭金にローンで新車のバイクを買った。かつてはみなひょろひょろにやせていたが、今ではけっこう恰幅のよい人もいて、子供たちの体格も向上しているように思われる。
観光も彼らの生活手段の一つになりつつある。
かつて、悪路のため四輪駆動車でしかたどり着くことができなかったホイユアク村だが、現在ではすぐ近くまで舗装道路が整備され、観光客の数も次第に増えている。ナーンにはムラブリ族を見るツアーもあり、白人観光客が豚肉を土産にぶらさげたガイドに連れられて連日やってくる。褌一丁で出迎えるアイパーおじさんは、観光客対応担当のようで、家の中に案内し、ケーン演奏や火打石の芸などを披露してくれる。
また最近では、タイ人観光客、そして近隣の村々からも、小金持ちになっていい身なりをしたモン族の人々が新車のピックアップトラックなどで乗りつけて、ムラブリを見物にやってきている。これまで観光の対象になっていたモン族の人々が、今では観光する立場にまわっていることに、時代の移りかわりを感じさせる。

団体観光客の予約が入り、豚一頭の報酬が入るような場合は、集落から徒歩で10分ほど丘を登った森の一角に、昔ながらのバナナの葉の住居を建てて、その生活ぶりやムラブリ流の豚の料理法を観光客の前で再現して見せてくれたりすることもある。
ムラブリの女性にどのように生活が変わったか、聞いてみた。
「食べ物は昔と比べて楽に手に入るようになったけれど、現金収入が入るようになって、男たちのなかには、毎日酒に浸るようになった者もいて困ります」
そういえば、私が訪れたときも、ひとりの男が悪酔いして家の中で暴れていた。かつては暴力などはおろか、口喧嘩さえほとんどしないムラブリの人たちだったが、これからドメスティック・バイオレンス問題なども出てくるのかもしれない。
(92号掲載)
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